2000.2.5.発行 vol.23  [椅子からはみでるほどの 号]

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■CONTENTS--------------------------------------------------------- 
★トピックス

★「マエストロ鏡玉のメディアジャーナル」/マエストロ鏡玉
→ニューアカとはなんだったのか! 鋭い論考が続きます

★「一字千金の記」/グッドスピード
→帳と帖の関係は? 復刻本に関するあれこれです

★「虚実皮膜の書評」/キウ
→現代の葛西善蔵(?)、町田康の新作を取り上げます

★「美人書店員の赤裸々な日常」/あくびちゃん
→オウ、日本人ノ女ノ子、ミナ尻軽ジャナカッタノデ――スカー?
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■トピックス
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■駸々堂書店&出版倒産
売上全国22位の大手書店チェーン、駸々堂書店と、ラスターなどの参考書
で知られる駸々堂出版が、1月31日自己破産しました。
バブル景気の頃、駸々堂出版の方の放漫経営(売れない豪華本などの企画
など)により三十億の赤字を出し、また、書店の方の労務対策がうまくい
かず、人件費が異常な割合になっていたのが遠因になった、と指摘する元
書店社員もいます。
いずれにせよ、その135億ともいわれる負債の、日販などへの悪影響が
懸念されます。
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■「マエストロ鏡玉のメディアジャーナル」/マエストロ鏡玉
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 第9回 現代日本浪漫派批判序説2(仮題)

 ロマン主義あるいはロマン主義的という語を「過去であれ未来であれ、
ここではないところに救済を措定するありかた」と定義して、そんなあり
かたを批判していこうと思ったのだけれど。ロマン主義を批判する人間が
いちばんロマン主義的になってしまうことに気づいてしまった。これから
どう書いていこうかな。以下、考える材料をとりあえずあげていきます。

 
 前回の浅田彰氏の発言をうけて、アジテートし、アジテートされる関係
から80年代という時代、状況を見てみようと思い、中沢新一氏と同じよう
な軌跡をたどった島田裕巳氏の発言をみてみよう。少々、趣味が悪いかな。
そして大澤真幸氏の『戦後の思想空間』(ちくま新書)から最近よく耳に
する「もの言い」を引用します。

グルの衣を着る

「もし中沢新一論が書かれるとすれば、それは私の仕事だと漠然と考えて
きた」と島田氏は別の論考で述べる(「私の中沢新一論」1996年6月号「
宝島30」掲載)。「それは第一に、中沢と私が学問上の氏を同じくしてい
ることによる。私にとって中沢は、東京大学文学部の宗教学研究室の先輩
にあたる。指導教官はともに柳川啓一だった。柳川は故人となった現在、
宗教学者としては必ずしも著名であるとはいえない。しかし、中沢も私も、
宗教学者とての自己を形成する過程で、その影響を強く受けた」
「柳川は、1972年に書かれた「異説宗教学序論」というエッセーのなかで、
宗教学がゲリラとしての性格を持つことを指摘した。さらに、78年に刊行
された『講座宗教学5 聖と俗のかなた』の序文では、「聖と俗は、二元
的に対立しているといっても、相互に補足して一体をなしている。機能と
しては日常の体制を精神的に補強しているに過ぎない。人間はおのれの変
革のためには、聖と俗の「かなた」に飛ばなくてはならない」と述べてい
た。この師のアジテーションに応えるかのように、私は山岸会というコミ
ューンの世界に飛び、中沢はチベット密教の世界に飛び込んだ」
(この文章の結論は中沢氏はオウム信者のグルになろうとしているのか、
もう関わるのはやめた方がよいという結論になっている)

 若者たちの神々

 「朝日ジャーナル」は1984年の4月から「若者たちの神々」という連載
対談をはじめる。ホスト役は筑紫哲也氏である。当時の若者たちに強い影
響を与えていた人々を一年にわたって紹介する企画だった。登場した人は
総勢で51人(補足1)。

