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2000.4.15.発行 vol.30 [「多数」に媚びよう 号]
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■■ [本]のメルマガ 2000.4.15.発行
■■ vol.30
■■ mailmagazine of books [「多数」に媚びよう 号]
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■CONTENTS---------------------------------------------------------
★トピックス
★「本の周りをうろついて・・」/湯川新一
→雑誌『SAP』ってご存知ですか?
★「今日(こんにち)の芸術」/忘れっぽい天使
→映画大国? カナダの気鋭監督による作品を紹介します
★「中国古典で浅学菲才が直る?」/掩耳(えんじ)
→「入り婿」原理主義の謎を解き明かします
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■トピックス
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■広島、仁義なき戦い勃発!
広島を本拠とする、大手書店のフタバ図書が、いわゆる新古書店もやりたい
と言い始め、業界に多大な波紋を呼んでいます。この話何が問題かと言うと
――
1)現在の流通システムでは、例えば古本として百円で買い取った単行本(
定価を千円としましょう)を、そのままこっそり新刊として返品されてもわ
からない。しかもその際の返品による利益は700円代後半になるはずで、本を
まともに売るより、利益率が高い(笑)
2)上記の理由によると思われる、スリップのみの万引が現在激増している。
3)実際、コミックの不正返品が全体で月に数億円以上もある
もちろん、新刊書店が新古書店をやったからといって、すべてこのような不
正行為をやるときまったわけではありませんが、しかし、やられてもわから
ないし、防衛措置も現実的には立たない――
このフタバ図書の動きを止めさせるべく、広島のほかの書店が大挙して上京、
大手出版社に陳情に回ったそうです。
また、フタバ図書の新古書店が実現した場合、他にも超大手チェーンSB堂
などもやる方向で検討しているらしいとの噂もあります。
いっそ、新古書店併営をやりたい書店は、それを認めるかわりに、全商品正
味を下げた買い切りの取引に切り替えてはどうでしょうか??
■ヘーゲルの画期的新訳で著名な長谷川宏氏の講演会
在野の学者であり、ヘーゲルの画期的新訳を立て続けに刊行して、広く読書
人の耳目を集めている長谷川宏氏の講演会が、表参道の青山ブックセンター
青山本店併設のカルチャーサロン青山にて、4月22日(土)19:00より行われる
。参加無料。電話予約が必要(03-5485-5513)。今回は、近く作品社より発売
される『法哲学講義』本体価格4800円の刊行を記念し、ヘーゲルの「自由の
精神と共同体の倫理」をめぐって、またアカデミズム内外に大きな反響を呼
んだその翻訳作業について語る予定。http://www.aoyamabc.co.jp
ヘーゲルは自らの最晩年の著書『法哲学要綱』をもとに講義をし、まもなく
コレラで死去するが、本書は学生たちが筆記した講義録の中でももっとも詳
細な、通称「グリーズハイム・ノート」のイルティング校訂版を本邦初訳し
たもの。二年前に氏はやはり作品社から『精神現象学』を刊行しているが、
こちらはすでに約二万部が売れているという。異例の事態に一部のアカデミ
シャンが『ソフィの世界』等と並ぶ「哲学ブーム」と断じて浅はかな批評を
したことは記憶に新しい。ちょうど並行して現在刊行中の岩波書店版ヘーゲ
ル全集の『法の哲学』とは底本が異なるが、学内と在野の解釈の自由度の違
いは今回も注目に値するだろう。
http://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/
http://www.iwanami.co.jp
■アウシュヴィッツ収容所よりの生存者の、来日講演会!
