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2001.1.5.発行 vol.56 [その先に何かが 号]
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■■ [本]のメルマガ 2001.1.5.発行
■■ vol.56
■■ mailmagazine of books [その先に何かが 号]
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■CONTENTS-----------------------------------------------------------
★トピックス
→改訂・休刊・新刊、イベント情報
★「マエストロ鏡玉のメディアジャーナル」/マエストロ鏡玉
→読みごたえあり!好評連載の「私写真論批判序説」3部作完結編。
★「虚実皮膜の書評」/キウ
→言葉・描写の喚起力を取り戻した大江健三郎の新作。
★「一字千金の記」/グッドスピード
→校正でもっとも大変なことは? 文章を生かす用字法。
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■トピックス
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■講談社の好評シリーズ『日本の歴史』01改訂へ
『日本の歴史』シリーズを刊行中の講談社は、先ごろの石器発見の捏造事件
にからみ、01の『縄文の生活誌』(著者・岡村道雄文化庁主任文化財調査
官)の販売を見合わせ、今年初夏までに改訂版を出すことに決めた。
この問題は、考古学界にとどまらず、出版のありかたをもめぐり各界に波紋
を及ぼしている。
■『内田魯庵山脈――失われた日本人』(晶文社)刊行記念ライブトーク
講師=山口昌男・高橋徹。1月10日19時〜21時、青山ブックセンター
本店カルチャーサロンにて。無料。定員120名。要予約。予約・お問い合
わせは青山ブックセンター本店(電話03−5485−5511)
http://www.aoyamabc.co.jp/
■『週刊宝石』休刊
光文社は『週刊宝石』を1月25日発売号を最後に事実上休刊することを決
めた。5月の最終週から新しい週刊誌を発行する予定だが、雑誌名を『週刊
宝石』とするかどうかは未定。あの業田良家の名作『自虐の詩』もこの雑誌
に連載されていたことを考えると、少し残念。パワーアップを期待したい。
■大西巨人の《幻の処女長篇》『精神の氷点』刊行
某文芸誌のアンケートに20世紀を代表する日本文学作品として『神聖喜劇』
があがっていた大西氏の初期長篇がいよいよ出版される。なにはともあれま
ず読んでみたい。1月5日発売。2200円。
http://www.msz.co.jp/
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■「マエストロ鏡玉のメディアジャーナル」/マエストロ鏡玉
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第20回 私写真論批判序説 その3(終わり)
杉山正樹著『寺山修司・遊戯の人』
みなさんは寺山修司を読んだことがありますか。十代のころに寺山に出
会った人は、やはり衝撃をうけたのではないでしょうか。思えば十代の後
半、ずっと読んでいましたが、忘れていました。先日出版された杉山正樹
著『寺山修司・遊戯の人』(新潮社)という本を読んで、そのことに気づ
かされました。私にとって寺山という経験はなんだったのか。寺山修司を
語る本書を読んで、虚構と現実の関係、現代アートについて、より深く考
えることができるような気がしています。
悪口のすすめ・書を捨てよ、町にでよう
さてここで批判されるべき「私写真論」として念頭においたのは、写真
評論家・飯沢耕太郎氏の『私写真論』(筑摩書房)における「私写真」で
した。その前に、本書はどのような内容なのかを簡単に要約します。
飯沢氏は巷にあふれる「私写真」ということばの濫用を憂いて、「私写
真」をしっかり定義しなければならないと言いつつ、きっちりはしたくな
といいます。? ですが、なぜなら「特定の、限定された解釈の幅の中に
押し込めるのではなく、もっと風通しのよい概念として開いて」いきたい
からだと言います。
飯沢氏の文章から推察するに「私写真」とは、撮影者の「私」が決定的