 オウム事件後、大学を退職した宗教学者の島田裕巳氏は同名の論考のな
かで、1960年安保、70年安保、アングラ演劇などに言及しつつ、80年代の
「若者たちの神々」の登場を当時のバブル経済前夜の状況とともに分析す
る。「そういった若者たちの神々は、テレビや雑誌などのメディアで華々
しいあつかいを受け、若者たちの強い憧れの対象になった。その意味では、
彼らも若者たちが自己を確立していくためのモデルとしての役割を果たし
ていた。しかし、彼らが社会のなかで行っていた活動は、主に衣服やレコ
ード、書籍といった商品、しかも大量に販売される商品の開発や宣伝など
であり、消費の対象を生産することであった」。
 90年代に入り、バブル経済が頂点を過ぎ、宗教や精神世界がブームにな
るなか、そうした領域からも神々が出て、オウム真理教の麻原彰晃もその
一人であった、と氏はいう。麻原を若者たちの神々としてとらえたとき、
さきの神々とはどう違うのだろうか。後者にあった反体制の集団なり、消
費社会なりといった支持基盤が、前者の場合にはもはやなく孤立していっ
たことを島田氏はあげ、こうした「若者たちの神々」がきわめて危険な存
在になることをオウム真理教事件はしめした、と結んでいる。
 不思議なことに中沢氏への言及がほとんどされていないこの文章だが、
彼を念頭に書かれたものだと、私は理解している。

 消費社会的シニシズム

 「いくらなんでもこんなくだらねぇことやったら、消費社会のなかでの
差異化ゲームなんてのもやめんだろう」という戦略的態度で、浅田氏、蓮
実重彦氏は『構造と力』などの著作を上梓していて、彼らはそうした方法
で、知=思想の消費化を終わらそうとしていたのに、実際にはそれを本気
にうけとる人を多く産み出してしまった、と大澤氏はいう(これが本当だ
としたら、両人ともすごい悪人だと思うのだが)。ここに氏は80年代の思
想「消費社会的シニシズム」をみていくのだが、この思想がどういうもの
か、あまり私にとって重要でなく、氏の次のような言い方を重要視したい。

 「悲惨なのは、ニューアカで学んだ人たちですね。つまり浅田さんたち
が終わらせようとしたことそのものを、まともに学習し、そのままやって
しまった人たち。おそらく浅田彰を当時大学に入りたてとか、高校ぐらい
で読んでしまった人たちは「ニューアカみたいになりたいな」と思ってや
ったので、とても悲惨なことになっているんです。それは、今、年頃でい
くと30前後ぐらいの人が多いんです」(『戦後の思想空間』大澤真幸著、
ちくま新書)。
 
 「ニューアカの人は別だけど、ニューアカを真に受けた人は悲惨」とい
う言い方。最近よく聞かれるこの言い方。私はこうした発言を自分に向け
られたものと思って、真に受けたバカなひとりとしてひきうける。「〜〜
は別で」という留保に、オウムの信者に関して浅田氏が言った「著者は真
に受けた馬鹿な読者の面倒までみられない」に通じていると私は思う(大
澤氏は切り離せているようだが)。

 次回は流れを整理して、もう一度中沢新一さんにもどって、彼の思想、
著作をみていこうと思っています。ではまた。


 補足1 
若者たちの神々51人(島田裕巳氏「若者たちの神々」より引用、出演順)
分野別にならびかえると面白いかも

浅田彰、糸井重里、藤原新也、鈴木邦男、椎名誠、如月小春、村上春樹、

坂本龍一、森田芳光、ビートたけし、野田英樹、新井素子、北方謙三、日
比野克彦、島田雅彦、林真理子、大竹伸朗、三宅一生、松任谷由美、村上
龍、山下和仁、戸川純、山本耀司、橋本治、菱沼良樹、中島梓、伊藤比呂
美、楠田絵里子、中沢新一、小栗康平、細野晴臣、片山敬済、ねじめ正一、
松本隆、大戸天堂、鴻上尚史、高橋源一郎、タモリ、渡辺エリ子、川崎徹、
山口小夜子、井上陽水、嵐山光三郎、中上健次、南伸坊、北村想、天児牛
大、桑田佳祐、里中真智子、田原佳一、田中康夫

