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2003.07.25.発行 vol.148 [自明性の超出へ 号]
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■■ [本]のメルマガ 2003.07.25.発行
■■ vol.148
■■ mailmagazine of books [自明性の超出へ 号]
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■■ 創刊は1999年5月10日、現在の読者数は5791名です
■■ 「まぐまぐ」で、殿堂入りメールマガジンのひとつに選ばれました
■CONTENTS-----------------------------------------------------------
★トピックス
→注目のイベント、業界情報など。リブロが劇的な株式譲渡でどうなる?
★特別連載「アートとアフォーダンス」/ 小島直人
→ついにあの本が出た。三省堂本店のブックフェアとの特別連動企画!
★「今日(こんにち)の芸術」/ 忘れっぽい天使
→見ることの喜び、描くことの喜び。ドイツ・ロマン主義絵画展評。
★「現代思想の最前線」/ 五月(ごがつ)
→箸休め号公開。デュットマンが9月に初来日するのがとてもうれしい。
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◆緊 急 告 知◆[本]のメルマガ臨時増刊号「『マルクスを超えるマルクス』
プレビュー」近日配信! アントニオ・ネグリの主著『マルクスを超えるマル
クス』の日本語訳がついに8月末に作品社より刊行されます。小誌では、この
注目新刊のテクストの一部を発売前に先行公開! 自著を語るネグリ自身の貴
重な「私信」も抜粋して紹介する予定。『帝国』に続くネグリ《プレビュー》
シリーズ第二弾です。目下第三弾も鋭意企画中。お見逃しなく!!
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■トピックス
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■大手書店チェーン・リブロが取次の傘下に。セゾン系文化事業の行方は。
株式会社パルコのプレスリリースによると、今月(2003年7月)9日開催の取
締役会において、パルコが保有する書店チェーン(株)リブロの発行済み株式
の90%を、大手取次の日販(にっぱん。日本出版販売株式会社)に譲渡するこ
を決議した、と発表された。譲渡の理由は「(パルコの)本業である商業ディ
ベロッパー事業に経営資源を集中させるため、子会社の再編を進めて」いるた
め。1985年に設立され、セゾン文化の看板であったリブロ。その歴史が大きな
ターニング・ポイントを迎える。売却額は約7億2000万円。なお、リブロ売却
により、パルコは「有利子負債約54億円が減少する見込み」であるとのこと。
「小売業の戦略の基本は時宜を得たスクラップ&ビルドにある」とパルコの代
表執行役社長・伊東勇氏は2003年度の「社長メッセージ」で述べているが、今
回の売却が「スクラップ&ビルド」の一形態なのか、それとも「スクラップ&
ビルド」の果てのことなのか。「事実上の《日販あずかり》」と業界関係者は
見ているが、今後のリブロから目が離せない。
http://www.parco.co.jp/parco/corporate/
■工藤庸子「ヨーロッパ文明批判批判序説」刊行記念ライブトーク
本年4月に東京大学出版会より刊行された工藤庸子著『ヨーロッパ文明批判批
判序説』が、7000円の高額本にもかかわらず、すでに三刷まで重版したと言う。
本書の内容は、植民地・共和国・オリエンタリズムという三大テーマを巡って
近代ヨーロッパ文明を「批判的」に読みなおす、コロニアル文学研究の好著だ。
歴史学、「国民国家形成論」、「記憶の歴史学」へと越境する著者の試みはア
クチュアルな現代思想への導きの糸でもある。「光輝く」キリスト教文明と、
「暗闇」としてのイスラーム世界――それは本当か? 今なお揺るぎないヨー
ロッパのアイデンティティの淵源を探究し、ミシュレ、ユゴー、ルナンといっ
た近代の多様な言説の徹底した分析を通して、「ヨーロッパ」「近代」の真実
に肉薄する。ライブトークの詳細は以下の通り。定員は20名! サロン感覚の
カフェでお楽しみください。
◎『ヨーロッパ文明批判批判序説』刊行記念・工藤庸子氏ライブトーク
講師:工藤庸子氏
日時:2003年8月1日(金)午後7時00分〜
場所:ブックファースト青葉台店4Fリビング・カフェ
(東急田園都市線「青葉台駅」下車、青葉台東急スクエアS-1別館)
参加費:500円(ドリンク付) 定員:20名
予約受付:ブックファースト青葉台店4Fカウンター
問い合わせ:電話045-989-1781(営業時間:AM10:00〜PM10:00 不定休)
http://www.book1st.net/
■姜尚中氏×宮台真司氏対談「日本はどこへむかっていくのか」
姜尚中氏の新著『反ナショナリズム』(教育史料出版会)の刊行を記念し、姜
尚中氏と宮台真司氏の公開対談「日本はどこへむかっていくのか?…情報化と
日本社会のゆくえ」が以下の通り開催される。今月19日に青山BC本店で行わ
れた二人のクロストーク「反ナショナリズムのすすめ」を見逃してしまった方、
見たけれどもっと聴いてみたい方、今度こそ質問してみたい方、ふるってご参
加を!
