2000.12.5.発行 vol.53 [大きな視野にたって号]

■■-----------------------------------------------------------------
■■  [本]のメルマガ                             2000.12.5.発行
■■                                                     vol.53
■■       mailmagazine of books        [大きな視野にたって号]
■■-----------------------------------------------------------------

■CONTENTS----------------------------------------------------------- 
★トピックス
→藝術の秋ならぬ藝術の世紀末?

★「マエストロ鏡玉のメディアジャーナル」/マエストロ鏡玉
→ますます快調、好評の「私写真論批判序説」第2弾。 

★「虚実皮膜の書評」/キウ
→細部の描写が卓抜な力強い書き手の作品をじっくり読む。

★「一字千金の記」/グッドスピード
→筆者の都合により休載いたします。

---------------------------------------------------------------------
■トピックス
---------------------------------------------------------------------
■本とコンピュータ展「書物変容・アジアの時空」開催中
コンピュータやインターネットの登場により、長い歴史と伝統をもつ書物文
化に地球規模での変化が生じつつあるいま、その変化のさまを、文字(漢字)
の文化を育んできた中国、韓国、日本の東アジア地域の古い書物の伝統と新
しい電子の本によって、グラフィカルに表現する。
中国の芸術家・徐冰(シュ・ビン)、韓国のデザイナー、アン・サンス(安
尚秀)、日本の平野甲賀の三人が、『西遊記』をモチーフにそれぞれの手法
で文字化した作品を展示。
台湾の漢聲雑誌社、中国の中国図書商報、韓国のJUNGLEとアン・グラフィッ
クスなどの出版集団から、それぞれの出版物が出展されている。

12月22日(金)まで、11時から19時(日曜祝日休館)、入場無料、
ギンザ・グラフィック・ギャラリー(東京都中央区銀座7-7-2 DNP銀座ビル/
電話03-3571-5206)で。
ヴァーチャル・ギャラリーも開設。 http://honco.net/honcoten/ 
ギャラリートークもある。
◎アン・サンス(安尚秀)/韓国のデザイナー
日時 12月12日(火)3:00 pm〜4:30pm
◎黄永松(ファン・ヨンソン)/漢聲雑誌社発行人、アート・ディレクター
日時 12月12日(火)5:30 pm〜7:00pm
会場 DNP銀座ビル5F 入場無料、要申込(ギンザ・グラフィック・ギャラリー
/電話03-3571-5206)。

■中国の新進アーティスト宋永平の個展
1980年代中頃に当時美大生だった弟・宋永紅とともに行ったパフォーマンス・
アートが大きな注目を集め、油絵や版画、インスタレーションと手法にこだわ
らない作品を制作している1961年山西省生まれの芸術家。昨年から高齢で病に
臥せっている両親の写真を撮り始め、それを「『青春を新中国建国に捧げた世
代』に対する考察」として作品化、この年末に北京で3日間の個展を計画して
いる。ポスト第五世代の映画監督として海外で注目を浴び始めている賈樟柯の
新作「站台(プラットホーム)」に出演し、美術も担当。現在までに日本では
作品が展示されたことはない。作品の一部を下記のサイトで見ることが出来る。
http://www.clueb.com/PRIVATEgallery/ga16_22.html
先月、母親が死去。

---広告---------------------------------------------------------------
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
新刊『ポリロゴス2 特集:メディア――越境する身体』 中山 元 編
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 A5判/並製/296頁/本体2400円/発行:冬弓舎( http://thought.ne.jp/ )
  【小特集1】メディオロジー  【小特集2】アントナン・アルトー
  「メディア」と「身体」をめぐるオンライン・リソースも徹底紹介!
■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
---------------------------------------------------------------広告---

---------------------------------------------------------------------
■「マエストロ鏡玉のメディアジャーナル」/マエストロ鏡玉
---------------------------------------------------------------------
第19回 私写真論批判序説 その2

 前回、イギリス文学を例にリアリズムという語の歴史的変遷をたどってみまし
たが、こう言ってもそう間違ってはいないでしょう。人はみずからを主張する際
には、それぞれ自分の「現実」を持ち出すということ。ブルジョア階級が自分の
ロマンに酔っているときはそのロマンが現実であるし、おなじブルジョワ階級に
ありながら、他人の貧乏という現実をもちだして、他の集団のブルジョワ性を非
難するように。その現実が社会的であるか、個人的であるかは語る人のスタンス
によるということです。現実が主義となったとき、当人の現実とは別物になって
いるということもあるでしょう。

