2000.5.5.発行 vol.32  [今年は何の年だっけ? 号]

■■---------------------------------------------------------------
■■  [本]のメルマガ                              2000.5.5.発行
■■                                                     vol.32
■■       mailmagazine of books     [今年は何の年だっけ? 号]
■■---------------------------------------------------------------

■CONTENTS--------------------------------------------------------- 
★トピックス

★「マエストロ鏡玉のメディアジャーナル」/マエストロ鏡玉
→ザビエルさんとシーボルトさんの来日事情を暴きます!?

★「虚実皮膜の書評」/キウ
→村上龍の話題の新作に斬り込みます!

★「一字千金の記」/グッドスピード
→音・声の校正なんてできるのかな?
---------------------------------------------------------------------
■トピックス
---------------------------------------------------------------------
■新作情報
フランスの作家ミラン・クンデラが最新作をスペイン語訳で刊行。
どうやらフランス語オリジナル版に先立ってのことのようである。
タイトルは『La Ignorancia』。直訳すると「無知」「無垢」の意。
フランス語オリジナル版と同時刊行された『ほんとうの私』(西永良成訳、集
英社)から3年ぶりの新作となる。

言語への徹底ぶりで知られるクンデラだが、前作といい、最新作といい、オ
リジナルのフランス語とは別の言語で(しかも英語ではない!)同時あるい
は先行して刊行している。その真意を本人に聞いてみたいところだが、とに
かく邦訳が待たれる。
ISBN 8483101319
http://www.es.bol.com/cec/cstage

■作家の姜信子氏と東大教授の姜尚中氏の対談の夕べ
来る5月16日(火)午後7時より、青山ブックセンター本店(表参道)内の
カルチャーサロンにおいて、姜信子氏の新著『棄郷ノート』(作品社)の刊行
を記念して、著者の姜信子氏と姜尚中氏の公開対談が行なわれます。
テーマは「棄郷という生き方」。参加無料。電話予約が必要(03-5485-5513)。
定員100名。http://www.aoyamabc.co.jp

デビュー作『ごく普通の在日韓国人』(朝日文庫)から12年。みずからの居
場所を問い続けてきた著者が、みずからのルーツと、日本占領下朝鮮の親日作
家・李光洙(イ・グァンス)の苦渋の足跡をてがかりに、民族・国家・故郷と
の関わりをさぐるルポルタージュである本書の刊行を機に、『へるめす』(すで
に休刊・岩波書店)において著者との往復書簡を連載し、自ら「コリアン・ディ
アスポラ」と言う姜尚中氏(東京大学社会情報研究所教授)とのダイアローグ
が実現。
http://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/
■今号から、編集担当が各号ごとに変わります
今まで、各号の編集は掩耳が行っておりましたが、今号より
5日  グッドスピード
15日 掩耳
25日 五月
という陣容に変わります。それぞれの個性的な編集を、どうぞお楽しみくださ
い

---------------------------------------------------------------------
■「マエストロ鏡玉のメディアジャーナル」/マエストロ鏡玉
---------------------------------------------------------------------
第12回 江戸もグローバリゼーション

 えー、とかく区切りの年にははしゃぎたくなるもんで、昨年はザビエル
来日450年というのがありまして、鹿児島でたまたま大ザビエル展をみる
機会がありました。ザビエルさんがインドを布教する模様が絵になってい
て、キャプションには「インド布教に手を焼くザビエル」とあって、不謹
慎ながら笑ってしまった。挫折して日本に来て、話を聞いてくれる日本人
に会って、きっとホロリときたにちがいありません。大名までキリシタン
になってくれるんだもん、やりがいもあったでしょう。まぁとにかくザビ
エルさんが、彼の国でとっても偉い坊さんだったというのを知って驚いた
のでありました。「聖」の字はそうそう誰にもつくわけではないようで。
この前お亡くなりになったマザーテレサさんも2001年には聖人となるので
はと言われていますが、きっとキリスト教悲願のインド布教を果たしたか
らにちがいありません。