◎第16回リブロコミカレ特別セミナー・姜尚中さん&宮台真司さん対談講演会
「日本はどこへむかっていくのか? …情報化と日本社会のゆくえ」
日時:2003年8月24日(日)16:00-18:00
場所:池袋西武イルムス館8階コミュニティカレッジ 3・4番教室
参加費:1000円(税込)
チケット販売:リブロ池袋本店注文カウンター(イルムス館B1階)にて発売中。
お問い合わせ先:電話03-5992-6996
http://www.libro.jp
===PR=================================================================
★ブックフェアご案内★ハーバーマス後期の主著『事実性と妥当性』上下巻の
邦訳刊行を記念し、今夏、全国主要書店にて「ハーバーマス・フェア」を開催。
東京堂書店、三省堂書店神田本店、リブロ池袋店などを皮切りに続々展開予定。
全4頁のフリーペーパー(現在入手可能なハーバーマス邦訳書全点と関連書の
内容紹介)を店頭にて配布中。民主主義的諸制度が機能不全に陥っている現在、
〈公共性〉〈コミュニケーション〉の思想家であるハーバーマスを読み直す機
運が高まっている。詳しくは未来社HP http://www.miraisha.co.jp/ まで。
================================================================PR====
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■特別連載「アートとアフォーダンス」/ 小島直人
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[連載第二回目をお届けします。先月号で予告した三省堂書店神田本店4F人
文書売場のブックフェア「アートとアフォーダンス――知覚と直結したデザイ
ンの原理」は、一昨日(7月23日)からスタート。会期は8月末まで。70点規
模で、アフォーダンスの理論書からアート書まで、幅広く取り揃えています。
全国に先駆けて、佐々木正人著『レイアウトの法則』(春秋社)も、先行販売
中。ニコライ・ベルンシュタイン著『デクステリティ』(金子書房)と併せて
お読みください。三省堂書店の現場スタッフと共同してブックフェアの選書と
基本コンセプトを手がけられた、春秋社編集部の小島直人さんに、フェアと同
名の小論をご寄稿いただきました。連載第一回目の「序説」から、今回は一気
に、新刊『レイアウトの法則』が解き明かす世界へと進みます。小島さんと、
フェア担当者の三省堂書店Sさんに感謝します。(25日号編集同人・五月記)]
こんにちは。この連載は、佐々木正人著『レイアウトの法則――アートとア
フォーダンス』(春秋社)、ニコライ・ベルンシュタイン著『デクステリティ
――巧妙さとその発達』(金子書房)の刊行に合わせて、その内容のガイドと
なることをも一つの狙いとして企画されたものです。
前回、連載の第一回目では、アフォーダンスやオートポイエーシスなどの生
命論・身体論が持っているだろう思想的な広がりをラフ・スケッチする意図で、
「ライオンの檻の中のウサギ」「ヤモリの掌」「円の生成」「ショパンの音符」
の4つの事例を出しました。そしてこの4つの事例について、性急に「解答」
を与えるのではなく、それらをあくまで「問い」として設定することを提案し
ました。
それは例えば、恋愛を「性の欲動」という概念によって様々に解説すること
は可能だけれど、むしろ、恋人の部屋のドアノブを握ろうとして、一瞬ふとた
めらう「手」が何であるか、というところに立ち止まってみる、ということで
す。とまどい、ためらう手は間違いなく恋愛の一つの光景でありながら、それ
を性の欲動から説明してしまうなら、その手の持っている様々なニュアンスが
ごっそりと抜け落ちてしまうということを、我々は直観的に知っていると思う
のです。
といって、恋愛の光景の「断片」をただひたすら蒐集していこう、というの
でもありません。むしろ、ためらう手を執拗に注視・観察することで、恋愛の
