2000.1.15.発行 vol.21  [嗚呼 古本人情街 号]

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■■  [本]のメルマガ                             1999.1.15.発行  
■■                                                    vol.21
■■       mailmagazine of books       [嗚呼 古本人情街 号] 
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■CONTENTS--------------------------------------------------------- 
★トピックス

★「本の周りをうろついて・・」/湯川新一
→21世紀の人口問題を斬ります。これは面白い、傑作です。

★「今日(こんにち)の芸術」/忘れっぽい天使
→待望の書店員による書店論です!!

★「中国古典で浅学菲才が直る?」/掩耳(えんじ)
→禁断の果実『荘子』を取り上げます

★読者からの投稿/朝日山さん
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■トピックス
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■古本屋と私(2)神保町田村書店の巻

前回の掲載からかなり時間が経っていまして、すみません。前回では、今
はなき池袋の高野書店について書いたのですが、読者のOさんからその後
の高野書店について情報をいただきました。Oさん、ありがとうございま
す。

前店主の知人であるOさんからの情報によれば(以下引用です)、

古書高野書店の本店は芳林堂の前をそのまま現在の丸井も通りすぎて要町
方面に行った右側にありました。こちらは社会科学に強く、たしか店頭の
看板には「書物は知識の泉、知識は革命の力」といったようなフレーズが
あったような(夢かもしれません)。

芳林堂の7階にできた支店ははじめ高野夫人が、のちに「五月」さんが愛
想のよいと書いているひとが仕切っていました。このひとは、長野市にあ
る山崎書店と言う古書店の二代目Hさんで、東京に勉強に来ていたので
す。

そのころ(20年前)から文学芸術、ことに澁澤や種村を軸にしたシュル
レアリスム本に熱心で、赤羽に住んでいたぼくも乗り換えのついでに寄っ
ては、買ったり、売ったりしていました。だんだん売るほうが多くなった
と記憶しています。

私ごとながら、父の死後ひとりで母が暮らしていた赤羽の家が駅近くの再
開発で住んでいられなくなったとき、実家に残っていた私の本と父ののこ
した本を、まとめて山崎さんにトラックで引きとってもらいました。その
すぐあと、もう10年ほど前に彼は長野に戻って店をつぎ、それからしば
らくで芳林堂の店はなくなりました。

さて、先月の末に用事で長野に行って、平安堂書店のMマネージャーと飲
んでいたら、何の話からか山崎書店の場所を教わりました。翌朝10時に
店の前まで行ったら、まだシャッターが下りていましたが、ちょうど開け
にきた女性に声をかけて、ご亭主は市内のそごうデパートの古書展に出て
いると教わりました。

そこで10年ぶりの再会! 彼によれば、高野書店の主人はその後区会議
員、いまでは豊島区長になったそうです。気がつかなかったが、オウム反
対でテレビに出てきたのが、あの高野さんだったんですね。

…以上です、Oさん、ありがとうございました。

さて、前回恨みを残した『天使論』の初版本ですが、先日神保町の小宮山
書店で購入できました。哲学書のコーナーにあった。72年6月刊行当時
1800円でしたが、3500円で購入。このほか数点の現代思潮社の絶
版本に巡り会いました。

さて、今回は小宮山書店のお隣の田村書店について書きます。私は神保町
に行くと、たいてい小宮山と田村と明倫館に行きます。急いでいなければ
厳松堂の2階にも寄ります。さらに時間があれば、古書店ではありません
が、北沢書店とイタリア書房に寄ります。どちらも洋書店です。

田村書店が扱っているのは、主に日本文学の初版本、全集もの、外国文
学、人文社会、芸術、洋書などの古本です。蔵書を売却する人々の中には
著名な方もいるようで、私も宛名の献辞が入った本を買ったことがありま
す。店長と奥様を含め、かなり有名だと思うので細かくは説明しません
が、どこかのタウン誌か何かで、店長の似顔絵付きの記事を読んだことが
あります。

