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1999.3.15.発行 vol.27 [言論のカラオケ状態 号]
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■■ [本]のメルマガ 2000.3.15.発行
■■ vol.27
■■ mailmagazine of books [言論のカラオケ状態 号]
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■CONTENTS---------------------------------------------------------
★トピックス
★「本の周りをうろついて・・」/湯川新一
→東京都現代美術館とその周辺を探ります
★「今日(こんにち)の芸術」/忘れっぽい天使
→書店の<今>における存在価値は? その戦略は? 書店戦略論の決
定版です
★「中国古典で浅学菲才が直る?」/掩耳(えんじ)
→保守って結局フィクションという実態を暴きます
★読者からの投稿 朝日山さん
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■トピックス
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■出版界のプレステ2!! 『DUO ver3.0』発売!
宣伝を一切せず、口コミだけで単行本が70万部以上、CD類も含めると
百万部を突破した、まさに伝説の英単語集の改訂版『DUO ver3.0』
が3月15日に発売されました。
初版3万は書店からの注文であっという間に埋まり、現在急遽4万部を重
版中とのこと。紀伊国屋本店でのテスト販売が1日で162冊、さらに韓
国、台湾でもベストセラーとなり、今後はサウジアラビア、中国本土にも
進出予定というこの本、まだまだ伝説は続くようです。
■連続講演会「表象文化論の現在」
「表象のディスクール」の刊行を記念して連続講演会「表象文化論の現在」
を行います。参加は無料(要電話予約・定員150名)。
3月31日(金) 講演:松浦寿輝氏
4月 7日(金) 講演:佐藤良明氏
4月14日(金) 講演:小林康夫氏
4月21日(金) 講演:蓮實重彦氏
いずれも 午後7時より(午後6時半開場)
青山ブックセンター本店にて
営団地下鉄銀座線・千代田線・半蔵門線 表参道駅徒歩5分(青山学院大学
正面)
【お問い合わせ・お申込み先】
青山ブックセンター http://www.aoyamabc.co.jp/
tel 03-5485-5513
■表象のディスクール[全6巻](小林康夫・松浦寿輝編)
知の新たなミレニアムに向けて−−新しい学問領域としての「表象文化論」
は、既存の諸分野にゆるやかに侵入し、浸透し、それらのメインプログラム
を内側から書き換えて、全く新しい知の光景を現出させる批判装置として機
能することをめざしている。本シリーズは、東京大学で「表象文化論」を専
攻している研究者を中心に、70名を超える執筆者が結集し、「表象文化論」
のアルファからオメガまでを縦横に論じつくし、現代日本の「知」の現場に
豊かで新鮮な刺激を波及させることを企む。
〈全巻構成〉*3〜6巻は未刊
1 表象――構造と出来事(高橋哲哉/東浩紀/伊東乾/渡邊守章/田中純
ほか)
2 テクスト――危機の言説(阿部良雄/桑野隆/沼野充義ほか
3 身体――皮膚の修辞学(石光泰夫/松岡心平/内野儀 ほか)
4 イメージ――不可視なるものの強度(蓮實重彦/松浦寿輝/港千尋/
崔京国/三浦篤ほか)
5 メディア――表象のポリティクス(李孝徳/大澤真幸/高山宏/佐藤良
明/吉見俊哉ほか)
6 創造――現場から/現場へ(伊東豊雄/松岡心平/江戸京子/船山信子
/建畠晢ほか)
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■「本の周りをうろついて・・」/湯川新一
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東京都現代美術館とその周辺・・・@
私の住むところから数分のところに東京都現代美術館がある。
(最近、小と考えられているものが大と考えられているものに異議申立
てをするのが流行っているので、敢えてこう書いて見ました???)