な役割を果たしている写真、あるいはその写真が撮影者の生の条件を直接
的に映し出しているもののようです。幸福な家族、身近な人々の笑顔とい
うポジティブな面だけではなく、怒りや嫉妬といったネガティブな感情を
も「作品」にしているもののようです。
「私写真」をこのようにとらえたうえで、中平卓馬、深瀬昌久、荒木経
惟、牛腸茂雄という四人の写真家をとりあげ、彼らの写真表現に賭けた
「凄絶な」実践を語ることで、飯沢氏は「私写真論」を試みています。
これに対する私の批判は以下のようなものです。たとえば飯沢氏がよく
引用する荒木氏の「もう我慢できません。・・・・・・たまたまファッシ
ョン写真が氾濫しているのにすぎないのですが、こうでてくる顔、でてく
る裸、でてくる私生活、でてくる風景が嘘っぱちじゃ、我慢できません」
という、『センチメンタルな旅』の有名な宣言にしても、俺の目の前にあ
る写真は俺のものではない、という叫びであり、嘘っぱちの写真が溢れる
メカニズムのなかで生きざるを得ない者の叫び(限定1000部!!)だった
と思う。「私写真」を語るならば、こうした機構と飯沢氏のいう「私写真
家」たちとの緊張関係について少しは言及すべきだろうと思います。
また通常、プロの写真家、つまり写真で生計を立てている人たちは、仕
事の写真とプライヴェートな作品を撮りわけていたりするわけで、そうし
た多くの写真家の営為については無視され、「私写真」ではないとされて
いることから、本書はまぎれもなく、あくまで飯沢氏の「私」だけの写真
論なのでしょう。
他人と共有されることを望まない、この独白でしかないものを、なぜ本
にしたのだろうか。それはアマチュア写真家にむけて、自分の気持ちを写
真で表現するとはそんなに甘いことではないよ、と4人の写真家の「劇的
な」人生を例に説教したいがためとしか思えない。つまり「私写真」であ
るかどうかの判断基準は、飯沢氏の「私」によって選ばれた撮影者の凄絶
な人生なのである。それぞれの写真家についての記述から、飯沢氏の「私」
によって写真家の「私」が改変されている感じをうけるのは、こうした理
由によるものでしょう。
無数の写真によってとりかこまれた生と、そんななかでも私をつきさす
この一葉の写真を理解を深めようとする人たちにとって、この飯沢氏の写
真論はただただ有害なものでしかないでしょう。
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■「虚実皮膜の書評」/キウ
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『取り替え子 チェンジリング』 大江健三郎 講談社 00.12
映画監督・吾良の投身自殺。吾良の友人であり、義理の弟でもある作家の
古義人。吾朗の妹であり、古義人の妻でもある千樫。この三人を中心に物語
は構成される。
吾良の死後、古義人は生前に送られてきた吾良の声が入ったテープを、書
庫に備え付けてある兵隊ベッドの上で、ヘッドフォーンをつけながら聴き耽
るようになり、その吾良の言葉に、一時テープを止めて語り返しさえするこ
とが習慣化する。
そのようにしてはじまるこの小説はひどく陰鬱だ。吾良は写真週刊誌に掲
載された女性スキャンダルを、身を以て否定するために投身自殺に及んだ。
そのような吾良自身の遺書に古義人は説得されない。生前吾良から送られた
旧式のカセットレコーダーとヘッドフォーン(その形が子供の頃に獲った田
亀に似ているというので「田亀」と命名)、それから時々に送られてくる吾
良の話の入ったテープ。そのテープには「・・・そういうことだ、おれは向
こう側に移行する、ドシン、・・・しかし、おれはきみとの交信を断つのじ
ゃない、わざわざ田亀のシステムを準備したんだからね。それでも、きみの
側の時間では、もう遅い。お休み!」と飛び降りの効果音つきで、最後の挨
拶まで録音されていた。
毎晩遅くに田亀で吾良と「会話」を交わす古義人に、千樫と、二人の子で
あるアカリは脅かされる。そのような状況から脱却するために、ベルリン自
由大学で講義を受け持つ誘いを受けて、田亀を持たずに旅立つ。そのように
して吾良の死と距離を取りながら、過去の交友を遡って、自殺にいたる筋道
を掘り起こしてゆこうとする。
この陰鬱な小説は、しかし、それにもかかわらず、ここ最近の大江健三郎
の作品にくらべて、言葉・描写の輝きを取り戻している。『治療塔』(岩波