「古本屋でしか手に入らないような本を探しに来てほしい」とコメントな
さっていたと思います。いまや中規模取次より売上か扱い点数だかが大き
いという、かのブックオフがテレビCMまでやって躍進しているこんに
ち、ひどくまっとうな発言だと感銘しました。たしかに、新刊なのに古本
屋で買おうとする人がいますし、棚をあまり見ないで「この本あります
か」と聞くお客さんもいますからね。そりゃアナタ、この店の棚を見りゃ
あどういう本屋かわかるでしょうに。しかし一方で、営業コンセプトのよ
くわからない本屋とか、とにかく本が雑多にあふれかえっていて幻滅させ
るお店が、古書店か新刊書店かを問わず実在したりするようですけれど
も。

店長の似顔絵というのが、にっこりほほ笑んだお顔なのですが、もう少し
描きようがなかったのでしょうか。たしか別のムックでは、いつもの眉間
に皺の寄った、苦み走ったお顔が写真で写っていましたが。私はご主人の
表情にシビアな商売人というか職人の顔を見ます。ご主人と歓談している
お客をたまに見るのですが、私は怖くてお話などできません。要塞のよう
に書物に分厚く囲まれたお勘定場でどっしりと構え、話しかけるお客は
立ったまま。丁寧な電話対応をしてくれますが、お客を見る目は鋭いで
す。ここではお客を選ぶのはこちらだ、という暗黙のルールがあるように
感じます。

このお店では日本文学や全集セットを除いて、いろんな本を買いました。
店を入って正面に文庫や新書サイズの古本が少数ですがあります。少ない
のですが、しばしばおやと思わせる品揃えです。いつのことだったでしょ
うか、その棚の一番下の段にヤーコプ・ベーメ著『霊の命について』朝日
出版社1964年初版、を発見しました。まずこの本が新書形態であった
ことに驚き、加えてこの幻の本をようやく見つけたことに大いに歓喜しま
した。当時200円の本の売値は、700円でした。

しかしその時私の財布に入っていたのはわずか600円でした。私はおず
おずとその本をレジへもっていき、ご主人に取り置きを請いました。言下
に「ダメ。700円ばかりを持っていないはずがない」とつっぱねられま
した。やっぱりこの人は怖い。私は600円しか入っていない財布にもう
一度目線をこぼしながら、「すぐに引き取りに来ます。名刺も置いていき
ますから」とお願いしました。すると、「あなたの顔は分かっているか
ら、今日はこのまま持っていっていいよ。次に来た時に払ってくれれば」
と言われたのです。

店を後にした私はやっと手に入れた悲願の本をためつすがめつしながら、
意識はここにあらず、ご主人とのやりとりが胸の内に反響していました。
なぜって、私はたしかに月に何度か来る客で、自分なりにお金をここで落
としてきましたけれど、まさか顔をしっかり覚えられているとは思わな
かったからです。ご主人と言葉を交わすことなどないに等しい、ひっそり
した客のはずだと思い込んでいた私は、うれしいやらはずかしいやら、一
徹なご主人の対応にややお門ちがいな短気を起こすやらで、仕事場に戻っ
てからも頭の中はぐるぐる回っていました。

勘定を済ませていないものを手元においているのは居心地が悪いもので、
数時間後、ご主人の元に支払いに行きました。700円を硬貨で差し出す
と、ご主人は「小銭もなければお昼も食べられないじゃない」とほほ笑ん
でくれました。恥ずかしくて「はあ」とうつむきながら、「でも本当に欲
しかった本だったのでよかったです」と答えました。「そうだろ、いい本
だろ、あんまり手に入らないよ」、そうご主人は言いました。

思えば700円というのは本当にお買い得でした。滅多に見かけない本な
のに、高額をつけなかったご主人の商売人としてのセンスにも感動しまし
た。実はその日なぜ財布が寂しかったかというと、田村書店に寄る前に、
三省堂本店裏にある私の好きなバルチックカレーで早めの昼食を済ませて
いたのです。まあカレー自体もたかだか650円ぐらいかなので、たとえ
食べなかったとしても貧しいには変わりないのですが、あの時バルチック
カレーに寄ってなかったら、田村書店でああいう体験はしなかったわけで
す。

