2001.2.5.発行 vol.59 [ねばり強さを求めて 号]

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■■  [本]のメルマガ                              2001.2.5.発行
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■CONTENTS----------------------------------------------------------- 
★トピックス
→イベント、雑誌特集、出版社社員募集。

★「マエストロ鏡玉のメディアジャーナル」/マエストロ鏡玉
→「効率化」は人間に何をもたらすのか。高度情報化社会批評! 

★「虚実皮膜の書評」/キウ
→オウム問題の核心に迫る小説家の呻吟を読む。

★「一字千金の記」/グッドスピード
→「岩波新書」ともあろうものが、どうしたの?

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■トピックス
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■第4回 アンドロメダ忌「21世紀の埴谷雄高ーー宇宙論と存在論」
2月19日(月)17時から19時。アテネ・フランセ文化センター4階講堂
(御茶の水駅、TEL03−3291−4339)。
参加費1000円。
ビデオコラージュ「HANNYA 1997→2001」の上映と作家の島田雅彦氏によ
る講演会「彗星の住人として」。

■「すばる」3月号で大江健三郎特集
書き下ろし小説『取り替え子』(講談社)が話題の大江氏だが、今月発売
の「すばる」3月号の大江健三郎特集が注目。大江健三郎・井上ひさし・
小森陽一3氏による座談会「大江健三郎の文学ーー作家前夜から最新作
『取り替え子』まで」(180枚)と榎本正樹氏による「大江健三郎作品ガイ
ド」。

■東京大学出版会が営業部員を募集
『知の技法』や『越境する知』などのシリーズでアカデミックな閉域を広く
世間へと開いた、先鋭集団・東京大学出版会が営業部員(経験者・35歳ま
で)を若干名募集! 版元営業のみならず、書店、取次、他業種の販売経験
者も応募可。応募期限2001年2月13日書類到着分まで。詳細は下記サ
イトをご覧下さい。電話、メールでの事前の質問も可能とのことです。
http://www.utp.or.jp/boshu/boshu-3.html

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■「マエストロ鏡玉のメディアジャーナル」/マエストロ鏡玉
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第21回 コメニウスの夢

 文部科学省の新任大臣が「奉仕活動」とやらを強制でもやらせると言っ
てますが、大体すごい内閣で、笹川某になんて、社会は弱肉強食といって
はばかりません。この内閣によると、不登校の子どもは弱肉らしい。すべ
てを食らいつくして金持ちになった人たちは言うことも違う。悪食は餓鬼
道のはじまり。「みなさん、働いて、働きましょう。働くというのは、ハ
タの人をラクにすることだといいます。働いて、働いて、ハタの人をラク
にしましょう」と国民に呼びかけたのは、池田勇人だったけれど、これは
いいことばですね(笑)。働きすぎて、200兆円も後の世代に借金しち
ゃった才覚の人たちが、この上もっと社会に奉仕しろと言ったりする。大
体科学と文部がくっついちゃうところに問題がありはしないか、と。 

 マクルーハンの先駆とされる、ランスロット・ホグベンの『洞窟絵画か
ら連載漫画へ』(南博他訳、岩波文庫・絶版)が書かれたのは、第二次世
界大戦直後の1949年であった。ホグベンは本書の目的をこう記している。
「この本は、動物のうちで読み書きのできる唯一の種である人間が登場し
てくる有様をしめすひとつのパノラマであり、また人類の統一を告げる前
奏曲としてこの世界から文盲をなくすという仕事の予告でもある」。
 原子力爆弾の出現により、人類が今後も生き続けるためには、全人類が
なんらかのかたちでひとつの連邦政府のもとに統一されることが前提にな
ったとし、いわば世界=地球市民となるための教育の重要性をホグベンは
説いた。暦、文字、計算法、印刷術などの歴史をたどりつつ、ある少数の
者のみが専有していた知が、より多くの者がふれることができるようにな
ってこそ人類の文明の発展があると彼は言う。
 戦争という悲劇が、コミュニケーションの不全によって起こると考える
ならば、全世界の人々がお互いに議論をできる、そんなコミュニケーショ
ン手段を模索すればよい。話の通じない者たちに、視覚の助けでもって考
えを疎通させることに彼は可能性を見いだしたのだった。