別の理念、別のイメージをつかみ取れないか、という主旨なのです。性の欲動
という概念によって、恋愛の一見明解な、しかし粗い「近似値」を出すことを
一切やめるということでもあります。近似値を出すことではなく、「事象それ
自身」への注視こそが、課題です。
何も自明ではない――。このことを何度でも確認するために、「問い」が必
要です。性急な「解答」は常に、自明性を装う先入観によって最初から蚕食さ
れてしまっていると思うのです。真理とは闘いであるというのはこの自明性と
の闘いのことです。現象学が「現象学的還元」と呼んだ思惟の方法も、ひとえ
にこの「自明性のかげに隠れることを好む真理」の「たちの悪さ」の透徹した
自覚に基づいてのことだったと思うのです。
知覚について、感覚について、行為について、アフォーダンスやオートポイ
エーシスの構想は、いわば一気に自明性の圏域の外側に出ることを我々に勇気
づけ、動機づけています。この連載であげる事例は、その「外出」に向けた出
発の準備か、トレーニングのようなものです。幾つかの「問い」が、幾つかの
「地図」です。
さて、今回は上記2冊の刊行を受けて、アートとアフォーダンスの内的な関
連が示唆されるような事例を挙げてみたいと思います。
◆佐々木正人著『レイアウトの法則――アートとアフォーダンス』(春秋社)
上記『レイアウトの法則』では、絵画、写真、建築、組み版(ページネー
ション)、そしてリハビリテーションと、様々なフィールドにおける「知覚」
と「制作」の具体的な関わりが俎上にあげられていますが、絵画をめぐる話を
例にとってみたいと思います。佐々木正人氏、松浦寿夫氏、高島直之氏による
鼎談(元は季刊『武蔵野美術』No.118「特集 光の饗宴」に掲載された対話で
す)の中で問題になった最大のポイントの一つは、絵画史において争われてき
た「色彩(タッチ)派」と「デッサン(輪郭)派」の熾烈な葛藤とは何であっ
たかという論点です。
思い切って簡略化して言えば、デッサン派とは「物」の輪郭線を描き、その
中に、後から色を流し込んでいくような手法をとる絵描き達であり(鼎談の中
ではアングルの名前がその代表として挙げられています)、一方、色彩派とは、
ひろく印象派の絵描き達のように、輪郭を描くのではなく「色を置いていく手
法(タッチ)」によって絵画制作を行った人達です。アングルとの対比で挙げ
られているのはドラクロワですが、セザンヌ、モネなど印象派の画家達も色彩
派として言及されています。そして鼎談の中では、この対立が絵画制作の手法
の違いであるにとどまらず、根源的に「世界認識の様態の違い」であることが
論じられています。
さて、この対立は、我々にどんな「問い」を立てることを促しているでしょ
うか?
「世界認識の様態の違い」であるとは、どういうことでしょうか? 「見え
ている」ものは一つで、しかしそれを表現する「手法」は様々ある、というこ
とでは、おそらくない。「何が見えているのか」というところから、既に問い
の渦中に投げ込まれてしまっているのではないでしょうか? 何が見えている
のかが、自明ではない。その意味では問題の焦点は、色彩派とデッサン派のい
ずれがより正しいのかということではなく、ひどく簡潔に言うなら、両者の葛
藤を、「ともかく何かが見えているが、何が見えているのか?」という問いと
謎に向けて開いていくことこそが、重要だと思うのです。
対話の中では、ボナールという画家の2枚の絵が取り挙げられています。そ
のうちの一枚は「開かれた窓」というタイトルを持つ絵画ですが、これは、扉
をあけて部屋に入った瞬間の「見え」全体が描かれています(上記『レイアウ
トの法則』のカラーページには、ボナールの2枚の絵が掲載されています)。
画面右下隅に、横たわった人が描かれていますが、その輪郭はある幅をもっ
てぶれています。この輪郭のぶれは何なのでしょうか? ボナールに見えてい
るのは、輪郭線、あるいは輪郭をもった物ではなく、干渉し合う幾つもの色の
群れだったのではないでしょうか? そして、その色の群れの徹底した配置に
よってカンヴァスを埋め尽くしたのがセザンヌの画面だったのではないでしょ
うか?