このほかにも田村書店ではいろいろなささやかな発見をしたことがありま
すが、それはまた次回の話にします。ご主人と言葉を交わした私はその後
かえって恥ずかしくなってしまって、なるだけご主人の目に入らないよう
に在店時間の短い客としてしばらくふるまっていました。買う本の種類で
お客の人柄というものは分かるものです。私はご主人にとってまだまだ大
した客ではないのではないかと思って、引っ込み思案な自分のまま、田村
書店に立ち寄っています。

さて、ドイツの神秘学者であるベーメのこの本そのものについてもひとこ
とコメントしたいのですが、これもまた少し長めの体験談を交えることに
なりそうなので、別の機会にゆずることにします。ではまた皆さんごきげ
んよう。

追伸:アントニオ・ネグリのブックリストを『転覆の政治学』(現代企画
室)刊行に合わせて配布したい、という記事を先日書きましたが、刊行さ
れた現在もまだ仕上げておりません。今月中にはナントカしたいと思って
おります。
[2000年1月8日文責:五月]

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■「本の周りをうろついて・・」/湯川新一 
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「人間、線さえ引けば相当なことができるぜ」その1

大騒ぎの2000年の幕が開けて1週間が経とうとしている。コンピュータ
ーの誤作動も私の見聞きする範囲では人命、ライフラインに関わるようなと
ころでは起きてない。アメリカは派手に「2000年問題は撃退した」と勝
利宣言し、日本も地味におこなった。

コンピュータ系の友人は12月30日から会社に泊り込みで何も起こらなか
った3日間を寂しく過ごした。別の友人は大した用事もないのに世間の雰囲
気におされ会社で新年を迎えた。また、別の友人からは以下の年賀メールが
届いた。
「2000年危機に備え、我が家では年末から買い出しにいそしみ、水120
リットル、米15キロ、チョコレート20枚、コンビーフ缶10缶など、諸々の物
資を穴蔵の小動物よろしく、狭いマンションにため込んで、テレビのカウン
トダウンを息が詰まる思いで見つめていました。
幸いなことに大事には至らず、私たちは少々がっかり、というのは冗談で、
非常用カセットコンロで湯豆腐をこしらえて新年をお祝いしました」
ちなみに私は2リットルだけ水を蓄えるにとどまった。120リットルかぁ
・・・。

人それぞれ、この問題を考え、それが起きた時のことを想定し備えたようで
ある。来ると思われる問題・危機に対する反応・対応の仕方は人それぞれ違
うようで・・・。
これが今回、次回あたりで書こうとすることです。

人間が作ったはずのコンピュータが私たちの生活の見えない部分まで深く浸
透し、手に負えなくなりはじめ、人間の生命を危機に陥れるまでに成長して
いることに改めて気づかされた。たまに暴走の気配・警鐘を感じさせるよう
なことは引き起こしてくれるけれども、今回は大枠では許してもらえた。
以後も暴走する事無く見逃し、許し続けて欲しいものです。

年末23日のTBSテレビの再放送『21世紀プロジェクト・筑紫哲也・立
花隆、ヒトの旅、ヒトへの旅・・世紀末・人類最先端スペシャル』をご覧に
なった方も多いと思う。その中で世界の知識人たちにメールインタビューで
「将来の最大の危機は?」というコーナーがあった。危機と考える第1位は
「人口爆発」第2位は「戦争」第3位は「環境破壊」以下「テロ、独裁国家
」「エネルギー・資源の枯渇」「未知のウイルス」「巨大隕石の衝突」「人
間の愚かさ」「気候大変動」「地球温暖化」へと続く。ざっと見るだけでも
これらの危機は単発でくるものではなく複合・前後して起こるということが
分かる。