 さて写真。むかしむかしに聞いた話。「未開の」人々に映画を見てもらい、そ
の内容を問うたところ、彼らは「鳥がうつっていた」「あそこに人がいた」と答
えるばかりであった、と。時間芸術である映画の「物語」を理解できる思考様式
の特殊性を強調したエピソードであったと思うが、こうも解釈できる。その映画
があまりにもつまらなかったので、どうしてこんなつまらないものを、この人々
は私たちに見せ、しかも意見を聞こうとするのだろうかと思う。でも彼らは、気
の毒なその「文明人」を傷つけまいと、「ええ、鳥がうつっていました」「人が
いましたね、へんな服を着た」と無難に、高級な皮肉をもって答えたのだと。こ
れも写真を前にしたときのひとつの態度であり得るでしょう。

 「文字に不案内な者ではなく、写真に不案内な者が、未来の文盲ということに
なろう」といったのはモホリ=ナギですが、一枚の写真が何を意味しているのか
を、語ることはとても困難なことです。ここで写真における標題の重要性を説い
たのはベンヤミンです。写真はあまりに曖昧なものなので、撮った者はそれを見
る者とをむすぶコードとなる標題をつけるべきだと。この標題を的確につけられ
ない写真家も同じく文盲なのだと(『写真小史』ちくま学芸文庫)。

 写真。それは一人の作家という名のもとに、そしてひとつのテーマに並べられ
てはじめて意味がでるようなものだと言いきっちゃいます。フツー何がうつって
いるかがいえるぐらいで、なんとなく良いか悪いかがいえるぐらいでしょう。し
かしこの作家性、テーマ性のみで理解される写真ってのは何かという疑問も、真
っ当に写真を語ろうとする場合、避けて通れない問題としてたち現れるはずなの
ですが・・・・・・。

 そして写真。フォトグラフという語の通り、それを光によって刻印されたもの
とするならば、今やすべて世界は写真で満たされています。この発明以来、人類
は3次元の世界をすべて2次元の世界へと変換し、すべての現実は目に見えるも
のへと変えられてしまいました。写真によって世界には現実=ほんとうのことが
満ちあふれ、消費しきれないほどあまりに満ちあふれちゃったので、何が現実か
わからないという状況にあります。私たちはこの現実ひとつひとつにその出自を
問うていかなければなりません。だってそれらは私の現実ではないのだから。そ
してそれは私という存在をも問い直していく作業にほかならないでしょう。

 この「私」にたいする否定を経ていない「私写真論」には眉につばして、と思
っています。多くの場合、その作家をとりあげる自分に対する反省というものが
欠如しているのではないでしょうか。

「私」を否定する私写真論をなした希有な例として、『決闘写真論』(篠山紀
信・中平卓馬著、朝日文庫)をあげることができます。70年代後半に書かれたこ
の書籍は、篠山紀信の写真と中平卓馬のことば・写真論との決闘という体裁をと
っていますが、じっさいは写真家・中平卓馬と評論家・中平卓馬の決闘の本だっ
たと思います。彼は私写真、そして私写真論に、いや写真そのものに(『なぜ植
物図鑑か?』晶文社)新しい意味を付け加えている。これ以降、氏の評論を引き
継ぐ者がなかったことが、日本の、あるいは世界の写真論の悲劇だったと、ここ
ろの底から思うのです。

---------------------------------------------------------------------
■「虚実皮膜の書評」/キウ
---------------------------------------------------------------------
『汝ふたたび故郷へ帰れず(リバイバル版)』 飯嶋和一 小学館 00.11

 「雷電本義」「神無き月十番目の夜」(ともに河出書房新社)「始祖鳥記」
(小学館)と歴史物を手がけてきた著者のデビュー作。文藝賞受賞。小学館
から出し直すにあたって、「スピリチュアル・ペイン」「プロミスト・ラン
ド」の二作を併録。

 飯嶋和一の小説を、たとえば「歴史物」と言ってしまうのは、ためらわれ
る。もちろん舞台は、江戸時代であり、その時代に生きる民衆の姿を、実に
リアルに描くのではあるが、そのような題材の取り方よりも、描写の確かさ
に目が奪われ、まさに引き込まれるようにして読み通してしまう。様々な状
況の、細部の書き込み方が尋常ではない。

 「雷電本義」なら、江戸時代の伝説的な大関・雷電を描いているのだけれ
ど、天明期の浅間山の噴火・大飢饉・上信の大がかりな打ちこわし、そうい
った背景を、かなり詳しく書き込む。ただ詳しいばかりではない。それらを
描くときの視点が、常に当事者の位置にある。このような苦境にあるとき人
はどう感じるのか、どう行動に移るのか、書き手の位置が当事者とだぶり、
読み手もその位置に引きずり込まれる。雷電の取る相撲の様も、一緒に相撲
を取っているかのように、読み手もその描写に巻き込まれる。