昨年の都知事選の際、「箱モノ」という括りで一躍その名が知られる
ようになった。1995年3月Open。所蔵は1945年以降の美術が
中心で約3,600点。ということは日本での現代美術というものは
1945年以降の作品をいうことになるのであろうか。
敷地面積23,780u、建物面積33,515u、地上3階地下3階の
豪快な建物である。建築家は郡山市立美術館、三鷹芸術文化セン
ター、東京オペラシティ(JV設計)、真鶴町立中川美術館等を手掛けて
いる柳澤孝彦氏である。
『Architecture Watching 9 東京都現代美術館』
には、この建物に対して見学者も含め多方面の人達の賛否の「感想」
が記載されいている。「光と影の・・・」「光や音・・・」から始まって
「展示スペースが少ない」「使い勝手が悪い」「手洗いが狭い」等々。
森村泰昌も「ここに9tトレーラーが入らないので困るのだそうだ」
「頭の尖った金属の筒が並んでいる。うわさによれば金曜日の
夕暮れ時になると、これが光るらしい」等々の感想を寄せている。
作り手と運営、見学者の同じ建物に対する感想の違いは十分楽しめ
るし、時に笑える。特に見学者の感想には妙な鋭さを感じる。
ちなみに建設費約400億円、維持管理費用約3.2億円/年である。
こう書いたからといって豪快な建物を・・と批判しているわけではない。
私は都知事選の際の立候補者の「箱モノ」批判の論調にはアホか!
と思っている人達のひとりです。
皆さんは「トーキョーワンダーウォール」計画をご存知でしょうか?
都庁壁面を「これからの美術の行方を担う新進美術作家」に作品
発表の場として提供しようとするもの。応募要項をみるといくつかの
応募資格のなかに(平成12年3月31日の時点で)35才以下の美術
作家、またはグループとある。何故35才以下なのでしょうか?
「新進・・」だから35才なのだろうか?美術と年齢に何か関係がある
のだろうか?理由は何も記されてないので窺い知れないが、こういう
ところに「何か」があるなァ。都知事および審査員長の石原さぁん・・。
「品性」これ系で書きたい事はまだまだあるけど次にいきます。
現代美術館の開催中と予定の紹介をします。
『低温火傷』1/18〜3/26、中村政人、高島陽子、木村太陽、守章、
ホンマタカシ、平川典俊、6人の作品で構成開催中。
『シュポール/シュルファスの時代』(ニース〜パリ 絵画の革命
1966〜1979)16作家57点で構成開催中。
次の企画展の予定は
『三宅一生展 ISSEY MIYAKE MAKING THINGS』
4/29〜8/20 企画展示室1階・地下2階
『菅井汲展』6/24〜8/20 企画展示室3階
常設展示は『日本の美術、世界の美術ーこの50年の歩み』
また、もう終わってしまいましたがゴダールの『中国女』、タチの『トラ
フィック』の上映、ホンマタカシ、中村政人のトークイベントも開催さ
れた。情報さえ入手すれば結構楽しめる美術館だと思っている。
地下鉄東西線・木場駅3番出口より徒歩15分、またはバスで3分。
都営地下鉄新宿線・菊川駅4番出口より徒歩15分、またはバスで3分。
電話03−5245−4111、ハローダイヤル03−3272−8600
HP http://www.tef.or.jp/mot
また、この美術館には[モット]ザ・ショップという本屋?が1階にある。
電話 03−3643−0798
これは(株)ニューアートディフュージョンの店で、前身はあのニューア
ート西武である。その頃は特化志向の強い、和書のリブロ、洋書の
ニューアート、詩歌のポエムパロールという3社の融合体の一角を
担っていた。
今もディフュージョン(普及)とし、表参道にNadiffという店を核に
現代美術に特化、多店舗展開中である。Nadiffに併設されて
いるカフェの椅子はひとつとして同じ椅子が無いという凝りよう。
洋書・和書はもちろん独自の海外買い付けやオリジナルグッズの製作
販売、直取り引きの多用で取次の販売代理店化され無個性と呼ばれ、
またそれになりつつある多くの書店とは明らかに一線を画している。
過日、Nadiffは村上隆、イッセーミヤケのデザイナー滝沢直己、
東浩紀の鼎談を開催し多くの人を呼び寄せていた。気になる本屋?