今回は多方面に関係してくる第1位の「人口爆発」についていくつか資料を
あたりましたので、少し書こうと思います。

「世界人口の歴史的推移」の図をみると18世紀初頭からキュンとほぼ垂直
に近い線で人口の増加が表わされている。
200万年前は(猿人)100万人、50万年前(原人)170万人、1万年前
500万人、7000年前農業革命で6600万人、紀元1年には灌漑農法
・その他の技術革新により1億3000万人を超えたといわれている。(当
然のように学者によって幅広い違いがある)
1700年6億8000万人、1750年7億7100万人、1800年9
億5400万人、1850年12億4100万人、1900年16億340
0万人、1950年25億3000万人、1960年に30億突破。199
0年52億9200万人。1998年には約59億3000万人前年比81
00万人増。米商務省は1999年7月についに60億を超えたと発表した
。1960年に30億人突破であるから40年足らずで世界人口は2倍を超
えたことになる。

地域別(1998年資料)ではインド、中国を抱えたアジア地域が世界の約6
0%を超える35億8900万人、アフリカ7億7800万人、ヨーロッパ
七億2900万人、北中アメリカ4億7200万人、南アメリカ3億320
0万人、オセアニア2900万人である。
1997年から1998年の人口増加は、ヨーロッパ・オセアニア100万
人以上の増加なし、北中アメリカ・南アメリカ500万人増、アフリカ20
00万人増、アジア5100万人増、となっている。

日本はどうかというと鬼頭宏教授のまとめによれば次のように概観すること
ができる。縄文前期11万人、縄文中期263万人、縄文後期161万人、
弥生602万人、750年559万、900年644万人、1150年69
2万人、1600年1227万人、1721年2128万人、1786年3
010万人、1792年2987万人、1846年3242万人、1875
年3653万人、1900年4439万人、1920年5596万人、19
50年8390万人、1975年1億1194万人、1980年1億170
6万人。直近の総務庁統計局発表では1998年10月1日現在の日本の人
口は1億2648万6430人である。

ジョエル・E・コーエンは過去1万年にわたる人間の増加と減退を「4回の
進化」と呼んで要約している。
@アフリカ、中東、アジア、メソアメリカ(メキシコ中部を含む中央アメリ
カ一帯)で発生した「ローカルな農業の進化」(紀元前8000年〜4000
年)
A異なる大陸で開発された栽培変種を共に利用しあい、産業革命の時期とも
一致する「グローバルな農業の進化」(1650年から1850年)
B「公衆衛生の進化」(1945年頃から始まり現在に至る)
C「出生率の進化」(1785年頃からフランスとアメリカで始まり、現在
でも始まっていない地域がある)・・・人口増加率が年々減少し続ける。

この爆発的な人口増加に応ずるようにエネルギーという20世紀を特徴づけ
るキーワードが浮かびあがる。1人あたりが利用可能なエネルギー量もまた
爆発的に増加している。換算法がいくつかありますが以下の2つを記します
。@1800年には0.13メガワット時/人、であったものが1950年
には4.7メガワットという具合に、人口の伸び率よりもさらに速い速度で
増えている。(1メガワット時/人というエネルギーは、エネルギー量で換
算すると、1日24時間、1年間毎日奉仕を行なう1人の奴隷に相当する)。
1860年0.9メガワット、1950年8.2メガワット、1990年に
は19メガワットに増大している。『新人口論ー生態学的アプローチ』より
A1919年のイギリスで1人あたり20人のエネルギー奴隷を使っており
、1960年には81人になっていたという推定がある。イギリスのエネル
ギー消費は1960年と比較して、今1.3倍になっているから、エネルギ
ー奴隷は105人に増えているということになる。アメリカは1960年で
1200人という説があり、エネルギー消費の伸びが1.4倍になっている
ので換算すると何と1680人ということになる。これに人口を乗ずればそ
の伸びは他の世紀と比べ天文学的な差がつく。
それを発電量でみると、アメリカの場合、20世紀はじめの総発電量は1億
キロワット時に満たなかったが、第二次大戦が終わる1945年には200
0億キロワットを超え、1994年では3兆キロワット時を超えている。