 今年はオランダ関係、日蘭交流400年ですか。400年前、一隻のオランダ
船「デ・リーフデ」号が大分に漂着したのが始まりだそうです。日本で有
名なオランダ人といえば、今や長崎で大学の名前にも使われているシーボ
ルト。シーボルト関連でおすすめしたいのがこの一冊です。『文政11年の
スパイ合戦−検証・謎のシーボルト事件』(秦新二著、文春文庫、1996)
がそれ。本書は1992年の日本推理作家協会賞を受賞していて、新刊時には
「本の雑誌」のベスト1にもなったと記憶しています。推理小説としてで
だけなく、研究書としても一級だと私は思っています。

 ドイツ人の彼は、オランダ政府から長崎出島のオランダ商館に、医者と
して、また自然科学調査官として派遣され、1823年来日した。6年間の日
本滞在のあいだに、鎖国の日本に西洋近代医学をもたらし、同時に当時の
日本人の生活・民俗にわたる膨大なコレクションの収集につとめた。帰国
にあたって船積みされたこのコレクションの中から偶然、禁制とされてい
た「日本地図」が発見され、これが世でいう「シーボルト事件」の発端で
ある。
 私のシーボルト像は時代劇で描かれるものと同じで、鳴滝塾をつくり、
医学をひろめる良き外国人が、無実の罪を着せられ国外追放されたという
ていどのものだった。著者は、オランダのライデン国立民俗博物に眠って
いた、シーボルトの持ち帰った膨大なコレクションを整理しつつ、新しく
発見されたシーボルトの手紙を中心とする資料をもとに、この「シーボル
ト事件」を読みといていく。
 シーボルトの正体を知った高野長英が、彼のもとを去っていくくだりな
どをサラッと記しているところでも分かるように、シーボルト=スパイと
いう指摘が眼目ではない。最高機密である北方の地図をめぐっての最上徳
内や間宮林蔵(両人とも幕府の隠密であった)との交流、11代将軍徳川家
斉と禁令をやぶり海外との密貿易に精をだす(借金で首のまわらない)薩
摩藩・島津重豪との緊張関係などから、シーボルト自身にも分からなかっ
たこの事件を、当時の世界史的な図柄のなかで明らかにしていく。ここが
本書の醍醐味です。

 余談ですが、この薩摩藩の密輸入品、禁制品の一部は、富山の問屋に売
られて、かの「薬売り」のシステムで流れていくわけですが、こうした常
備薬はさぞかし効果があっただろうと思います。

---------------------------------------------------------------------
■「虚実皮膜の書評」/キウ
---------------------------------------------------------------------
「悪意」の表出−−村上龍の『共生虫』(講談社)を読んで

 「引きこもり」をテーマに扱っているが、おそらく村上龍にとって「引き
こもり」の「実体」を暴くことなどに関心はなかったであろう。「引きこも
り」の「実体」など、人それぞれだ。それぞれの人間がそれぞれの状況の中
で引きこもっている。また、それぞれの状況の中で、多くの人間は引きこも
っていないし、村上龍も引きこもっていまい。

 共通項はあるだろう。悪意。社会に対する強烈な悪意。この悪意を抱えた
こんだ人間には、引きこもっていようがいまいが、この物語は心に強く響い
てくるはずだ。

 主人公ウエハラは中学校二年の時に学校へ行かなくなり、母親に連れられ
て精神科や施設を巡った末、自宅近くのアパートに住まわされている。とき
どき母親が訪れて一緒に精神科に薬をもらいに行くくらいで、外に出ること
はまずない。まともな会話を交わすこともない。年齢はおそらく20台なかば
ほどだろう。ウエハラという名前も自分で勝手に用いているだけで実名では
ない。

 ウエハラには秘密の体験がある。小学校三年のとき、祖父が癌で死にかけ
祖父を好きだったウエハラは病室に通い詰めた。その病室には祖父を含め助
かりそうもない年寄りが三人いた。ウエハラが一人、その病室で三人を見つ
めていると、祖父の隣に寝ていた老人の鼻から、灰色の糸のような細長い虫
が出てきて、その老人が息絶えると、虫はウエハラに移ってきて目の中に入
り込んでしまう。そのことと「引きこもり」の関連性を疑う。