 人選は「朝日ジャーナル」=筑紫哲也の趣味だろう。彼らが当時から15
年以上も活躍し、日本のマスメディア、マスカルチャーを担ってきている
ことを、どう考えるのか。いっしょくたにされることをもっとも嫌がるの
は、ここにあげられた人たちだろう。またいちばん「朝日ジャーナル」を
読んできただろう(年代の)人々が、そんな雑誌があったってことを「忘
れて」いることはなぜだろう?
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■「一字千金の記」/グッドスピード
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「復刻のはなし」

このかん、復刻本の編集に関わった。復刻本といってもいろいろな刊行の仕
方があるが、今回のものは、原本を写真に撮って原本のままに作る「複製」
ではなく、新組にして、旧字を新字になおしている。その意味でもたいへん
な作業だった。片塩二朗氏の『活字に憑かれた男たち』(朗文堂)は、文字
どおりロマン溢れるとても面白い本だが、この本の中にも登場するアマチュ
ア印刷家・井上嘉瑞の論文「欧文活字ム始源・変遷・印刷構成の研究」が収
められた『書窓』という印刷専門誌(昭和16年刊)の復刻である。
監修者の紀田順一郎氏も、これは印刷文化の根本資料として大きな価値を有
している。さて、実際の作業だが、新組なので、まず原稿を作らなければな
らない。そこでたいへんなのは旧字を新字に直すこと。でも実はこれはそう
難しいことではない(少なくとも私にとっては)。面倒なのは、旧字/新字
の対応以外の文字である。それは、いわゆる「現代表記」というものだ。
たとえば、手帳の「帳」。つまり、「帳」と「帖」は旧字と新字の関係では
ないので、気軽に直してしまうことはできない。それに、原本には両方の字
が使われている。また、「少ない」と「尠」。この字も旧字/新字の関係で
はなく、いわゆる「現代表記」である。そういうのがいくつかあってそれら
をひとつひとつチェックしていくのである。
その他、もちろん、誤字/脱字は適宜訂正していく。でも、その校正作業を
続けていくうちに、復刻とはいえ、なぜ2000年を生きている自分が、60年も
前に出た本の校正をしなくちゃいけないのか、という思いが強くなってくる。
けれど、それが「本」っていうものなんである。
蛇足になるが、昭和16年といえばまさに戦中で、欧文(ローマ字)など敵
の言葉である。それなのに、よくもこういう雑誌が出せたなと、当時の出版
人の気概にただただ驚き、敬服するばかりである。
(第6回・了)

【文字化けした前号を再掲載いたします。ゴ、ゴメンナサイ】
「一字千金の記」連載第5回
「活字は魔物」
グッドスピード

 洋の東西を問わず、書式の蟹行と縦走とを論ぜず、活字は実に気まぐれな
いたずらものである。校了のときにはすっかりよかったはずなのに、刷りあ
がったのを見ると、コンマやピリオドが姿を消して資本家に大損をさせたり
、“God is nowhere”が“God is now here”となっていて、著者の無神論
者を唖然たらしめるごとき辛辣な皮肉もあえてする。たしかに魔物だ。

 これは、英文学者で書誌学者の寿岳文章の「誤植異聞」という短い文章にあ
る一節である。この「誤植異聞」という随筆には、とくに欧文の誤植にまつわ
るエピソードがいくつか紹介されている。上記の引用箇所もその一つ。
 今回は、そのなかの傑作を紹介したいと思う。

 ドイツ語の‘Machten(aの上に¨が付く)’(=powers)が‘Madchen
(aの上に¨が付く)’(=girls)と誤植されたために、宰相ビスマルクの
声明が「余はすべての少女に対し正直にして単刀直入なる関係を保持せんと
欲す」となったのは有名な逸話であるが??とまえふりしつつ、
 フランス語の‘soi’(=oneself)の語尾に‘r’が一つ忍びこんで‘soir’
(=night)となり、フランスのある女流作家の書いた小説中の、「ほんとの恋
を味わおうと思えば、われわれみずから出かけなくてはならない」というく
だりが、「ほんとの恋を味わおうと思えば、われわれは夜に出かけなくては
ならない」と変っていた??。