輪郭線をカンヴァスに配置していく手法の、おそらく最も整序された形式の
一つが遠近法ですが、セザンヌの画面は、一度でもご覧になったことがある人
はお分かりの通り、遠近法の異様な歪み、あるいはいわゆる遠近法とは全く異
なる空間の認知がセザンヌという画家において起こっていたことを、圧倒的な
説得力で思い知らされるはずです。遠くのものと近くのものが、行儀のいい遠
近法の底を踏み抜くようにして、共に、同じ勢いで圧倒的に現前するのです。
セザンヌは自身の絵画制作の理念を「感覚の実現」と呼んでいます。
ボナールの知覚、セザンヌの感覚――。何が見えているのかという、このあ
まりにも根源的な問いに立ち戻ることで、彼らは遠近法の自明性の圏域を、一
挙に超えてしまっているのです。対象を底面とし、視点を頂点とする円錐を想
定し、その円錐の中途の断面をカンヴァスに張り付ける、というのが遠近法の
基本的理念ですが、知覚・感覚のリアルへの徹底した注意が、この円錐を破砕
してしまったのです。こうして色彩派の画家達は、前もって準備された「図式」
や「理論」のフィルターを通して世界を見るのではない仕方で世界と出会う局
面に、自らを置き直したのです。
佐々木氏は上記の鼎談の中で、「ボナールの絵は、自分が生態光学(ア
フォーダンス理論の創始者ジェームス・ギブソンが作り上げたユニークな光学
です)を学んで得た感じに近い」と言っています。アフォーダンスという知覚
論が、自らを「生態学的リアリズム」と呼んだ地点――。これは、ボナールや
セザンヌなど色彩派の人々が立ち戻った地点ではなかったでしょうか?
佐々木氏の本のタイトルにある「レイアウト」とは、この知覚・感覚に直接
的に現われている「見え」のことに他なりません。それは色彩と色彩の干渉、
浸透、離反であり、あるいは障害をおった人達のリハビリテーションの過程で
観察される、幾つものぎこちない運動の離合集散とその洗練、いわば「運動の
色彩」のめまぐるしい運動です。そして「レイアウトの法則」とは、色や運動
の相互干渉において、遠近法とは全く別の「生態学的な法則性」が生まれ、生
きられているという主張なのです。(以下次号)
○小島直人(こじま・なおと)春秋社編集部所属。けっこうグルマン。
◆講演会のご案内◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
◎『レイアウトの法則』(春秋社)刊行記念
佐々木正人先生講演会 「アフォーダンス研究の現場から」
日時:2003年8月24日(日)14時より
場所:三省堂書店神田本店8F特設会場
(当日は1F正面入口からのご案内になります)
参加条件:入場無料、お電話またはご来店にてご予約先着100名様
お問い合わせ、お申し込み:三省堂書店神田本店4F
電話 03−3233−3312(代表)
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■「今日(こんにち)の芸術」/忘れっぽい天使
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「目」の自己所有――「ドイツ・ロマン主義の風景素描」展(国立西洋美術館)
西洋国立美術館で開催されている「ドイツ・ロマン主義の風景素描」展(ド
レスデン版画素描館所蔵)は、派手な風評の名画こそないが、普段目にする機
会の少ない作品を多数見ることのできる得難い企画展だ。この展覧会では、18
世紀末〜1820年代を中心に描かれた、ドイツの風景素描103点が展示されてい
る。
ドイツ・ロマン主義の芸術と言えば、誰でもまず、シューマンやワーグナー
らの激情的な音楽を思い出し、次にホフマンやノヴァーリスらの超現実的な
テーマの文学を思い出し、更にフリードリッヒらの神秘的な匂いのする絵画を
思い出すことだろう。だが、ここで目にする風景素描群は、深刻な観念の構築
を目指したそうした大芸術作品ではない。さらさらと、半ば即興的に、霊感の
趣くままに描き上げられた「小芸術」たちである。それだけに、この時代を生
きる生活者の息遣いをよりよく伝えている。
ぼくはドイツ・ロマン主義芸術にも風景画の歴史にも詳しくはないので、実
際自分の目で見た印象とこの展覧会のために作られたカタログの解説を基に話
を進めることにする。このカタログたるや大変な出来栄えで、330ページにも
わたるヴォリュームの中に、展示された全ての作品の図版はもちろん、論文・
関連資料がどっさり詰め込まれている(これで3300円!)。