 ダグラス・エンゲルバード。彼が1960年代に開発したNLS(oN 
Line System)というシステムは、マウス、グラフィック、ハイパーリン
クといった、後のコンピュータに大きな影響を与えるものであった。知識
の急速な進歩は新しい問題と、才能ある人たちが長いあいだかかっても解
けなかった問題に、いろいろな人たちを多数、動員できる時代にして初め
て可能である。理論と実際の交流を可能にする手段として、彼はネットワ
ークシステムとしてのコンピュータを構想した。
 第二次世界大戦に従軍し、その後復学した彼がたどりついたテーマは
「複雑化、高速化する情報社会において、人間の能力をさらに拡張するた
めには何が必要か」ということであった。社会が抱える問題がますます複
雑化する一方で、それに割かれるべき時間はますます失われていくことに
気づいた彼は、集団の構成員が効率的に問題に対処できるようなシステム
を構想する。戦争中、レーダー技術士であった彼は、電子工学の世界では
何でもやりたいことが画面上で実現できることを知っていたため、人間の
思考を表現する新しい方法を獲得する可能性を、コンピュータに見いだし
た。彼がめざしていた「人間の知的能力の拡張」という試み、それは人間
が知的作業を効率的に行うための方法論ということであった。現在の彼の
テーマは「オープン・ハイパードキュメントシステム」なるもので、みず
からの情報と外部の情報を統合し、対話を通して人間の能力の拡張をめざ
すものだという。
 
 異なる文化的な背景をもつ二人が、理解しあう可能性。それは相互的な
信頼と熱意によるものであろう。分かり合うためにはねばり強い努力を必
要とするものだと思う。メディア、あるいはメディア論を構想する人々は
こうした努力を「短縮」することを夢に見てきた。「だってそんなに時間
をかけていられないから」。これは怠惰ともいうべきものだろう。
 彼らのうちあるものは、子どもの学習に注目してきた。学習の期間をな
んとか短縮できないものかを思案してきた。17世紀のボヘミアの聖職者の
コメニウスはいう。「学校は一年で修得することを十年もそれ以上も費や
して学ぶ精神の屠殺場である」。ホグベンは彼のこのことばを引用し、コ
メニウスが構想した学習の短期化にむけた絵本『絵で見る世界の本』が、
現代のコミュニケーション技術の発達によって、ようやく実用化できる時
代にきたとしている。
 学校がそういうところであることは否定もしないが、ものごとの理解に
むけた学習というものは、やはりある程度の時間がかかるものなのではな
いだろうか。理解の効率化は、より深い理解を意味しないのである。

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■「虚実皮膜の書評」/キウ
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『善悪の彼岸へ』 宮内勝典 集英社 00.9

 オウム真理教の起こした事件について、それほど多く本を読んできたわけ
ではなく、せいぜい一連の新聞・テレビによる報道、村上春樹の「アンダー
グラウンド」(講談社)「約束された場所で」(文藝春秋)、宮台真司の
「終わりなき日常を生きろ」(筑摩書房)ぐらい。

 それらから得る情報は、それなりに強い印象を残すものではあるけれど、
少なからぬ不満があった。オウム真理教の教義自体に踏み込んでの批判がな
い、という部分だ。

 テレビに映し出される、「オウム、出て行け!」という看板を立てての住
民運動にも、違和感があった。出て行って、他の町で暮らしてくれればいい
のか? 自分たちさへよければ他の町の人たちなどどうでもいいのか? オ
ウムの子どもたちを学校施設が受け入れ拒否するというが、それは憲法に反
するのではないか? やはり自分たちがよければ、それでいいのか? あた
かも、オウム真理教の一連の事件など一部の異常者たちの行動であり、自分
たちとはなんの関係もなく、さっさと消え去ってほしい、と願っているよう
だ。おぞましいものは抹殺されればいい。その子供とて例外ではない。そう
いうことなのか?

 オウム真理教を、教義のレベルで批判し、その存在意義を粉砕するのでな
ければ、彼らはオウム的な集まりを解消することはないだろう。彼らの多く
は社会の現状への不満から、そのような行動に至っているのだから、そのよ
うにして構成された団体から抜け出て、この社会へ戻ってこいと言っても説
得力はない。社会に魅力がないから出ていったのだ。そしてそのような社会
の現状を、やはり現代社会は見つめ直す素振りもなく、ただ「オウム、出て
行け!」と叫ぶばかり。

 やるのならば、教義のレベルでその間違いを究明し突きつけることだ。
(もちろん、犯罪事件としての責任追及も、また別問題としてなされなけれ
ばならない)