 ほとんどこれはいたずら好きな(でもユーモア感覚のある)植字工か校正
者がわざと仕組んだに違いない。
 それから、もう一つ。
 
 かつてPillow将軍がメキシコ戦争に武勲を立てて帰ったとき、合衆国南部
の一新聞はかれに‘battle-scarred veteran’(「名誉の負傷歴々たる老将
軍」)の敬称をあたえて歓迎した。しかるに実際紙上に印刷されたのを見る
と、‘battle-scared veteran’(「腰抜け老将軍」)となっていたので、将
軍は主筆を訪ねて訂正を乞うた。主筆はもとより周章狼狽し、早速翌日の新
聞に陳謝の言葉を掲げ、穏やかならぬくだんの語句を訂正したのであるが、
さてそれが印刷されてくるとどうだろう、わが親愛なる将軍は‘bottle-sca
rred’という珍無類のepithet(形容詞)を頂戴しているではないか!

 ほとんど、四コマまんがのギャグの域に達している。
 しかし、これらの誤植談義は、その道(英文学・書誌学)ではとても偉い
先生によるもので、ほとんど嬉々としてこうしたエピソードを披瀝している
のである。寿岳先生も相当好きものである(でもこの随筆の眼目はいたって
まじめな書誌論になっているのだが)。
 みずから「活字餓鬼」と語る寿岳先生にあやかるべく、日本語での究極の誤
植を探すグッドスピードでありました。
【なお、「誤植異聞」は、寿岳文章著/布川角左衛門編『書物とともに』(冨
山房百科文庫)に収められています】

●活字版「VOW」のネタを募集しています。本や雑誌などで見つけた面白い「誤
植(誤字)」がありましたら下記のアドレスまでお知らせ下さい(謝礼はでま
せん)。E-mail:ryuz@cf6.so-net.ne.jp(グッドスピード)
(第5回・了)
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■「虚実皮膜の書評」(「私小説的書店員」改題)/キウ
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「俺、南進して。」 小説・町田康/写真・荒木経惟  新潮社

 町田康の新作(99.9)は荒木経惟とのコラボレーション。小説のあいまあ
いまに荒木経惟の写真が配されていて、一応はストーリーを追っているよう
で、小説の主人公と目される町田康自身が被写体になっている(荒木経惟も
写真に登場していたりして、誰が撮ってるの? と思ったりもする)。帯に
は「大阪の街を彷徨う町田康を主演に荒木経惟が濃密な写真を撮り下ろし、
その写真からインスパイアされた町田康がスリリングな小説を書き下ろした
。」とあり、写真が先にあって小説が書かれたようなのだが、それ故の息苦
しさみたいなものが作品を支配していて、町田康の悪戦苦闘振りが目似つい
てしまった。

 町田康の作品の魅力は、ユーモアのセンスにあるのだけれど、それが感じ
られない。これまでの作品は、言葉使いの、一種独特な品のよさと猥雑さが
小気味よいほどのテンポと案配で繰り広げられていて、物語としては破綻し
てしまっているにも関わらず、町田康ならではの世界を形成し得ていた。偏
執狂的な傾向と全く逆の崩壊感覚が同居してしまっている登場人物が、読み
手の現実感覚に深く切り込んでくるような凄みがあった。こちらを翻弄し、
大笑いさせ、ある意味清涼感さえ覚えさせる語りの世界があった。残念なが
ら新作にはそれらを感じることができなかった。

 主人公はとてもいい加減な感じの小説家。いくつかの原稿締切りに追われ
ている。かつてつきあっていた女から自分の過去の犯罪をネタに揺さぶりを
かけられる。原稿締切りから逃れるようにして、その女の住む街(大阪?)
へ。またそこでも事件に巻き込まれる。大阪に着いてから書きはじめた小説
が現実と交錯したりもする。