それによると、当時のドイツの美術界に「ナザレ派」と呼ばれる一派が現れ、
新風を巻き起こしたという。彼らは、ギリシャ・ローマ神話や聖書から取った
古典的な題材を定められた様式の通りに描くアカデミーの教えに反発し、ロー
マで共同生活を送りながら創作に励んでいた。キリスト教精神に基づいた芸術
を主張し、長い髪を真ん中で分けた独特の髪型をしていたという。
その代表的な人物は、ルートヴィヒ・リヒター、フェルディナント・オリ
ヴィエ、ヨーゼフ・アントン・コッホといった画家たちである。初期ルネサン
スの絵画を理想とした彼らであったが、その特長の一つは自然をよく観察し、
その形態を濃密に描写することにあった。柔らかいチョークの代わりに硬い鉛
筆を好んで用い、自分の目を信じて直接自然と向かい合ってその姿の輪郭線を
細密に写し取ることに務めた。
この展覧会の中心をなすのは、ユリウス・シュノル・フォン・カロルスフェ
ルト(1794〜1872)の「風景画帳」からの59点である。ナザレ派とも交流が
あったシュノルは、美術における自然研究の第一人者であった。彼はウィーン
のアカデミーでの教育を嫌ってイタリアで10年の修行の時を過ごし、旅をしな
がら目に映る風景を次々と絵にしていった。彼の風景素描は次第に大きな評判
を得ることになっていったのだが、当初はイタリア旅行の思い出として家族に
残すつもりであったという。 それらは皆小さな版型で、多くは淡い濃淡しか
持たないセピア色の単彩画である。
描かれている情景自体に特別なものは何もない。のんびり休息する羊飼いた
ち、母親と子供たちの微笑ましいひととき、接吻する恋人たち、山の頂からの
眺望、などである。「風景画帳」には人間もたくさん描かれるが、概して人物
は小さく風景の中につつましく描き込まれるだけで、際立った精彩を放つこと
はない。シュノルは風景は精密に観察し写し取ったが、人物は絵を仕上げる際
に描き入れる程度であったようだ。その代わり、素描の線は実に鋭く、葉の一
枚一枚の表情まで緻密に捉えている。人間の頭では追いつけないような自然の
複雑でこみいった形態を追う行為に、ただただ魅せられているかのようだ。
種類の違う木、大小の建物、険しい山や岩場、目に見えるものは一つとして
同じものがない。シュノルの描く情景は牧歌的なものだが、どの作品にも緊張
感が張りつめて見えるのは、描くものが何であれ、対象の個別性を描き分ける
ことへの画家の執念が感じられるからだろう。一人の孤独な旅人が、出会った
風物に真剣に相対し、事物の個別性を自分の目で見分け、描き分ける作業。そ
れは事物固有の生命感を表現しようとすることでもあり、孤独な自分自身の生
の在り方を確認することでもあるのだ。
但しその「孤独」は、ロマン主義が煮詰まっていく段階で聖域化されていく、
過剰な意味を背負った「孤独」ではない。平凡な一人の旅人が、一人であるこ
とを意識し、自由気ままな視点でものを見る、ただそれだけの等身大の「孤独」
である。それは朗らかでさえある、日常的な思考のふるまいの一つに過ぎない。
一人であることの自覚を即、絵を描く動機に結び付ける――その飛躍の一点に
おいて、シュノルらの絵画は日常を飛び越える力を持ち、新しさを持ったと言
えるのではないだろうか。
深遠な精神世界を風景に投影した、「山上の十字架」や「海辺の僧侶」など
の傑作で知られるあのカスパー・ダーヴィド・フリードリヒの素描作品も何点
か展示されていた。小さな版型の、素朴な作品ばかりなので、プレートを見な
いとフリードリヒとは気がつかないかもしれない。カタログの解説によると、
彼はナザレ派の画家たちを敵対視していたようだ。ナザレ派の画家たちがルネ
サンス絵画への回帰を標榜したことを、彼は偽善ととっていたらしい。
しかし、風景素描に関しては、尖った硬い鉛筆を使って自然を細密に写し取
るという点で、ナザレ派と同傾向にある。むしろフリードリヒはより徹底して
リアリスティックであり、望遠鏡やカメラ・オブスキュラなどの光学装置の助
けを借りてまで細部の描写の正確さに拘ったようだ。フリードリヒの素描は、
どうかすると、敵対していた陣営にいるはずのシュノルらの作品と酷似してい
たりもするのだ。だが、目を凝らすとやはり少し違いがある。
シュノルの「風景画帳」の構図は――人物を配置した作品は特にそうだが―
―悪く言えば、出来合いの物語のシーンをそのまま下敷きにしたような安易さ
がある。それに対してフリードリヒは好んでうら寂しい風景に目を向け、むし
ろ風景の寂しさを際立たせる描き方を取っている。主観性の強い「孤独感」の