明日2000年4月16日、栃木県塩屋町に日本で初めて「アウシュヴィッツ・ミ
ュージアム」が正式開館する。ポーランド・オシフィエンチム博物館の所蔵
の貴重な資料を常設展示。記録写真や遺品・没収品、強制収容所およびナチ
ス関連資料のほか、収容所のジオラマ、絵画・銅版画、アンネ・フランク・
ギャラリー、視聴覚コーナーなどを、総敷地面積6000坪にたたずむ三つの棟
で見ることが出来る。多数のボランティアの協力を得ながら、十五年以上の
歳月と運動の成果を結晶させたのは出版人の青木進々さん。青木さんは館長
を勤めている。
http://www.am-j.org/
ミュージアムのオープンを記念して、ポーランドから来日する来賓の中に、
国立アウシュヴィッツ保護委員会会長カジミェシ・アルビン氏(1922-)がい
る。氏は1940年にアウシュヴィッツ強制収容所へ最初に収監された728人の
うちの一人であり、幸運にも三年後、脱出に成功。数少ない「証人」の一人
である。その氏の講演会が関東四カ所で開催される。それぞれ入場料1000円
。電話での問い合わせは0287-45-2811ミュージアム事務局(月曜休)まで。
4月16日(日)15:00 矢板市文化会館大ホール
4月18日(火)19:00 鎌倉芸術館小ホール
4月19日(水)19:00 飯田橋・シニアワーク東京(電話03-5211-2308)
4月20日(木)19:00 宇都宮市文化会館小ホール
つい数日前、虐殺否定論を掲げる学者アービングが裁判で敗訴したばかりの
決定的タイミングでもある。ぜひ聴講しに足を運びたい。
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■「本の周りをうろついて・・」/湯川新一
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東京都現代美術館で見つけた雑誌『SAP』の紹介
過日、現代美術館の図書室で『読書人』をまとめてペラペラと見た。
その中で99年9月4日号の『sagi times−02号刊行によせて』
という、西谷修氏の『sagi times』という雑誌コードをもたず車
で「意ある書店」に行商で売り歩いているこの映画系雑誌を野心的な文化運
動として紹介している記事が目にとまった。
もちろん『sagi times』には心惹かれたが、それよりも記事の冒
頭部分と最後の文章に興味を持った。全文は『読書人』を読んで頂くとして
、その中でいくつか気になったところを抜き書きしてみます。
「・・活字メディアをもっとも脅かしているのは、実は「知のコンビニ化」
というものである。「読み、書く」という作業の創造性が支えてきたあらゆ
る文化領域の足場を、そのコンビニ化が侵食してしまっている。
・・・コンビニでは・・気楽な消費に供される本、ティッシュペーパーのよ
うな本しか、そこでは用がない。仕入も在庫もコンピューターが最大効率を
はじき出し、それにしたがって管理される。まことに「消費者」という人間
はプログラムできるのだ。・・・知的と言えるような雑誌は、市場からいつ
のまにか駆逐され、いまではほとんど見当らない。コンピューターの採算管
理はここでも、人間の知や創意など必要のないものとして排除してしまう。
・・・大新聞は部数を競って「多数」に媚びる。「一般的でない」とみなさ
れたものは扱いからはずす。読者の想定イメージはコンビニの客に限りなく
近づいてゆく。コンビニが流通のモデルになる。・・・流通の多様性はコン
ピューター管理に一元化され、市場経済のなかに「悪貨は良貨を駆逐する」
という鉄則が貫徹する。・・・かれら(『sagi times』の発行者)
にとってこれは「試み」などではないだろう。それはその都度遂行される
「行動」であり、そこにあるのは根拠のない「自負」などではなく、今こそ
こういう「運動」が必要なのだという、時代との響応に対する逆説的な「信
頼」があるように思われる。」
抜き書きなので多少キツク感じられると思います。興味のある方は全文をお
読み下さい。普段、漠然と思っていることを言葉にしてくれていると思うと
ともに氏の洞察力の深さと「思い」が伝わってきます。
上のようなことを前提として前号で予告したように、コンビニではもちろん
大手書店でもあまり見かけない、現代美術館で見つけた直取引の雑誌『SA
P』と『LR』を紹介しようと思います。(電話確認の結果、都内の書店で