 インターネットに関心を持ったウエハラに母親は喜んでパソコンを買い与
える。ホームページの掲示板で、「引きこもり」や灰色の細長い虫の体験に
ついて書き込むうちに、その虫は「共生虫」というものであることを知り、
「共生虫は、自ら絶滅をプログラミングした人類の、新しい希望」であり、
「共生虫を体内に飼っている選ばれた人間は、殺人・殺戮と自殺の権利を神
から委ねられている」と教えられる。

 ネット上における悪質ないたずらであるのだが、ウエハラはこの誤情報に
むしろ自らを取り戻し始める。自分は選ばれた人間なのだ、ということが、
ウエハラに力を与える。一人でアパートを出、コンビニで買い物をする。自
殺未遂をした父とウエハラを責め立てる兄を金属バットで殴りつける。自分
の新たな居場所を求めて丘陵地帯へと踏み入る。そして「共生虫」の情報を
提供した人間を誘き出して殺害する。

 ウエハラはもちろん現実社会からズレている。しかしネットで悪質ないた
ずら(犯罪)を繰り返している人間もまたズレている。他にもズレてしまっ
た人間が登場する。戦争や公害の映像を編集し続ける狂った女。殺戮を行う
仏像の絵を描き続ける退職老人。ウエハラはそれらのズレた人間たちと呼応
しながら、平凡な公園での休日を楽しむ人間たちのあいだを通り過ぎる。自
分は奴らとは違う、選ばれた人間なのだ、と思う。

 このような悪意を肯定するものではないだろう。しかし『イン ザ・ミソ
スープ』(幻冬舎文庫)においても、『五分後の世界』(幻冬舎文庫)にお
いても、現在の社会に対する悪意はありありと表出されていた。著者自身の
あとがきの言葉を借りれば「偽の社会的希望」に対する悪意ということなの
かもしれない。その悪意がリアルに感じられてしまう現状が、実際の社会の
中にある。よく村上龍の作品が現実社会での事件を予言するというようなこ
とをいわれるが、それは少し違うだろう。「引きこもり」ということが重要
なのではなく、そのような現象の底に横たわる悪意を感じる嗅覚こそが、そ
のような作品を書かせしめているのだ。

 この小説を読んで二つの先行する作品を思い浮かべた。ある惨めな少年が
「おれは右翼だ」と自覚することで自分を見出す大江健三郎の「セブンティ
ーン」と、主人公が腹違いの弟を殺害したあと熊野の山中をさまよい歩く中
上健次の『枯木灘』だ。ともに多くの「悪意」を抱え込んでいる作品だ。思
えば村上龍もこれらの先行する作家たちの文脈から出てきた作家ではなかっ
たろうか。中上健次は亡く、大江健三郎も優等生のような作家になりおおせ
てしまった今、現実社会の最前線で、ぎらぎらと自分の嗅覚をとがらせて、
作品を量産している作家は、思えば少なくなったように思う。

----------------------------------------------------------------------
■「一字千金の記」/グッドスピード
----------------------------------------------------------------------
「漢字離れと漢字偏重」

 小学生、中学生の頃、たとえば偉人や作家の名前を読み間違えてこっぱず
かしい思いをした経験は、誰もがしているのではないだろうか。
 私が、ということではもちろんないのだが、たとえば、島崎藤村をシマザ
キフジムラと読んでしまったり、小田実をオダミノルと読んでしまったり…
…。しかし、当然のことながら、これは黙読ではばれないことで、発語をし
たときに明らかになることである。それに、たとえよみがなを間違えたとし
ても、その言葉が示す実体は理解できるのである。
 そういえば、最近もテレビコマーシャルで、某お菓子「小枝」の商品名を
「コワザ?」と自信なく話すシーンがあった。見る者をも恥ずかしくさせる
インパクトを持っているのが不思議なのだが。