書店)『燃え上がる緑の木』(新潮社)と、断筆にいたる作品は、物語の構
築に細部に渡って様々に意匠を凝らしながらも、言葉・描写の喚起力は、以
前の作品にくらべ、ひどく衰退していた。断筆宣言を撤回して発表された
『宙返り』(講談社)においても『燃え上がる緑の木』の延長、発展という
形は見えながらも、四年間の沈黙はなんだったのか、と考え込んでしまうほ
どに、言葉・描写の喚起力は戻っていなかった。神なき祈り、というテーマ
を深化させたのだろうけれど、その深化に言葉がついていっていない、と往
年の力ある文体を思い起こして悲しかった。
今回は作者にとって極めて身近な事件を取り上げている。もちろん作品を
そのように事実関係と照らして読むことは、小説を読む態度としてどうか、
と思うが、言葉・描写に力が戻ってきている事実は、そのような条件と切り
離しては考え難いかもしれない。
「すべての面で自分はガタガタになっている」と吾良の遺書にはあった。
それを古義人はやはり受け入れられない。どのような局面にも、それこそ映
画製作を通してヤクザに襲撃されようとも、ガタガタになるようなタイプで
はない、と古義人は吾良のことを認識している。しかし千樫は子供の頃、兄
・吾良とその友達・古義人が、ガタガタになって戻ってきた夜のことを覚え
ている。
松山の高校に通う二人。古義人の父は、敗戦直後に決起して銃殺されてい
る。古義人の父の弟子である大黄を中心とした右翼の若者たちが松山に現れ
る。そして、講話条約が発効されて占領時代が終わろうというとき、日本人
は誰一人として占領軍に反抗しなかったという、そのような敗北主義を破る
ために、米軍キャンプに襲撃をかけるという。一方、美しい少年である吾良
を慕いねらう、日本語将校・ピーターがいる。大黄たちは吾良をダシにピー
ターを使って、襲撃のための武器を米軍キャンプから調達しようと考える。
そして大黄らの根拠地である山奥の錬成道場に、二人及びピーターはおもむ
き、汚される。
具体的にそこで何があったのかは判然としない。ただ、二日間を開けて山
奥の道場から戻った二人は、ガタガタになって、千樫の前に姿を現し、ただ
身体を洗って寝入るばかりだった。その日を境に吾良は決定的に変わった。
「千樫の、才能にあふれて美しく、多くの人から愛された、――それも、子
供でありながら畏敬するように愛されていた――兄が、ある時からどこかえ
たいの知れないところのひそむ、それまでとは違う者になってしまった。」
(P296)
性的なことが、そこであったのかは、書かれていない。ただ間違いなくあ
った事柄は、人間の悪意にさらされた、邪悪な心に汚された、ということで
はないだろうか。印象的なのはピーターよりも、その錬成道場において、二
人を嘲笑した道場の若者たちだ。料理のために屠った牛の皮を、まだ生暖か
く汚れたままに二人に被せる。そのようにして牛の皮に包まれて身動きのと
れない二人を若者たちはさらに嘲笑する。そして、その山奥の道場から抜け
出し、松山の千樫のもとに戻ってきた二人は、その後の生涯においても、こ
のような悪意と戦い続けなければならなかった。その過程において、ガタガ
タになった吾良は、先にあちら側へ、「外側のあの向こう」(悪意に充ちた
世界)のさらに先へ突き抜けてしまったのだ。
最終章は千樫の視点から描かれている。その中で、チェンジリング、とい
うヨーロッパの伝承をもとにした絵本に言及している。妹である美しい赤ん
坊を子守していたアイダは、ホルンを吹いている隙に、赤ん坊をゴブリンに
さらわれ、氷の赤ん坊と取り替えられてしまう。怒ったアイダは宙を飛んで
赤ん坊を取り戻しにゆく。千樫は兄・吾良が、あのガタガタになって古義人
と戻ってきた夜以来、「この吾良は本当の吾良ではない」と感じ、その感じ
方を、チェンジリングという話に重ねた。アイダは赤ん坊を取り戻すが、千
樫はアカリを生む際に、「失われた無垢の吾良を取り戻したかった」のだと
思い当たる。アカリは知的障害はあるが、作曲を通じて「完全な美しさの自
分を取り戻した」。
そのようにして円環する物語は、宗教団体を中心に据えた前二作の表現よ
りも、読み手に強い説得力をもって迫る。沈鬱ながらに希望の光もある。い
や、どのようにしても悪意にまみれて生きていくしかない生の苦しさばかり
が際だっているかもしれない。しかしそのようなものを受け止めて立つ力は
この作品にみなぎっている。
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■「一字千金の記」/グッドスピード