は青山ブックセンター本店・六本木店、リブロ池袋店・青山店、表参道ナデ
ィッフ・現代美術館〔モット〕ザ・ショップ、日本橋INAX、パルコブッ
クセンター吉祥寺店・渋谷店・池袋店に卸しているとのことです。)
「みんな知ってるわい」と言われそうですが、私は知らなかったので・・。
まずは『SAP』
正式にはSaison Art Program Journalという。
99年9月25日No.1創刊。2000年1月1日No.2、4月1日
No.3発売で現在3冊。発行はセゾンアート・プログラムセンター。
http://www.smma-sap.or.jp
リブロポートを潰し、池袋西武美術館、六本木のWAVE館を閉館・・・さ
せ文化活動から撤退か?と噂されたあの「セゾン系」である。協賛は西武百
貨店、西友をはじめセゾングループの大所が記されているので、セゾングル
ープあげての・・・ということになるのであろうか。
覚えていらっしゃる方も多い?と思うが、その昔『アール・ヴィヴァン』と
『CO・LAB/ART コ・ラボ・アート』という現代美術に特化した雑
誌があった。この2誌の記憶を呼び起こし、(呼び起こされ)今一度とこの
雑誌を立ち上げ(立ち上げさせられ)たようである。編集後記にもあるよう
に、現代美術専門の「活字」にこだわり、論文、論考、講演等の「活字」を
積極的に取り上げ紙面を大幅に割いている。
以下に各号のいくつかの記事の一部を羅列してみます。いくつかは
「引っかかって」くるテーマ、人があると思います。
創刊号
・中西夏之ー光の条件としての「着陸と着水」について
・公開講座ー制度と文化・・・戦後という時代
〔非ー知〕と表現:西谷修
日本における「1968年の革命」:すが秀実
世紀末のアヴァンギャルド?:塚原史
植草甚一的なるものをめぐって:坪内祐三
・連載ーメディア、身体、アクティヴィズムーパフォーマンス・アートとは
何か?:内野儀
・連載ー思想を読む第1回、美の理論の脱ー構築 デリダ「絵画に
おける真理」解題:阿倍宏慈
・特別収録ーSMAメモリアル・シンポジウム
第一部「セゾン美術館ー四半世紀の足跡」
パネリスト・宇佐美圭司、中原佑介、森口陽
第二部「解体する美術館ーその現実と近未来像」
パネリスト・逢坂恵里子、大西若人、建畠あきら、前田恭二、
正木基
NO.2
・21世紀へ向かう芸術の可能性
「アートイング東京1999:21×21」
・公開講座ー美術批評の歴史性、そして現在
戦後美術のアポリア:建畠あきら
「物質」のゆくえー瀧口修造と美術批評:林道郎
宮川淳と美術批評の行方:小林康夫
規範なき規範主義:松浦寿夫
・連載ー思想を読む第2回、アルチュセールの芸術解題:市田良彦
NO.3
・イリヤ・カバコフ関連特集
シンポジウム「未来の後に未来はあるかー現代美術の摸索と
可能性」
バネリスト、イリヤ・カバコフ、ドミトリー・プリゴフ、辻井喬
・公開講座ー「現在進行形の美術とそのゆくえ、事例としての〈アート
イング〉展」
バネリスト、峯村敏明、高島直之、真壁佳織、村田真、彦坂尚嘉
・連載ー思想を読む第3回、ソフィ・カル、ゲームの規則:野崎歓
・連載ーメディア、身体、アクティヴィズムーパフォーマンス・アート
とは何か?
六〇年代演劇革命、一九八〇年の「境界」、そして新たなアクティ
ヴィズムへ:内野儀
紙面が尽きました。もう一冊の『LR』は次回以降の紹介ということにさせ
て頂きます。
それでは、また。
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■「今日(こんにち)の芸術」/忘れっぽい天使
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「異常なもの」に潜む「日常性」−映画「フェリシアの旅」
カナダのアトム・エゴヤン監督作品「フェリシアの旅」を観てきた。ここ
数年、カナダの映画には当たりが多いようだ。人を殺す仕掛けを持つ不思議
な建物に閉じ込められた男女の運命を描いた「CUBE」、ネクロフィリア
(死体嗜好症)の女性をテーマとした「キスト」など。人をあっと言わせる
ような特異な視点から世界を切り取ってくるにもかかわらず、少しも無理や
力みを感じさせず、むしろ淡々とした余韻を残すのが共通の特長。先進国な
がら経済優先でなく、福祉を重視してきた「人道的国家」カナダにおいては、