 この本は、そのような宗教の根幹の問題へ、激しく詰め寄っている。

 著者は、世界を放浪していたらしく、アメリカのカウンター・カルチャー
世代の、精神世界やニューサイエンスなどにも詳しい。インドに行って、ヨ
ーガも経験している。いわば、オウム真理教へ向かった人たちの心性に近い
ところをさまよい歩いていた人だ。その著者が自身の経験や知識を駆使し、
密教経典やその歴史にあたるなどして、オウム真理教の教義を強く批判して
いる。

 もっとも印象的だったのは、オウム真理教がその教義において依拠してい
る密教に触れた部分。密教というものは、その性欲崇拝などから、仏教を巧
みに取り入れながら肥大化していった、土俗宗教と思っていた。しかしその
歴史を遡ってみれば、カースト制度の枠組みからも外れてしまう最下層の人
たち、アウトカーストの人たちの間で育ってきた宗教であり、その悪や殺人
さえ肯定してしまう教義は、徹底的に差別されてきた層の人々の、反逆の意
思の表れであるようなのだ。そのような階級闘争の意思が欠落したまま、都
合のいいように解釈してできあがっているのが麻原彰晃の教義だという。ル
サンチマンと階級闘争の意思とは違うということだ。

 しかし戸惑うのは、そういうルサンチマンを、多くの人間たちに抱かせて
しまう社会において、密教的なものに依拠した宗教が、多くの共振者を巻き
込んで成長してしまうということだ。現代社会への反逆の意思を強く肯定し
てしまう宗教が存在しえる、ということだ。アメリカの人民寺院のような集
団自殺へ向かわず、集団他殺へ向かってしまうことだ。

 そのような日本特有の状況を著者は「日本型のニヒリズム」(P260)と呼
ぶ。近代西洋の先進国が生み出したニヒリズムがアメリカ大陸へわたり、西
海岸へ達して多くのカルトを生み出した。そのニヒリズムは海を渡り、仏教
的な無常観(ニヒリズム)を抱えた、生まれながらにしての無神論者・日本
人を浸食している。「オウムの種子は、仏教そのものに内在されていた」 
(P249)のだ。

 では、どうすればいいのか。著者は語らない。小説家である著者は、文学
が新しい世界のモデルを提示しえていないことに強い敗北感を感じている。
安易な希望は語れない。語ればオウムと同じことになってしまう。宙吊り状
態。これを耐えるしかない。耐えつつ、来るべき理念の形を問い続けるしか
ない。そう結んでいる。

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■「一字千金の記」/グッドスピード
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「自伝の試み」

 誤りを正すのが校正者の仕事なのに、時に夢中になって「アラ」を探し
てしまうことがある。とくに、その本なり、文章なりに一箇所でも誤植な
どがあると、まだあるんじゃないかと必死になったりする。

 1月の岩波新書の新刊に河合隼雄の『未来への記憶ーー自伝の試み』
(上下)があり、興味をひかれて読んだ。副題にもあるように、臨床心理
学の第一人者の語りの自伝である。この本の大半は、岩波書店の『図書』
に1998年7月から2000年11月のあいだ連載されていたもので、何回かはそ
の初出で読んでいた。この「語り」という形式のいいところは、まず何よ
りも読みやすいこと、そして話者の感情がその語りからわかるところであ
る。そのため期待をして読んだ。
 上巻は幼少期から心理学に目覚めるまで。下巻はアメリカ留学とスイス
のユング研究所で分析家の資格を得るまでの半生を、数々のエピソードを
交え語っている。期待にたがわず実に面白かった。とくに上巻の幼少期の
話は、いかにしてこの知の巨人が誕生したかその秘密の一端を知ることが
できる。具体的な内容は読んでいただくことにして、この本の面白さの一
方で、気になることがいくつかあった。それは内容の問題というよりも体
裁の問題である。つまりは校正者として気になるところである。

 語りの有効性は充分に認めることはできるが、そのまとめ方が非常に粗
い印象がある。同じことの繰り返しがあったり、話題が前後したり、おそ
らくインタビューとして語られたまま、若干の整理をへて原稿にまとめら
れたのであろうが、もう少し語りをまとめることができるのではないか。
そこが多少残念に思うところである。「岩波新書」ならば、うまいまとめ
方はできるはずだと思うし、逆に「岩波新書」とあろうものが、このくら
いのまとめ方でいいのかとも思ってしまう。つまり、この「語り」の面白
さをもっと引き立てるまとめ方ができたのではないかと思うのである。