投影がなされている。巨大な岩石の上で沈思黙考する人物を遠距離から描いた
作品などは特にそうだ。単なる、「一人でいる」という自覚から一歩抜け、孤
独に対し独自の意味づけを行う段階に足を踏み入れている。
ロマン主義の芸術は、個人や自我を軸に表現を展開するという点で、現代芸
術の前身をなすものであるというのが通説であろう。だが、19世紀初頭に描か
れたこれらの素描を見ていると、激しい主観性の発露よりも、個人が直接対峙
した対象の姿を、直接対峙した通りに写し取るという側面のほうが強いように
感じられた。自分の「目」を、(古典主義の時代のように)共同的な観念では
なく自分自身が所有できることへの嬉しさが、筆に滲み出ているように思える
のだ。
実際に見なければ描けない木々の複雑なディテールが紙の上で踊っている様
を眺めていると、ああこの画家は「木を見た」のだな、「木を見る」ことがで
きてよかったね、という何とも言えない不思議な感慨が沸き上がってくる。彼
らの素描は、我々の時代に置き換えれば旅先で撮影するスナップショットのよ
うなものなのだろう。しかし彼らはそのスナップショットを、「自分の目で見
る風景」という概念を発見しながら撮ったのである。
約200年を経た今、では我々は視覚において何を発見しつつあるのか、そん
な宿題も与えてくれた展覧会だった。
◎「ドレスデン版画素描館所蔵 ドイツ・ロマン主義の風景素描」
国立西洋美術館(会期:2003年6月24日〜8月24日)
◎展覧会カタログ『ドイツ・ロマン主義の風景素描』3300円
責任編集:ペトラ・クールマン=ホディック、佐藤直樹
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■「現代思想の最前線」/ 五月
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◎番外編:最前線、箸休め、書物の周辺
突然のご挨拶ではありますが、今後、当連載「現代思想の最前線」は、現代思
想系洋書和書を紹介する従来の「最前線」編のほか、一出版人/一ライターの
つれづれなる雑感を綴る「箸休め」編を公開することにいたしたく、読者諸姉
兄にお許しを乞う次第です。箸休め編では、書物の周辺の話題――オンライン
書店活用術や業界論も随時取り上げようと考えています。今回は箸休め編の第
一回です。
箸休め編を始めることにした動機には、二つあります。ひとつには「最前線」
で扱う話題と私の出版業務上の守秘事項がまったく別個のものではなくなって
きた、ということ。そして、本職と抵触しない別個の話題が今度はライターの
仕事で扱うトピックと重複してくる、ということです。
不定期化しつつあるこの連載は、常に読者の励ましを頂戴しながらここまで丸
四年間やってきました。最初は、本職の出版業とも多少は関連のある私的な関
心分野についての洋書リポートから始まりました。私は当初、出版社の一営業
マンだったし、毎日の仕事が終われば関心分野の探究に思い切り専心できまし
た。メルマガを始めてから、ライターの仕事が入るようになってきて、ライ
ターの仕事はその後も増え続け、そうしたさなかに独立して出版社を立ち上げ
ました。ふと振り返ると、今月はライターの仕事が4本(すべてブックレ
ビューで、取り上げる点数は合計10点を超えてしまう)、締め切りを迎え、近
刊予定の編集企画の点数は片手に収まらず、近く開催される出版社と書店の交
流会の席上での研究発表レジュメづくりにも手が抜けない。
もう限界? そんな泣き言は言いたくありません。しかし、こんな時は、福田
和也氏が書いた『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』というPHP研究所
から出ている本を思い出して、思わず感嘆のため息が漏れます。
諸姉兄は、この本を読んだことがありますか。私は福田和也さんのことが実は
あまり好きではないのだけれど(その理由は後述)、本当にすごいなと思う。
内容はタイトル通りのもので、オビにもある通り、「究極の『知的生産』術」
と言おうか、福田さんの培ってきたノウハウが惜しげもなく明かされている。
「ここまで明かしちゃっていいのか」という感想を某所で書いたことがあるの
だけれど、今にして思えば、福田さんがいくら手の内を明かそうが、氏にとっ
ては何ら損にはならないのです。
なぜだろうか。それは、福田さんが明かした方法論を実践したからと言って、
読者が福田和也になれるはずはないからです。そもそも方法論を実践すること