社会制度の改革ではいかんともしがたい人間の性(さが)の不条理性が、ど
うしようもなくクリアに浮かび上がってきてしまうのかもしれない。
カナダの監督作品であることを強調してしまったが、この映画はカナダと
イギリスの合作であり、舞台もイギリスである。あらすじを簡単に説明しよ
う。初めて愛した青年を追ってイギリスにやってきたアイルランドの少女フ
ェリシア。彼女は、イギリス軍に入隊したと噂される青年とつきあいその子
どもを妊娠したことで、勘当同然の身となっている。青年の住所もわからず
途方にくれるフェリシアに声をかけたのが中年男ヒルディッチ。一流レスト
ランの支配人である彼は、家に帰れば料理研究家であった母親の番組の古い
ビデオを見ながらたった一人で豪勢な食事を取る孤独な男である。フェリシ
アのような家出少女らに声をかけ、その姿をビデオ映像に収めては殺してき
た殺人鬼としての裏の顔も持つ。彼はフェリシアの恋人を探すふりをして彼
女を自分の元に繋ぎ止め、機会を見て睡眠薬を飲ませる。必死で逃げようと
するフェリシアを、なぜか彼は見逃してやり、直後に自殺を図る。フェリシ
アは無事に社会復帰を果たし、殺された少女たちの冥福を祈る。The end−。
フェリシア(新人のエレン・キャシディが好演)は封建的なアイルランド
の村社会で純粋培養されたような無垢な少女である。住所も告げないで去っ
た男の不実を疑いもしないし、声をかけてくれた外国の見知らぬ男の車に躊
躇なく乗り込んでしまう。対するヒルディッチ(ボブ・ホスキンスが恐ろし
くうまい)はというと、これもまた無垢な男であると言える。必要な時(料
理番組の助手)以外は母親から放置されていた少年時代のトラウマを後生大
事に抱え込み、少年時代から一歩も足を踏み出そうとしない生活ぶりである。
母親の料理番組を繰り返し見、母親が推奨した古い料理機器を何十箱も保管
し、母親から注がれなかった愛情を得ようとして「困っている少女」たちに
声をかける。行き場がなくなった少女をわざわざ探し出し、弱みにつけこん
で世話を申し出るのだ。最初は助けられて感謝していた少女たちも次第にヒ
ルディッチの空虚さに気づき、逃げ出そうとし始める。彼はそうなる前に少
女らの姿を録画して保存し、その上で少女たちを亡き者にする。手口は恐ろ
しく巧妙なのだが、動機は極めて単純だ。実現できなかった理想の少年時代
の回復が行動の全てを支配している。
ヒルディッチはフェリシアを繋ぎ止めるため、しばしば虚言を吐く。同情
を買うためにいもしない妻が死んだと言い、その妻がフェリシアを心配して
言ったという言葉を幾つも披露してみせる。また、フェリシアが故国へ帰ら
ぬよう状況に応じて、恋人を探し続けるべきだと言ったり諦めろと言ったり、
子どもを産むべきだと言ったり堕ろすべきだと言ったり、矛盾するアドバイ
スを与え続ける。相手を巧妙に情報操作し、きりきり舞いさせているのであ
るが、その実相手にそっぽ向かれることを過剰に怖れているのだ。この辺り
は、現実のイギリスとアイルランドの関係の見事な比喩であろう。帝国主義
と無垢な少年の心理的不安との間に、エゴヤン監督は通低するものを見出し
ているようだ。他国を支配することで自国のアイデンティティの空虚さを埋
める。利権の獲得以上に、相手が自分を必要としているという幻想を満足さ
せるために支配を強化していくのだ。
出来事自体は悲劇的だが、フェリシアはヒルディッチの心の奥底にしまわ
れた無垢な心の叫びに気がついた。社会復帰した彼女は「殺人者の中にも魂
はあった」と回想する。ヒルディッチは異常で残酷な行為を繰り返す犯罪者
だが、その動機は、フェリシアが自分を捨てた恋人を探すのと同じくらい純
粋なものであった。殺人は愛情表現の一種なのだろう。つまり、「普通の人」
が「満たされた生活」を維持するためにやっていることを、彼自身にしか通
用しない論理によって行ったに過ぎないのだ。フェリシアはそのことに気が
つき、殺された少女たちとともにヒルディッチを哀れむことができた。暗い
トーンの映画だが、このラストの言葉だけで救われた気分になれる。
日常性の中に潜む闇を暴き出すのでなく、闇の中に日常性を見出すこと。
そうすることによって、各々の登場人物を、作者の倫理の尺度で価値づけす
るのでなく、登場人物たちが固有に持つ複数の尺度によって価値づけするこ
と―― これは映画という手段によるカルチュラル・スタディーズ≠ナあろ
う。原作はウィリアム・トレヴァー(角川文庫で読める)。エゴヤン監督の日