アート・ショップである。
電話3403−8814 HP http://www.nadiff.com
そういえば昨年末、六本木のWAVE館がその活動に終止符を打った。
WAVE、ニューアート、CINE・VIVANT、レインツリーという
カフェが刺激し合いながら、今で言うセゾン系の象徴として同じ館で
「何か」を強烈に発信していたのを思い出す。
数年前の真夜中、VIVANTの支配人の友人から電話が入った。
「ポルシェが飛び込んだぁ、見に来い」というもの。「寝るから明日行く」
と言って翌日行くと入口の左側がグチャグチャ。貼ってあるガムテープ
がアートしていた。不謹慎だけどこれもセゾン系と感じた。
それにしても、「館」が閉館した時のみんなの反応があまりなかったよ
うに感じるのは私だけであろうか。多くのことを感じさせてくれたのに。
友人の2人の支配人も他会社で彼等流の「活動」を再開しはじめている。
また何かが始まる予感がする。数年先が楽しみだ。
話を現代美術館に戻します。この美術館の地下1階に美しいと感じる
美術図書室ある。資料は美術関係図書29,424冊(内 洋書5,4
39冊)展覧会カタログ38,020冊(内 洋カタログ3,235冊)
逐次刊行物 約2,000タイトル(内 洋雑誌147タイトル)、
マイクロ資料、ポスター・チラシ、美術関係新聞切り抜き1988年4月
〜現在、が所蔵されている。ちなみに、閲覧のみで貸出しはしてません。
電話03−5245−4111
次回はこの図書室で見つけた雑誌『SAP』と『LR』を紹介しようと
思います。
それでは、また。
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■「今日(こんにち)の芸術」/忘れっぽい天使
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お客様を待つのはやめにしようA
それでは書店はどうやって生き延びていけばいいのか?−という問いかけ
で前回は締めくくらせてもらった。今回は何らかのその答えを出さなければ
ならないわけだが、無論簡単に答えられるものではないので、締切りを前に
して困った困ったと頭を抱えるハメに陥っているわけである。
よって、思いつくままにタラタラ「答え」らしきものを書き連ねていって
何とかこの場をしのぐこととする(別にいばるわけじゃないけど)。
まず、すぐ思いつけることは、毎日取次が「パターン配本」とやらで流して
くる商品を漫然と並べ、返品することを繰り返しているようでは遅かれ早か
れ自滅するだろう、ということ。再版制の撤廃など、怖れることなくむしろ
歓迎し、ストックを抱え込むリスクを背負いつつ、商品についての正しい知
識を基にして適正な仕入れを行うことが第一歩(こんなことは他の業界では
常識なので、書いていて少し恥ずかしい気持ちも起こるが)。自分が扱う商
品が生む利益の予測もできないでお客様にまともなサービスができるわけが
ない。いちいち版元と仕入条件を交渉する。くだんない本は安く買いたたい
てやりましょう。筆者としては余りに当たり前すぎなことなのでこの問題に
対する深い入りはやめましょう。次。
店頭に置いた商品だけで勝負するのではなく、商品についての情報を売る
という所までできるようにする、つまり物を売るスペースとしてでなく、書
店を、読者・著者・出版社のコミュニケーションの場として売り場を捉えて
いくことが必要であろう。
多様な視聴覚系情報商品が出回りつつある今、最早書籍は教養・娯楽の中
心にはない。刺激度やスピードの面で、他のメディアに取って替わられるべ
き所が多いだろう。しかし、人が人である以上言語を中心にしたコミュニケ
ーションが廃れることはないはずだ。それどころかインターネットの普及に
よって、言葉による個人の自己表現への欲求は非常に大きくなっていると言
えるのではないだろうか。
マス・メディアがこれまで独占してきた所の表現・言説の流通は、商業主
義とアカデミズムを二本の柱としてきたように思われる。これらは互いを補
足し合う仕方で以って「出版文化」なるものを形成し、それなりの水準も保
ってきたし成果も挙げてきた。派手な宣伝広告は、そもそも本に縁のなさそ
うな人までも本屋に誘う力を持ったし、アカデミズムは、ともすると低俗に
陥りがちな言説の質をひきしめる力を持ったと言える。しかしながらそれら