自体がけっこうな鍛錬だ。私は写真家の森山大道さんが、とあるイベントで現
像する時の作業条件を聴衆の一人から聞かれて、あっさりと手の内を明かして
しまった時のことを思い出します。その時知ったのです。森山さんと同じ条件
で現像したって、自分の撮った写真がモリヤマ風になるはずはないんだ、と。
これは諦めなんかではない。方法論をいくらマネしたとしても、彼らの作品世
界を現出させる霊感の源泉となっている「感性」はマネできない、ということ
なのです。ごく当たり前のことなのだけれど、その「感性」を磨くために、作
家たちは自己鍛錬を続けている。ローマは一日にしてならず。
福田和也さんのことがなぜ私は苦手なのかというと、エレガントな右翼を標榜
していらっしゃるあたりです。左翼は貧乏くさい、だから右翼になったんだが、
最近は右翼もエレガンドじゃなくてダメ、というようなことを、香山リカさん
との最近の対談集 『「愛国」問答――これは「ぷちナショナリズム」なのか』
(中公新書ラクレ)で発言さなっている。
貧乏のどこがいけないんだろうか。貧乏ってなんだろうか。左翼の貧乏臭さと
いうのは何のことか。もうそれだけで一冊の本になりそうだが、私は左翼を気
取りたいわけでもないし、開き直りたいわけでもない。そもそも学生運動の世
代の大先輩から私は、とある宴席で「オマエは左翼じゃないな」と言われたこ
とがあります。同席していた私の同世代の知人は「左翼ですよ」と即、反論し
ました。私はどちらも正しいと思った。つまり大先輩と同等に並べるような左
翼ではない。しかし、一般世間の感覚からすれば、私は左寄りと腑分けされる
んだろう。別段そんなことに拘りはないのですけれど。
『「愛国」問答』は電車で気軽に読むにはうってつけの本で、私は特に福田さ
んの「あとがき」に笑ってしまった。香山リカ氏とは初めての対談だってのに、
「一冊分」の文字数が満たされると対談は終了。この続きは宴席に移ってから、
となるかと思いきや、編集者は二人を送って帰ってしまう。別に高級な店に行
こうと言ってるわけじゃない。飲み屋でワリカンでもいいから、あるいは私が
酒代を払ってもいいから、皆でもうちょっと話そうじゃないか。福田氏はご立
腹なのである。粗製濫造と言われる節のある自分だが、こんな程度で「一冊」
とはお手軽なことだ、と。
私が担当編集者だったら冷や汗ものの「あとがき」だが、その辺は福田さんは
マナーを心得ていて、オチを忘れない。察するに、かの中央公論新社も、たぶ
ん接待費は緊縮命令が下されているのかもしれない。あるいは家やクルマの
ローンを抱えていて、自費で接待したくともままならないのかもしれない。粗
製濫造を意図してはいなくとも、時代の流れの速さにあわせて新書の刊行点数
や刊行スピードが徐々にアップしていくのは避けがたい趨勢でもあろう。なに
せいまや「新書大競争」時代である。新書のフットワーク性を各出版社とも最
大限に利用したいところだ……つまりそんな勝手すぎる想像力を膨らませたの
で、同業者として身につまされて笑ってしまったのです。他意はありません。
中公の担当編集者さん、ごめんなさい。
愛国論や、香山氏の言う「ぷちナショナリズム症候群」(同名の本がやはり中
公新書ラクレから出ている)というのは、世相を切るには有効なキーワードだ。
特に、インターネットの掲示板「2ちゃんねる」や「ふたばちゃんねる」等に
溢れかえる、ぷちナショナリズム的言説や度し難いまでの差別発言――特に在
日や朝鮮民族に対する執拗な攻撃(本人たちは攻撃とは思っていない節がある)
が、かなり危険な幼さを示している昨今、考えさせられるテーマである。
荒れ放題の掲示板を見て考えるのは、「匿名」と「無名」の違いだ。「匿名」
は本人が選ぶものだが、「無名」は他人や世間の評価がもとになっている。私
はネグリの言うマルチチュードは「匿名」の仮面集団というよりは「無名」で
あることを気にしない集団である気がする。つまり、選択的「匿名」より非選
択的「無名」の方を、私は評価したいのだ。掲示板はマルチチュードを生み出
しはしないだろうと思う。マルチチュードは、無名の集団ではあっても、一人
一人の名前が奪われてしまう集団なのではない。むしろ固有名を絶対に捨てな
いのがマルチチュードではないか。デイヴィッド・フィンチャー監督の映画
『ファイト・クラブ』で描かれたような、殉死してから名前が与えられるよう
な集団ではない。
いくら雑感をつれづれなるままにとは言ってもキリがなくなってきた。最後に、
嬉しいニュースがあるので、ご披露します。