将来の人口動向は1996年国連推計によると世界人口は2010年に68
億9078万人、2030年に83億7160万人、2050年に93億6
672万人と推測されている。また、その増加の90%以上は現在の開発途
上国にあらわれるとされている。
日本の場合は1997年厚生省が発表した「日本の将来人口」によると20
00年1億2689万人、2007年2778万人をピークに、その後は減
少に転じて2050年には1億50万人になると予測している。

20世紀は先進国の少子化と途上国の人口爆発が同時に起きた。地球の人口
増加はなお続くが、21世紀は少子化が地球全体に広がる。国連人口基金に
よると、現在でも61ヶ国で合計特殊出生率が人口が維持できる水準の2.
1人を下回っている。2015年までには世界人口の2/3に相当する87
ヶ国で同じ状態になると予測されている。(人口転換論・出生率の進化)

次に関係してくるのは地球の人口許容量である。エネルギー問題、地球環境
問題等々考えられるが、ここでは基本の食料問題だけ取り上げることにしま
す。前提として、これから開発される農地の森林への転用を考えず、農業の
生産性を現時点でピークに到達しているものとして、主食となりうる作物に
よって試算すると、次の3つのケースが考えられる。(レスター・ブラウン)
@現在の国別の食料消費水準をそのままにした場合、収容可能人口は77億
2600万人。
A1980年のすべての国の世界平均の食料消費水準をそのままにした場合、
収容可能人口は100億1500万人。
B1980年のアメリカの1人当たり食料消費水準を人類全体に当てはめた
場合、収容可能人口は38億9300万人。
となる。
このほかにも諸説あり、12億という人もいれば菜食で生きるなら400億
は可能という説もあるが、その多くは地球の人口許容量の限界にすでに入り
つつあるか、あるいは半世紀以内にその領域に達する可能性があると推測し
ている。

人口増加を回避する方法はいくつかすでに実施され提案されている。コーエ
ンは人口増加を抑えるための6つのアプローチとして「避妊の促進」「経済
開発」「子供の救済」「女性の地位向上」「男性の教育」「そしてこれらす
べてを実行すること」と提案している。

結局はどの資料を見ても将来については不確かで、あくまで推測でしかない
。すべては私たちがこの将来くるであろう危機に対し、どのような生活をし
たいか、人生で何が重要か、等に基づいてどのような選択をするかというこ
とである。その選択が個人、家族、共同体、国家によってなされる場合、同
等の他者と互いに影響を及ぼしあう。そして、それは私たち個人の身体に強
烈に関わる選択でもある。

参考図書
『文明の人口史・人類と環境との衝突、一万年史』新評論、湯浅赳男
『環境と人間の歴史』新評論、デイヴィッド・アーノルド
『新人口論・生態学的アプローチ』農文協、ジョエル・E・コーエン
『世界国勢図会1999/2000』国勢社
『日本国勢図会1999/2000』国勢社
『文芸春秋1999/2・20世紀知の爆発』立花隆
『朝日新聞』等

次回に続く。それでは、また。
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■「今日(こんにち)の芸術」/忘れっぽい天使
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お客様を待つのはやめにしよう
                                   