はどちらも「一対多」の流通しか許さないものだ。だから悪いというのでは
ない。問題は、そこから零れ落ちるものがあるのもまた事実なのに、「出版
文化」が言説を完全独占するような形態だと、「出版文化」外の言論は全く
存在しないのも同然ということになってしまうことだ。ミニコミがマス・メ
ディアとの間にある緊張感を持って存在できた時代ならいざ知らず、現在の
ように資本が流通に圧倒的な力を奮うシステムが確立してしまうと、受け手
は単なる受け手以上のものにはなれなくなってしまう。インターネットの普
及はハードの発達のせいではなく、満たされない個々人の表現欲の噴出のせ
いであろう。受け手であることに甘んじ続けることは最早限界なのだ。
但し、野放しの自由放任状態は単なる言論のカラオケ状態を呼び起こすに
過ぎない。表現欲を抱えた個人は誰一人応答することのないインターネット
の荒れ地で、ますます孤独になり野垂れ死にするしかなくなってしまうだろ
う。自前のメディアが気軽に作れるようになったのが悪いということではな
い(もちろんその逆だ)。そうした小さな言説の群れに対し、安定して応答
する存在が必要ではないかということである。
書店がこうした不安な「送り手」たちの拠り所となることはできないのだ
ろうか。書籍というハードを媒介にし、考えを交換したい人たちのコミュニ
ケーションの場を「売る」という形態を創出することはできないのだろうか。
ある一定のスペースを使用料を払って貰って、言説の発表のために貸し出す
などということ。書店員が美術館のキュレーターのような企画を立て、著者
と読者を直接向きあわせる工夫を凝らせないかということ…。売場内にイン
ターネット・カフェを設け、本を手に取りながらその著者と交信するなんて
いうのもいいかもしれない。本が扱う情報は森羅万象を捉える。本が扱う情
報を中心とした売場作りというものも考えられる。必要に応じ、売場を画廊
にしたりライブハウスにしたりレストラン(?)にしたりするのだ。
そうしたことを可能にさせる萌芽は少しずつ芽生えてきているように見え
る。青山ブックセンター本店は定期的に識者を招いて講演会を開いているし、
丸善日本橋店はジャズの生演奏を聞かせる時間を設けているようだ。店内に
テーブルと椅子を置く店も増え始めたし、三省堂書店の東京大丸店では店内
に喫茶店を入れ、本の持ち込みを許している。児童書売場が子供の遊び場を
兼任している書店はもう珍しくない。
自覚的にせよ無自覚にせよ、売場をただ広げることに急であった80年代
とは逆行した動きがそこここで見られるのは決して偶然ではないと思う。単
なる物流ではもう、real書店はnet書店やコンビニにかなわないのだ。わざ
わざ一定の場所に足を運ぶ価値を(でっちあげてでも)作らなければ書店に
生きる道はない。それは、売る気満々の売場作りとは違うベクトル、つまり
生身の人間同士が交流し合う、ある緩みを持った「フリー・スペース」性を
呼び込むというベクトルに根差している。その未知の領域の開拓が今後の書
店の死活を握る、筆者にはそう思えてならないのだ。
まあ夢物語はこの位にしておこう。少なくともこれだけは言える。書店員
は売り場でお客様の来られるのをただ待っていてはだめだということだ。
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■ 中国古典で浅学菲才が直る?/掩耳(えんじ)
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保守思想というフィクション
今、日本の論壇では、保守系論者の興隆が言われています。
確かに、現在、売れている思想書関連の本は、明らかに保守と呼ばれる著者
のものに偏っています。そして、それらの著者の中には、面白いことに中国
古典、特に孔子、孟子など儒教関連の著作や言葉を、実に素朴な形で引用し
たり準拠したりしているケースが少なからず見うけられます。
しかし、このことには、恐ろしい陥穽があります。
それは、儒教の考え方の基本となるものが、基本的にフィクションに他なら
ない、ということです。
儒教がその理想とするのは、中国古代の伝説の聖王、堯、舜、禹や周公旦の
ような聖人などの言動や治世です。しかし、それらの儒教にとって理想の世
界像とは、結局フィクション、つまり絵空事でしかないのです。
なぜ、そうはっきりと言い切ってしまえるのか?