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「用字の統一について」
誤字・脱字のたぐいならば比較的簡単な話だが、「用字の統一」となると
一筋縄ではいかなくなる。実際、校正でもっとも頭をいためるのはこの問題
なのだ。
たとえば、澁澤龍彦はこう言っている。
〈近ごろの校正者の通弊として、私がもっとも困ったものだと思うのは、
やたらに字句の統一ということを気にする点である。これは画一的な学校教
育や受験勉強の影響ではないか、などと考えてしまうほどだ。「生む」と書
こうが「産む」と書こうが、どっちでもいいのである。その場合に応じて、
両方を使い分けても一向に差支えないのである。〉
私も基本的にそう思う。つづけて澁澤は例をあげる。
〈「渇を癒す」と書くと、「渇き」ではないかと指摘されることがある。
これは「カツをいやす」と読むのである。「カワキ」ではないのである。そ
のくらい、おぼえてほしいものだ。〉
また同様に、紀田順一郎氏も「用字の統一」についてこう述べている。
〈たとえば「大方」「おおかた」と二通りの記述があり、どちらかに統一
してもらいたいという。しかし、これはその場の呼吸とか、字の続きぐあい
とか、あるいは前述の送りや上げをしないくふうからそうしている場合があ
る。字の続きぐあいというのは、「出張校正で大方本文は片づき」といった
文章の場合、どうみても「出張校正でおおかた本文は片づき」の方が、可読
性の面でもすぐれている。〉
そして、こう続ける。
〈どうも近ごろは、機械的な統一を問題にする傾向が強くなっていて、著
者をいらいらさせる。教科書などは統一もやむをえないであろうが、その他
の出版物にまで形式主義を押し通すべきではない。機に応じたヴァリエーシ
ョンがあってこそ、文章は生きてくるのであり、多くの場合平明達意という
ことにもつながっていく。〉
まさにその通りだろうと思う。書き手がいらいらするくらいである。私も
同感だ。
とくに校正する側として悩むのは、漢字をひらがなにするかどうか、そし
てそれを統一するかどうかという場合である。なぜなら、それは字として間
違いではないなかである。
たとえば、「例えば」と「たとえば」、「既に」と「すでに」、「一つ」
と「ひとつ」などなど、数え上げたらきりがない。これはまさに可読性と慣
用性から判断するしかない。著者が意識して使っている場合は、著者との相
談で判断するが、そうでない場合はこちらで判断せざるをえないからだ。
短い原稿ならば統一も押し通せるかもしれないが、たとえば、単行本1冊
とかになるとそうもいかない。
そこで判断基準となるのは何か。そもそも判断基準などないわけだから恣
意的に作らなくてはならない。そこで重要なのが、やはり文脈を生かした可
読性と慣用性である。そしてこれは読書を通じてしか身につけられないもの
なのだ。その意味でも、校正の難しさは、間違いを正すことより、文章を生
かした用字にあると言えるだろう。
とにかく、これにはマニュアルもないのだから、日々実践のなかで会得し
ていくしかない。こういう問題に突き当たると、いつも「文は人なり」と思
いながら頭を掻くのである。やれやれ。
(第16回・了)
●活字版VOWのネタを募集しています。本や雑誌などで見つけた面白い
誤植(誤字)を下記のアドレスまでお知らせ下さい。
ryuz@cf6.so-net.ne.jp (グッドスピード)
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■あとがき
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いまどき朝日新聞の「天声人語」を読んでいるというと失笑をかうようで
はずかしいのですが、たまたま読んでしまった昨年12月31日付のそれ
はひさびさに感銘いたしました。「きのうに続く今日を泰然と生き、今日
に続く明日を、悠然と生きていく」。20世紀最後とあってかいつになく気
合の入った「天声人語」でありました。そうそう、帰省した田舎で、90
歳をすでにいくつか過ぎた祖母と、離乳をはじめた1才半の姪がたわむれ
ている様子をみたことも、この言葉に感銘したことに深くかかわっている
のかもしれません。今世紀もどうぞよろしくお願い申し上げます。(グ)
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