今回は「芸術」の話はお休みにして、書店の在り方についての考えを語っ
てみようと思います。ぼくも書店員の端くれであることですし、ね…。

大書店乱立の時代。いかに大店法が緩和されたとは言え、この不況下にこ
れ程の数の大型書店が生まれようとは…。しかも書店同士の生き残りを賭け
た熾烈な戦いが、それぞれの書店の個性の競い合いではなく、「大衆のニー
ズ」を代表するとされる限られた範囲の傾向を持つ商品の奪い合いに終始す
る結果になるとは…。各書店の店頭に並ぶ商品の均質化は恐ろしい程進んで
しまい、一握りのベストセラー本の確保と、売れる時期が去った後の大量返
品が仕入部の主な仕事となり果てている。新刊の寿命は短くなり3年棚に残
ればいいほうである。相変わらず無愛想な接客−人件費抑制のため社員数が
激減し、時給の安さのためにベテランアルバイトが居着かなくなった−は客
離れに一層拍車をかけている。店員の知識不足は決定的だ。特に人文書売り
場。納品している店員に一言声をかけ、基本図書の在り処について質問をし
てみるといい。その店員の担当外の分野の人文書については初歩的な知識も
持ち合わせていないことがすぐにわかる。
この点で、書店はHMVやタワーレコードなどの大手のCDショップに大
きく水をあけられている。CD屋さんでは社員もアルバイトも、「好きでや
っている」人が多い。マイナーなジャンル、例えば民族音楽とか現代音楽の
場合でも、これぞというものには内容を細かく説明した手書きのPOPがつ
けられており、いじわるな質問をしても(ごめんなさい!)熱心に調べてく
れる。それも国内盤だけでなく輸入盤もである。書店の場合だと、大抵の所
は洋書と和書が完全に分けられてしまっており、互いの交通は無きに等しい
。
更に大手のCDショップの中には自前のフリーペーパーを作って、レジ前な
どで配布している所がある。原稿は、依頼の場合もあるけれどかなりの部分
を社内の人間で書いていて、現場で商品に触れている人ならではの鋭い指摘
にハッとさせられることも多い。書店の絶対数に比べ、(ヴィレッジ・ヴァ
ンガードのような例外はあるにせよ)「本が好きでしょーがない」という気
持ちを全面に打ち出した本屋の少なさには愕然とさせられるしかない。ハイ
テクの賜物であるCDに比べ、ローテクである書籍の分の悪さはいかんとも
しがたい。投入される資本の差は即人材の質の差となってハッキリ現れる。

だいたい、「百貨店」などというものは19世紀の産物ではないか。商品の
大量生産が可能になった時代に、それに見合う大量消費を実現させる場とし
て百貨店という存在がいかに新鮮な魅力を放ったかは想像に難くない。そこ
には個々の商品の集合以上のもの、「豊かな生活」という概念そのものが売
られているかのような幻想を起こさせるものがあったのだろう。20世紀に
なりマス・メディアの発達はその幻想を更に加速させていった。
しかし、20世紀も末になると気分は変っていく。物も物を売る場も溢れて
いる。生きるために必要なものはひと通り揃ってしまっている。日用品を揃
えるために血眼になる時代は終わってしまったのだ。自分が一体何を欲して
いるのか、わざわざ頭をひねらなくてはならなくなった。そしてどうしても
必要な物があるならインターネットで注文して取り寄せればいい。わざわざ
交通費をかけて書店に足を運ぶことなどないのだ。扱う商品の質の見極めで
はなく、純粋に流通上の工夫を凝らしに凝らしたセブン・イレブンのような
企業が、あるいはマス・メディアの力を極限まで使って店のイメージそのも
のを商品化することに成功したマツモトキヨシのような企業が、小売業とし
て例外的に快進撃を続けていくことになる。それは当然のことなのだ。

それでは書店はどうやって生き延びていけばいいのか?  
(以下次号)
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■ 中国古典で浅学菲才が直る?/掩耳(えんじ)
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言葉にはまらないということ

今回は、中国古典禁断の果実、『荘子』を紹介してみたいと思います。

『荘子』の思想は、例えば「無用の用」(必要ないからこそ、必要である)
や「万物の根源には道がある(いわゆるタオイズム)」などの思想が有名で
すが、ここでは『荘子』がもっとも現代的であるゆえんの考え方を紹介して
いきたいと思います。それはー