 先日、ある雑誌の校正の仕事で、京焼・清水焼の歴史を紹介する記事の中
に、18世紀から19世紀にかけて京焼の全盛期を支えた名工の一人に「三
文字屋嘉介」という人物がいる、という記述があり、そこによみがなを付け
るべく調べていた。つまり、「嘉介」を「カスケ」と読めばいいのか、「ヨシ
スケ」なのかということである。
 
 そこで、京都市の博物館に問い合わせたところ、対応してくれた学芸員の
人が、「当然、カスケでしょう。近世以前の人名については、その証拠とな
るよみがなが記された文献が残っていないため、基本的に音読みでかまわな
い。慣例的に音読みになっています」とのこと。つまりは、当時、実際にど
のように呼ばれていたかなんてことは、文献がない以上、誰にもわからない
ということなのである。
 
 なるほど、当然といえば当然のことに、私は少なからず感慨を覚えたので
ある。
 残されるものは、声や音ではなく、文字である。いまや記録・保存性の高
い技術や機器があるので、その心配はなくなるのだろうが、近世以前では徹
底的に文字の文化なのである。もちろん、民衆文化としての音・声の文化
(オーラルな文化)も存在していたのだろうが、それらは「残されない」た
めに、文化として受け継がれることが難しかったのだろう。

 そうした文字(漢字)重視の文化は、現代にも息づいている。実際、私た
ちは日常生活のなかでも、漢字の字面をイメージすることで物事を容易に理
解しているといえるだろう。
 たとえば、私の知り合いに「武さん」という人がいるが、電話で名前の文
字を問われ、「武士の武という字です」と説明したところ、後日郵送された
手紙の宛名に「ブ様」とあり、愕然とした、という話を聞いたことがある。
 さらに、たとえば出生届を役所に提出する際、問われるのは人名の文字で
あって、そのよみがなは問われない。

 一方、お隣の国・韓国では表音文字であるハングルが使われているが、最
近、若い世代(だいたい1970年生まれ以降)は漢字が読めないという。
そのために、漢字教育が見直されているということである。
 私は、文字の文化も声の文化も重要であると考えている。しかし、実際の
ところ、文字=安定・信用できる・本物、音=不安定・信用できない・本物
にあらず、というイメージが強いように思われる。だが、文化というものが、
現実の蓄積・積み重ねであるとすれば、オーラルな文化を「安定」させるこ
となく受け継いでいくことの大事さも考えるのである。

●活字版VOWのネタを募集しています。本や雑誌などで見つけた面白い
誤植(誤字)を下記のアドレスまでお知らせ下さい。
ryuz@cf6.so-net.ne.jp(グッドスピード)

(第9回・了)
---------------------------------------------------------------------
■あとがき
----------------------------------------------------------------------
>オンライン書店で本の注文をたまにしている。もちろん街の書店にも足を
運ぶ人間だが(むしろこっちの方が多いが)、オンラインの注文でひとつ不
満がある。
>それは、帯が取られて送られてくるケースが多いことだ。足を運んだ書店
では必ず帯の付いているできるかぎりきれいな本を買うのに。
>書店の人に聞くと、「それはたまたま外れてしまったか、破れてしまったか
で……」と。いまいち納得できない。
>帯のない本は、「本屋に来い」というメッセージなのかな?
---------------------------------------------------------------------
■広告募集のお知らせ
当メルマガでは広告を募集しています。一回につき、購読者数(現在2140人)
×1円×3行以内の予定です。詳しくはメールでお問い合わせ下さい。
======================================================================
■ 電子メールマガジン「[本]のメルマガ 」(毎月5・15・25日発行)
■ 発行:[本]のメルマガ発行委員会
■ 掲載された内容を許可無く転載することを禁じます。
■ COPYRIGHTはそれぞれの記事の記者が有します。
■ ご意見・御質問はこちらまで anjienji@mcn.ne.jp
■ HPアドレス  http://www.freepage.total.co.jp/anjienji/index.html
■ このメルマガは『まぐまぐ』を利用して発行しています。
■ 購読・解除・変更手続きは http://www.mag2.com/ より行って下さい。
======================================================================

▲トップページへ戻る