 「神無き月十番目の夜」も同じことで、江戸時代の初期、自治権を持った
土豪集団が、幕府の蔵入れ地としてその権利を奪われてゆく様が、ひとつの
村の視点から描かれてゆく様は、その理不尽さに、思わず村民とともに憤り
ながら読んでしまう。縄入れ(検地)の様など、役人が無神経に田を荒らし
ていく描写があまりにリアルで、読んでいて心が痛む。書き手の視点は、常
に当事者にあり、神のように作品の高見にあるのではない。

 この作家の資質は一貫している。デビュー作はなんとボクシング小説。そ
のように括ってしまうのもやはりはばかれるのだが、ともかく絵に描いたよ
うなボクシング小説。

 鹿児島県トカラ列島の宝島出身の新田駿一は、理想的なリーチの長さ、体
格に恵まれながら、ボクシングを続けることにうんざりしている。所属する
ジムの会長・下村は、情熱を失い欠けコンディーションづくりも手抜きして
いる駿一をなかなか強い相手とあたらせない。ある試合で危うく負けるとこ
ろをどうにか切り抜けるが、それを機に駿一はボクシングに見切りをつけ、
酒に溺れ人間としても駄目になる。かつての先輩・白鳥や会長・下村の助け
で、どうにかアルコール依存症を克服し、子供の頃数年を過ごした宝島へ帰
ることに決める。島には子供の頃ともに遊んだ彦兄イがいる。しかし島に戻
ると彦兄イは死んでいた。彦兄イの子供が、駿一のボクシングの戦歴をスク
ラップしたノートを見せる。新聞や雑誌を島に取り寄せて、彦兄イが残して
おいたものだった。その少年から、新聞で下村会長が心臓麻痺で死んだこと
を知る。その下村の経歴を紹介した記事が、駿一をもう一度ボクシングへと
駆り立てる。

  確かに例の記事は、他人が読めば彼の人生をたたえこそすれ、侮辱して
 などいないように見えるかもしれない。が、彼の息子の一人であるおれに
 は、その裏に、あの手の連中特有の、神にでもなったかのような高慢さと
 臭気を感じた。(P106)

 そこから見事に復活し、復帰第一戦を勝利して小説は終わる。

 栄光と挫折、そして復活。ストーリーはあまりにも紋切り型で戸惑うのだ
けれど、ボクシングの試合のリアルな描写と相まって、ともかく読ませる。
そしてなによりも、当事者へ降りてくる、著者の視点の位置、その反骨精神
こそ、この作家の生命線であり、強さなのだ。そして、そのような視点の位
置が、描写の豊かさを生む。そのような書き手の姿勢が、作品の構造をあま
りに図式的にしてしまう嫌いはあるが(善玉・悪玉があまりにはっきりして
いる)、これだけ確かな描写力があれば、読むことの意義は充分にある。

 小説において、いかに細部を描写するのか、その細部をどれだけ積み上げ
られるのか、その重要性がこれほど際だつ作家は、昨今希有な存在ではない
だろうか。小説を読む醍醐味とはこういうものだったのではないかと思い知
らされる。

---------------------------------------------------------------------
■「一字千金の記」/グッドスピード
---------------------------------------------------------------------
筆者の都合により、休載いたします。誠に申し訳ございません。

---------------------------------------------------------------------
■あとがき
---------------------------------------------------------------------
いよいよ20世紀最後の師走となりました。ただでさえ師走はなにかと忙し
いのに、なんだか100年分の師走がまとめてきたような状況で(個人的に)
なんだか落ち着きません。「20世紀最後」という言辞は、市場経済の欲望
を反映した言葉にすぎないと思いますが、このときぐらいは、落ち着いて、
本を読んですごすことができればと思っている今日このごろです。(グ)
---------------------------------------------------------------------
■広告募集のお知らせ
当メルマガでは広告を募集しています。一回につき購読者数(現在3283人)
×1円×3行以内の予定です。詳しくはメールでお問い合わせ下さい。
=====================================================================
■ 電子メールマガジン「[本]のメルマガ 」(毎月5・15・25日発行)
■ 発行:[本]のメルマガ発行委員会
■ 掲載された内容を小会の許可無く転載することはご遠慮ください。
■ COPYRIGHTはそれぞれの記事の記者が有します。
■ ご意見・ご質問はこちらまで ryuz@cf6.so-net.ne.jp 
■ HPアドレス http://www.aguni.com/hon/
■ このメルマガは『まぐまぐ』を通じて発行しています。
■ メールマガジンIDナンバー:0000013315
■ 購読・解除・変更手続きは http://www.mag2.com/ より行えます。
=====================================================================

▲トップページへ戻る