「言葉は不完全な、薄気味の悪い道具である」

ということです。例えば『荘子』にこんな話しがあります。

斉の桓公という殿様が居間で読書していたときのこと、その庭先で偏という
名の大工が車輪を削っていた。偏は手を休めたおりに、桓公にこう尋ねた。
「殿様のお読みになっているのは、どなた様の教えですか」
「これは聖人の教えだ」
「その聖人というのは、まだ生きていらっしゃるのですか」
「いや、もう亡くなった」
「すると、殿様の読んでいるのは、昔の人のカスみたいなものですね」
桓公は色をなして怒った。
「わしが読書中に車大工風情が何を言うか。申し開きできなければ死罪にい
たすぞ」
偏はこう答えた。
「いや、あっしはあっしの仕事から考えて申し上げたんで。と言いますのも
、車輪の穴を削るとき、ゆっくりですと穴がゆるくなり過ぎますし、かとい
って速すぎますと削りが甘すぎて心棒が入りません。ゆっくりでもなく速く
もなく、この加減は手が覚えてはじめてわかること、とても口では説明でき
ません。
 そんなわけで、息子に肝心な所が教えられず、息子も受け継いじゃくれま
せん。だから七十にもなって、いまだに車輪を削ってるんで。
 殿様のおっしゃる聖人にしても、もうこの世にはいませんし、その教えに
しても、本当のところは伝えようがないでしょう。だから、お殿様のお読み
になっているのは、カスだと言うんでさあ」

――もし、20世紀の思想の基調を一言でいえ、という無謀な問いがあると
します。
それに、蛮勇をもって答えるなら、その一つとしてまず浮かび上がる事象に
「言葉はどうにも薄気味悪いものだ」という感触が浮かぶと思います。
それは、例えば神の視点から語るといった「規範論」が、ニーチェの<神の
死>などによって吹き飛ばされ、「記述論」によって物事を語ろうとして試
行錯誤を繰り返したあげくにたどり着いた地点であるとも言えます。

『荘子』は、その20世紀思想と、ある意味かなり同調しているのです。
次回、その同調ぶりをわらに詳しく追っていきたいと思います。
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■ 読者の方からの投稿/朝日山さん
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なぜこれが売れない?読者の怨念3