 もともとストーリーを構築して勝負する作家ではないので、話の筋を紹介
しても意味がないのだが、その作家にして文章からユーモアが抜けてしまう
と、盛り上がらない。町田康には「人間の屑」というケッサクな小説(「夫
婦茶碗」新潮社・収録)があるのだが、笑えない「人間の屑」は本当にただ
の屑になってしまいかねない。そのギリギリのところをいってしまっている
からこそ町田康の作品には魅力があるのであって、その魅力を支えているの
は文章(というよりも言葉使い)であってみれば、今作のような緊張感の抜
け落ちてしまった文章では、この種の人間像を、文学としては支えきれてい
ないと言わざるを得ない。

 それまでの作品にあった非現実感が後退しているのも惜しまれる。犯罪な
どの描写が妙に生々しい。強姦、殺人、乱交など、あえて描くのであれば、
これまでの得意の語りでその深刻振りを骨抜きにしてしまえる部分を、リア
ルに書いていたりする。むしろこの作家の本領は大黒様を捨てるために四苦
八苦したり、冷蔵庫の卵の並び順を維持するために悶絶するといった、ナン
センスさにこそあったのに、リアリズムでやってしまっては、しっかりとし
た物語なくして、作品の魅力を引き出すことはできないだろう。

 物語を構築する力量に劣る作家が、作家として生き残っていくことの困難
さを感じる。作品を量産しなければならない状況で、それにはいつまでも同
じことをやっているわけにもいかず、というなかで、町田康がこれからどう
いうふうに作品を積み上げていくのか、正念場というようにも思える。

 町田康の作品を読んでいると大正時代の破滅型私小説作家・葛西善蔵を思
い浮かべてしまう。葛西善蔵はどうであったか。やはり大作を残すこともな
く、「人間の屑」のような主人公を描き、最後は酔っ払いの管のような口述
筆記雑文を残して死んでしまった。そういう作家生命もあるだろうけれど、
町田康の今後を、「くっすん大黒」や「夫婦茶碗」のファンとしては、大き
な期待とともに見守ってしまう。
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■「美人書店員の赤裸々な日常」/あくびちゃん
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Who Are You?

昨年の11月、鬱々とした毎日が嫌になって、突然バリ島へ旅行をした。照り
つける太陽、青い海と、抜けるような青空、街中に漂うハイビスカスの香り
。これぞ南国。
短い滞在ではあったが、なかなか面白い体験が出来た。
バブル期に日本人観光客が多かったせいだろうか、現地の人々はなかなか日
本語が達者である。海で遊んでいると、向こうからサーフボードに乗った青
年が「モウカッテマッカー?」と言いながら近づいてくる。街を歩いている
と、土産物屋の店員達が「ヤスイヨ〜」と話し掛けてくる。それも肌の黄色
い我々にだけ。白人にはまったく声を掛けていない。
そして良くボッたくる。この国は値段なんてあってないようなものだ。何か
ら何まで吹っかけてくる。最後のとどめは現地空港のデューティー・フリー
の店員までも。
しかも値段の交渉になると英語を使う。バリは世界的な観光地だけあって、
彼等は母国語のほかに、日常会話程度の英語が喋れる。だから英語恐怖症の
日本人は良いカモなのだ。言ってることが良く分からないから、言われた通
り支払っているのだろう。そうじゃなきゃ、こんなに日本人ばかりがボラれ
ているはずはない。
海外旅行といいつつも万年金欠の我々は、おいそれとは引き下がらない。同
行者がバイリンガルであるというのも手伝って、値切り、交渉し、最後には
キレる。そんな私たちに彼等は驚きを示し「アナタタチ、ホントウニニホン
ジンカ?」と聞かれる始末。
そして、セクハラのオンパレード。かつて日本人の金持ちおばちゃまたちに
よる買春ツアーがあったと聞くから、その名残なのか。どうやら日本の女の
子はだれでもヤリマンに取られているようだ。
それにしたって、恥ずかしい。同じ日本人と思われたくない、とつい思って
しまう。