これは『三国志演義』を例に取るとわかりやすいかもしれません。『三国志
演義』とは、歴史書としてある『三国志』ではなく、所謂フィクションとし
ての読み物の『三国志』のことで、悪玉=曹操、義の人=劉備、智謀の策士
=諸葛孔明といったイメージはすべてここに由来しています。
しかし、もし、歴史書の『三国志』を読むなら、このイメージは結局作り物
でしかないということがわかります。曹操は、歴史書を読む限り中国史上屈
指の英雄ですし、劉備は意外と裏切ってばかりの小悪党的な人物だったりし
ます。
つまり、歴史とは、ある視点のみ、またはある意図にもとずいて書いていく
なら、いくらでも面白く、またいくらでも煽動するように書けてしまうので
す。そして、それはどうしようもなくフィクションでしかありません。
つまり、『三国志演義』の面白さにひかれる人が多ければ多いほど、その<
偏った視点><フィクション>という手法の効果の強烈さも、実証される訳
なのです。
中国古代の聖王の事跡を知ろうとした場合、すでに孔子の時代においても、
その聖王の立場にたった資料しか残されていないという現実があります。
その聖王によって滅ぼされた、もしかしたらより善良であったかもしれない
敵対者の声は、聴こうとしても聴くことができないのです。その聖王の立場
に偏った、しかしだからこそ面白い読み物があるばかりです。
つまり、嬉々として儒教などの中国古典を引用して、説教臭い話を書いてし
まう人物とは、己のよって立つべき前提を掘り下げられない、底の浅い人間
――だと言えてしまうかもしれないのです。そして、結局自分の発言は絵空
事でしかないと高言してしまっているのかもしれません。
本当に古典を準拠枠にするとは、それがフィクションという大前提のもと、
しかし現代に、現実的かつ具体的にに有用であることを示さなければならな
いのです(続)
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■ 読者の方からの投稿/朝日山さん
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なぜこれが売れない?読者の怨念5
「彼方より」篠田真由美 講談社
「日蝕」は、言わずと知れた平野啓一郎のデビュー作。よく売れましたね。
個人的には正直なところ面白くなかった。純文学はそんなもんだと言われれ
ばそうかもしれない。でも同じ漢字を多用する作品を書いても、中島敦はお
もろいで。「日蝕」の文章は一見小難しい漢字が多いのだけど、けっして語
彙は多くない。新人なんだから強くは言わないが、これがもっと平易に読め
るよう書かれていたら、たぶん同じ比喩や表現が多いとか審査員に指摘され
るだろう(指摘した人がいたなら、ごめんなさい)。新潮社の造本もよくな
いね。普通の人に読めそうにない字にはルビを打たないと……朝日山の手元
にある角川文庫の「李陵・山月記」なんか、ほどよいルビの打ち方で、まこ
とに読みやすい。読みやすくしたからと言って格調低くならない好例ですね
。まさかとは思うが、新潮社の平野担当編集者は文章の粗を誤魔化すために
わざと不親切にしたんじゃなかろうな……もちろん冗談です。
小難しい漢字を多用しても拡張高くはならない。格調高き文章とはいかなる
ものか、考えたい人は「李陵・山月記」をお読みください。あ、「亡国のイ
ージス」福井晴敏でもいい。
もう一つ。「日蝕」との比較によい本があります。十五世紀のヨーロッパを
舞台にした「日蝕」を読んで素晴らしいと思った人も、思わなかった人も、
似たような舞台設定の全く違う内容の本。今度は節子じゃなく篠田真由美の
「彼方より」を薦めます。篠田真由美は、いわゆる本格推理を書く人だと見
られていますが、推理とは関係のない歴史モノも書いています。歴史小説と
は少々趣が異なる、幻想的な作品が二作あります。第一作は「ドラキュラ公