早川書房「ムハマド・ユヌス自伝」ムハマド・ユヌス&アラン・ジョリ

前回に引き続き、今回も早川です。個人的な主観ながら早川の単行本はなん
となく草思社と方向が似ているような気がしますが、なんで草思社ほど売れ
ないんでしょうか。ミステリ・SFの会社だと思われているからでしょうか。
この本に限って言えば、表紙デザインがダサイ。せっかく裏表紙に魅力的な
ポートレートがあるのに、なんでこれを表紙にしなかったのか?どこかの黒
人モデルの本と比べたらセンスの差が歴然です。むちゃくちゃ損していると
思います。
で、内容はタイトル通りバングディッシュで貧困層に融資するグラミン銀行
の創業者の自伝です。無担保で年利二十パーセントの利子を取るグラミンは
、銀行と言っても実際は日本のサラ金に近い金融機関だと言えるでしょう。
それがこれまで誰もできなかった貧困の撲滅を達成しようというのだからぶ
っ飛びます。創業者ムハマド・ユヌスはもともと経済学者。しかも優秀な人
なんでしょう。経済学が貧困の撲滅に何の役にも立っていないことに苛立つ
人はマルクスなど過去にいなかったわけではありません。だが彼らは研究室
の外に出ることなく、後世の研究者から矛盾だらけと指摘される本を書くだ
けだった……もっともそれは理想と現実の狭間を埋めようとした「机上の苦
闘」の跡であり、その業績を否定はしません。例外はロバート・オーウェン
くらいかな。オーウェンはマルクスが批判した空想的社会主義者?冗談じゃ
ない。オーウェンは自ら紡績工場を経営した実践家ですよ。マルクスは机上
で、オーウェンは現場で理想を実現しようと苦闘したのです。業績は別にお
いて、どっちが人として偉いかは、言うまでもないでしょう。
ユヌスはオーウェンと同じく実践者として既存の経済学や銀行、国際援助機
関を痛烈に批判します。そして我々がグラミンに対して抱く呆けた常識的イ
メージや疑問をことごとく粉砕していくのが痛快。施しは無駄、銀行は踏み
倒す人間ばかりに金を貸している、国際援助機関は金持ちを潤すためにある
……借用証書の字すら読めない人に金を貸すことで一千二百万人を貧困から
救った常識外れのベンチャーバンカーは、いわゆる聖人君子ではありません
。必要とあらば政府や国連はもちろん固有の文化、要するに大衆までも敵に
回す百戦錬磨の戦士。暴力はもちろん使わないけども、現場に這いつくばっ
て貧困と対峙する姿勢は中岡哲郎の「工場の哲学」や福岡正信の自然農法の
技術論と同じもので、ちょっと普通の人では真似のできない執念のオーラが
ゆらゆらとする。しかし真に優秀な学者がもつ、ある種の狂気はかなり抑え
て書かれており、その点は誰にも読みやすくなっているものの若干の迫力不
足を誘発していることは否めません。これは、共著者がいるところから察す
るに、アラン・ジョリが意識してそう見えるように書いたんじゃないでしょ
うか。「女盗賊プーラン」のような肉声そのまんまの方が個人的には好みだ
ったのに残念。あれは序文でいきなり泣かされたもんなぁ……。
ユヌスは経営者ですが、それでも学者です。書かなきゃならないことはみん
な書いてあります。担保なし、年利二十パーセント、災害が多発する最貧国
の最貧困層の女性に融資してほぼ百パーセントの回収を達成している秘密も
ちゃんと書いてあります。読者はグラミンのシステムの詳細を読み込むと、
冷徹かつ精緻な与信回収システムが機能していることに驚くでしょう。その
背景にある思想は決して博愛主義とは呼べません。何と言ったら良いのか…
…マザーテレサとヒトラーを一緒こたにしているというか、アムウェイと日
本共産党が合体したというか……確かにこんな男じゃないと、グラミンなん
かは作れないのかも知れません。
発売されて一年弱。本が出る前から、あちこちでグラミンやユヌスのことは
報道されていたと記憶しています。本が売れる機は熟していたはず。にもか
かわらず、いまだこの本は初版のままのようです。なぜなんでしょう。
初版を十万部くらい刷った?それはないでしょう。表紙がダサい?それはそ
うですけど、それなら各社の新書なんて売れる訳ないじゃないですか。タイ
トルが悪い?うーん、ユヌスの知名度を高く見積もりすぎた可能性はないと
はいえませんが、だったらプーラン・デヴィも売れるわけがない。値段が高
い?二段組350ページで2200円ですぜ。内容も1ページあたり字数もページ
数も少ない誰かの生き方本と比べたらコストパフォーマンスは比べ物になり
ません。自伝は内容に当たり外れが大きいので読者が警戒した?そうかも知
れないけど、これほど異色のビジネスマンはそういませんぜ……要するにさ
っぱり理由がわからない。特に金融業に携わっている人なら絶対読みたくな
ると思うんですが……書店関係者の皆さん、「バングラディシュの商工ロー
ンはノーベル賞候補」なんてPOPでも作って平積みしてみません?
ああ、それで思い出した。ユヌスはノーベル平和賞の有力候補だという。な
んで経済学賞の候補にならないんだろう。LTCMに大損させ、米国政府に
史上初めて投資信託に税金を投入させた学者は何の賞を貰ってましたっけ(笑
)。もはやノーベル賞は世界一の権威など、ないんでしょうな。世界一権威あ
る賞は何なのか、だれか教えて。

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■あとがき
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>取次ぎ、柳原書店の倒産がかなり波紋を読んでいるようですね
>S社で一億、H社で三千万の貸し倒れの可能性もあるとかいう噂も・・・
それに、柳原書店の扱い書店で、他の取次ぎが後がま争いを演じているとか。
>やはり、書店の倒産とは比較にならない影響が出るんですね・・。さらに大
規模な取次ぎが万一倒産にでもなれば、連鎖倒産も当然あり得るわけですな。
>それは出版界最悪のシナリオですね。まあ、今までのつけが回ってきただけ
とも言えますが・・・
>お互い知恵を出し合って、少しでもこの業界を良い方向に持っていきましょ
う。そのためのご意見、ご提案、どしどしお寄せ下さい。
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