そして現地の屋外レストランにての出来事。
喫煙禁煙の区別がなかったし、屋外だし、とたばこをプカーっとしていたら
、隣の白人のおばさんが、旦那に向かって「隣のテーブルの煙、気になるの
よねえ。あれはコリアンかしら。珍しいわねえ、こんなところにコリアンが
」とのたまわっている。健康のためにたばこの煙を気にする前に、その椅子
からはみ出るほどのデブを直したほうがいいんじゃないかと思ったりもした
が、それよりも、コリアンと言われたことに我々は何故かムッとした。韓国
人じゃない、日本人だと。

日本人であることを恥じながら、その一方で日本人ではなく韓国人だと言わ
れてムッとする。一体これはどういう事なんだろうか。そんな疑問を胸に、
バリを後にした。

ところで、森巣博という男をご存知だろうか。
ひょんなことから彼の著作『無境界の人』(小学館)を手にする機会を得た
。本書は著者の博奕珍道中であるが、ただの博奕日記とはちょっと違う。著
者はカジノ賭博常打ち賭人を目指して日本を後にして25年以上が経ち、16歳
になる息子は一言も日本語が話せない。異国の地で「ガイジン」として生活
する中で、「日本人」とは一体なんなのか、を考察する。
荷田春満、荻生徂徠から新渡戸稲造、岡倉天心までの「日本人論」の系譜を
2ページ程度でなぞり、途中で「日本人論」第一人者(笑)渡部昇一をコテン
パンに叩きつつ、我が国固有の「日本人論」は『すべての社会のもつ共通性
を意図的に無視して、伝統文化や生活様式の中から、いくつかの「典型的」
と思われるタイプを恣意的につまみ出し、その独自性あるいは差異を、強者
の側から強調する方式なのだ』と明言する。
あたかも「日本人」が単一の人格として存在するかのようなタイトルの、河
合隼雄の著作『日本人の心のゆくえ』や若者に人気の『アジアン・ジャパニ
ーズ』を「集団センズリ」とばっさり切り捨てる。
本書の後書きには、ベネディクト・アンダーソン、酒井直樹、イマニュエル
・ウォーラーステイン、花崎皋平、シャンタル・ムーフ、西川長夫、ノーマ
・フィールド、伊予谷登士翁、サンドラ・バックリィー諸氏の著作への謝辞
がささげられている。
ここに挙げられた人々の名前を見ていただければお解かりかと思うが、たか
が博奕打と侮るなかれ。
なかなかの読書家である。海外で生活していながらPR紙『みすず』までに
目を通す人が一体どれだけいるだろうか?
文中では日本へのカルチュラル・スタディーズの紹介が遅れたことについて
も言及し、鋭い指摘をしている。
本書のおかげで年末年始の忙しさで、眠っていた先の旅行での「日本人」問
題がムクムクと蘇ってきた。

この本は、版元さんから、面白いから是非読んでみるといいと教えていただ
いた。読書家のこの方が良いと言われるのだから、是非購入しようと、自社
で探すと、なんと自社の男性文学・エッセイのコーナーで発見した。
どちらかと言うと、博奕哲学が売りになっているので仕方がないのだろうが
、エッセイとして一括りにされてしまっては、この本の面白味も半減だろう
。こうして、中身を読まれずに、なんとなくタイトルとオビで仕分けをされ
て消えていってしまう本が一体どれだけあるのだろうか。書店員の無知とい
うのは罪深いなあと思う。
この本だって、発売当初、巧くし掛けていたらベストセラーになってたかも
しれない。
版元さん、二人三脚で、私たち書店員にどうぞお力添えをお願いいたします。
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■あとがき
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>最近のメルマガ執筆者、「太り気味」疑惑の人が多くないかあ?
>そ、そういえば某A氏はここ一年で七キロくらい太ったというし、某B氏
は、ある新聞社のお偉いさんから「こんなこと書く奴は痩せていると思った
が、なんだデブじゃないか」とかいきなり初対面で言われたとか・・
>その新聞社(特に名は秘すが、某日経新聞である)のお偉いさん、鬼畜で
すか?(笑)
>実は僕も、ある人にメールで、「風邪気味です」と書いて送ったら、「風
邪気味? 太り気味じゃないですか?」とか返されてんの(笑)。
>メルマガ原稿より先に、ダイエット計画つくるべきだな、こりゃ(笑)
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