ヴラド・ツェペッシュの肖像」。悪くない作品だとは思うが、作家の力不
足を感じたのも確か。それから五年、篠田は力をつけ「彼方より」を出しま
した。帯の文句に誇張はない。篠田の成長を目の当たりにできる、まさしく
渾身の一作と言っていい作品です。
帯には「ジャンヌ・ダルクと共に戦った英雄にして幼児虐殺の半獣神<<青ひ
げ>>ジル・ド・レの真実」とあります。これはただの宣伝文句。主人公は別
です。作品中、直接には出てきませんが、時代設定は印刷機が発明される直
前で、ルターが暴れるまでにはまだ七十から九十年ほどの間があります。当
時は今ほど時代の流れは早くないので、いわば宗教改革前夜の時代と言える
でしょう。養父の期待を一身に担い、神に帰依する道(=貧困&下層階級か
らの脱出)を目指すマルシリオと、神を求めてやまない薄幸の美男子フラン
チェスコ。二人の交流が夏目漱石の「こゝろ」に似た回想形式で進んでいき
ます。酷い生い立ちの中、フランチェスコはいつも神を求めてやまなかった
。神に助けを求めても声一つ聞こえず、よりひどいことが起ころうとしても
神は止めようとしない。そんな神を善と呼ぶのか。信じろと言うのか。そん
なフランチェスコを救いだそうとした上流階級出身のジョルジョにマルシリ
オは嫉妬を覚えますが、マルシリオは無力です。だが策略に嵌まったジョル
ジョは殺され、フランチェスコは復讐します。神はまたもや何もしなかった
からです。いつになったら神は自分を見てくれるのか。フランチェスコは神
を見いだすために生きることを決意します。その方法は、「神が、神ご自身
がその怒りをもて、この心臓を止めるまで」悪の限りを尽くすこと。
「どうして?それがぼくの祈りだからさ。ぼくの思いを天に届ける、残され
たただ一つの方法だからさ。神の裁きの手。なんとそれは激しくまばゆく、
厚く冷たく容赦なく、ぼくの肉体を切り裂くことだろう。その時ならきっと
わかる。どんなに苦しくとも最後まで目を開けている。ぼくはこの目で神を
見る。なんて素晴らしい目標だろう……」止められないマルシリオ。フラン
チェスコはジル・ド・レを利用し、悪行を重ねていく。しかし神は罰を与え
てくれない。これくらいの悪行では神は自分を見てくれないのか。いつにな
ったら神は我に罰を与えたもうのか。エスカレートしていく神への冒涜の数
々。二人は神を見いだせるのか……。
中島敦は言うまでもなく、福井晴敏もたぶん、天才肌の作家です。実力の割
に売れていない印象はありますが、文学史に残る作家になると思います。対
する篠田真由美は、福井ほど衝撃的な才能を持ち合わせているとは言えませ
ん。しかし、「彼方より」が売れたら、自信がついて化ける可能性は十分に
あると思います。朝日山の言を信じて、これはという作家を伸ばすために投
資するのも一興だと思ったあなた。「彼方より」を売ってください、買って
やってください……ほとんど選挙の絶叫だな(笑)
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■あとがき
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>駸々堂書店が自己破産したじゃないですか
>はあはあ
>某取次ぎは、なぜかそれを事前に察知していて、商品を引き上げたらしい
んですよ
>えええ? だって駸々堂書店に役員まで入れてた某取次ぎは何も察知して
なかったんでしょ?
>そうそう、だからその取次ぎでは、お偉いさんでその詰め腹切らされる人
も出たとか出ないとか・・・
>ま、自分で過剰な拡大路線取りすぎちゃったツケがきてるだけなので、今
さら詰め腹切らされるのもねえ・・・なんだか可哀想
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