東大駒場キャンパス内に設置されているDESK(ドイツ・ヨーロッパ研究室)が
主催するシンポジウム「カール・シュミットと現代――秩序・政治・例外・神
話」に出席するために、アレクサンダー・ガルシア・デュットマンが2003年9
月27日、28日(土・日)に来日するのである。
http://www.desk.c.u-tokyo.ac.jp/carlschmittsymp.htm
ここにはまだ彼の講演の題目は記載されていないが、ちょうど先週末、デュッ
トマンはフランクフルトで"Entscheidung und Souveraenitaet"すなわち
「決断と主権」と題された講演を行った、と現地に留学中のSさんから聞いた。
この原稿は東京講演のために準備したものだと本人が前置きしていたというか
ら、間違いないだろう。今年の「9・11」で生誕百周年を迎えるアドルノを記念
したドイツでのシンポジウムに参加したのち、デュットマンは日本の地を初め
て踏むことになる。できれば彼の『エイズとの不和』や『思惟の記憶』の日本
語版を来日までに準備できればよかったけれど(その努力はしてきたのだが)、
間に合いそうもない。しかし、昨年わが書肆(月曜社)から刊行した『友愛と
敵対』は、これまで何度か取り上げたように、シュミット、デリダ、ハーバー
マスを扱っているので、もし興味のある方は、ご一読の上、上記のシュミット・
シンポに出向いてみて欲しい。
どうやらレアな配布物になってしまったらしい、デュットマンによる、アガン
ベン著『アウシュヴィッツの残りのもの』への論評を掲載した小冊子は、『ア
ウシュヴィッツ〜』第二刷に投げ込まれているものを除き、書店店頭で無料配
布した分はなくなってしまった。はてさてデュットマンの来日にあわせてもう
ひと山、何か「記念品」めいたものをつくってみたいものだと画策中である。
[2003年7月25日]
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★広告★『サンカの歴史』八切止夫=著、朝倉喬司=巻末エッセイ、作品社、
本体価格3200円、四六上製カバー装374頁、ISBN4-87893-569-3 ◎壮大なフィ
クションか、それとも隠された真実の歴史なのか? これまでなんぴとによっ
ても書かれることのなかった封印された怒涛の一千年史を、圧倒的な構想力で
描き尽くす、八切止夫の最高傑作。★『サンカいろはコトツ唄』八切止夫=著、
川村湊=巻末エッセイ、作品社、本体価格2800円、四六上製カバー装262頁、
ISBN4-87893-565-0 ◎文字をもたぬ民は先祖からの言い伝え=コトツを唄に
して残した。江戸期の東西いろはかるたとの比較を通して、サンカの生活の智
慧とその口承文芸の世界を解説する、八切止夫事実上の遺作。「私たちのなか
にある、永遠の歴史的反逆者のイメージを構築するために。権力の手から逃れ、
アナーキーな社会をこの日本社会の果てに構想するために」(川村湊解説)。
http://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/
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■編集同人備忘録
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12歳少年の児童殺害、小6少女の監禁事件、回答できない生徒を5日間立たせ
続ける女性教師、民事裁判でようやく賠償金が確定した「泥酔追突」事件、相
変わらず白布を撤去しない某宗教団体、毎日のように報道される公務員の破廉
恥罪や、政治家たちの失言と汚職。私は思う。ひどく簡単なレベルの倫理、モ
ラルがあれば回避できたはずの様々な事件が、年を追うごとに増えているので
はないか、と。しかし倫理にせよモラルにせよ、こんにちほど安っぽく響いて
しまう時代が今まであったろうか。おそらくあったろう。人間は繰り返してい
るのだろう。「世紀末」は終わっていない。恐らく21世紀は丸々100年間が世
紀末なのかもしれない。壊しては造り、という高コストな悪循環から、持続可
能なモデルへの転換が求められている。サステイナビリティ(持続可能性)と
は保守や妥協の思想では断じてない。そして、倫理の絶対性は持続可能性と矛
盾しない。自然的法則と人為的法律を調停する根源としての倫理。 五月
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