本公開作品はこの作品の他に「スウィート・ヒアアフター」がある。
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■ 中国古典で浅学菲才が直る?/掩耳(えんじ)
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「入り婿」という原理主義
中国最後の王朝<清>とは、「入り婿」王朝と呼ばれることがあります。
清は、女清族・満州族という人口二百万たらず北方の異民族が建てた王朝であ
り、億を超す漢民族を統治する、というかなりイビツで綱渡り的な統治を強い
られた王朝でした。
そこで清王朝が、統治のためのバックボーンとして寄り添っていったのが、偉
大な漢民族の歴史や思想といった<伝統>でした。いわば、自分たちが漢民族
以上に漢民族になることによって、統治の正統性を獲得しようとしたのです。
自分がさる伝統ある名家の「入り婿」であったとしましょう。自分は正統でな
く、所詮外部からの乱入者であるという負い目がある。だからこそ、その家の
中では、誰よりも伝統に口うるさく、そして頑迷なほど保守的になってしまう
――そんな悲しい心性が、この表現には込められています。
清王朝は、自分たちがもともと漢民族ではない、というコンプレックスを抱え
ているが故に、必死に漢文化を称揚しました。しかし、逆にこれが、中国が進
歩するさいの足かせになってしまったのではないか、19世紀に近代国家にな
りきれず、西欧列強の侵略を許した元凶ではないかと指摘されることもありま
す。
自分がもともと正統であるものは、正統であるが故に、伝統なりを革新してい
くことも可能になります。なにをどうしようと、自分こそが正統の体現者なの
ですから。
ところが逆に、「入り婿」にとってみては、これは許されざる行為となります。
自分の寄って立つべきものへの、許されざる挑戦になってしまうのです。
この「入り婿」状態、考えようによっては、いつでもどこにでも現出する状態
だと言えます。
前回取り上げた、<過去>というフィクションを必死で寄りどころにしようと
する、保守的な思想――孔子、孟子が代表的になりますが――なども、言わば
時間という壁に阻まれた「入り婿」原理主義だと言えるかもしれません。それ
は、どうにも手に入らない愛する異性を賛美するときのように、どこまでも熱
烈に、どこまでもフィクショナルになっていきます。そしてそれは、両刃の剣
のように、どうしようもないマイナスを周囲に撒き散らすことにもなるのです。
これを現代で見付けるとするなら、日本人が西欧文明を研究したり、論評した
りするさいにも、ちらちらと顔を覗かせる心性だとも言えます。
ここでは、最も端的な例としてクラシック音楽の評論を取り上げたいと思いま
す。例えば、アメリカ人の歌舞伎評論家がいたとします。彼(女)が、映りの
悪いビデオなどを見た印象から、歌舞伎は昭和初期が全盛期で、あとはすべて
の役者が小粒となり、今の若手など、薄っぺらで見るに耐えない、それがわか
らない奴は、歌舞伎を見る目がない――とまあ、こんな論評を書いたとします。
これが、まともな評論か? といえば、やはり大きな疑問符をつけざるを得ま
せん。
これと同じような評論が、平気でクラシックにおいてはまかり通り、人気を博
すという笑えない現象があります。結局、ある意味で自分の歪んだ心性に気づ
かない情けなさが明瞭に見て取れてしまうのです(続)
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■あとがき
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>日販が、ネット販売用の倉庫を作るとかで、出版社五百社近くを集めて説明
会をやったそうですね。
>ああ、また、イロイロ協力金だせとかいう話ですか?
>もちろん、そう(笑)。しかも、今回はそれを口頭で言うだけで、文章は一
切出さなかったそうですよ。
>ああ、前にも公正取引委員会に怒られてるみたいですからね(笑)。文章出
すと、足がつくとでも思ったんでしょうか。完全に小悪党化してますな。
>みんな、応援してるんだから、もちっと恥ずかしくないことやりましょうよ
・・
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