 体裁もしかり。たとえば中見出しの位置について。一冊の本の中で統一
がとれてはいるものの、通常、ページのお尻に中見出しがきた場合、次の
ページにおくるものだが、本書では、見開きで右ページのお尻にきた中見
出しはそのままになっていて、その左ページから本文が始まっている。ふ
つう、本や雑誌を作る場合、中見出しの数や本文の行を調整してそういう
ことがないようにするものだが、本書ではそれを許している。そんな箇所
が上巻に3箇所、下巻に3箇所、計6箇所認められた。

 それからぶら下がり。行末の句読点のぶら下がりは問題ないとして、
行頭に一文字と句点がきて改行となると、見苦しいということでやはり調
整するものだが、本書ではそんな調整の気配はない。新書なのでそれが余
計に目立ってしまう。そういった箇所が上巻で12箇所、下巻で11箇所認め
られた。

 さらに、これはまとめ方の問題にも通じることだが、略語などが初めて
登場する箇所には正式名称などを補足するのがふつうである。たとえば、
上巻86ページに「N響」という言葉が初めて出てくるが、「NHK交響楽
団」といったような補足説明がない。言葉としてわからないことはないが、
こうした箇所を見るにつけ、まとめや整理が「粗い」と感じてしまう。

 そうなるとさらに「アラ」を探したくなるものである。決定的なのは、
下巻182ページに「鈴木大拙はヨーロッパに行ったときにカルフさんの家
によう泊まっていたんです」とあり、この一文の句点が欠損している。
単純な見落としだろうが、「岩波新書」ともあろうものがと思ってしまう。

 意地悪く本書の「アラ」をひけらかしたが他意はない。内容が面白いだ
けにこうした体裁部分が余計気になってしまうのである。
 もうひとがんばり。
(第17回・了)
●活字版VOWのネタを募集しています。本や雑誌などで見つけた面白い
誤植(誤字)を下記のアドレスまでお知らせ下さい。
 ryuz@cf6.so-net.ne.jp (グッドスピード)
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■あとがき
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疲れてもいないのに、たまに「世界」と「自分」がしっくりこないこと
がある。原因はよくわからない。そんなとき有効なのは本を読むことで
ある。本を読むという行為は、ある意味で「自分の世界」に入り込むこ
とだが、そのことで「世界」と「自分」が落ち着く気がする。本を読む
こともまた、現実感を手に入れる大事な行ないなのではと思うのだが。
暦の上ではもう「春」。でも寒さはこの2月が一番厳しい時期である。
みなさま、風邪などめされませんように。(グ)
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■■       mailmagazine of books           [眼を瞑れ 号]
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■CONTENTS----------------------------------------------------------- 
★トピックス
→イベント情報、書店情報など。

★「マエストロ鏡玉のメディアジャーナル」/マエストロ鏡玉
→「イメージ」は敵か味方か。フォトグラフの哲学のために。

★「虚実皮膜の書評」/キウ
→忙しい裁判官もすぐれた小説を読まなければならない。

★「一字千金の記」/グッドスピード
→昌子さんのフロッピーに残された原稿とは?

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■トピックス
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■中沢新一氏講演会+サイン会 
久々の新著『フィロソフィア・ヤポニカ』(集英社)の刊行を記念して、 
東京・青山ブックセンター本店(表参道)のカルチャーサロン青山で、
中沢新一氏の講演会とサイン会が開かれる。3月12日(月)19:00〜21:00。
入場無料・要予約。 定員100名。予約・問い合わせ先は、カルチャーサロン
青山(03-5485-5511、10:00〜22:00)。
青山ブックセンター http://www.aoyamabc.co.jp/ 

■ジュンク堂書店池袋本店が新装オープン
3月1日、売り場面積1000坪から2000坪に増床され、常時在庫約150万冊
と、大阪本店(1500坪)を上回る巨大書店に。レジカウンターを1階に集中
化。また、今月から来月にかけて、姫路駅店、神戸市舞子店、三宮駅前店、
西宮店が新装オープン。サイン会、トークショー、フェアなど関連イベント
も多数開催される。(先日、池袋本店に行きましたが、2000円以上買うとグ
リーンの布の手提げがもらえます)
ジュンク堂書店 http://www.junkudo.co.jp/ 

■現代思潮新社全点フェア
東京神田神保町の東京堂書店(03−3291−5181、AM10時〜PM7時)で、3月
31日まで。トロツキー著作集より10点、大杉栄選集より4点、エートル叢
書第1期10巻など、僅少本をふくむ300余冊を展示即売。
現代思潮新社 http://www.gendaishicho.co.jp/index.htm 

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      ※なぜ私は戦争や性について「語らない」のか……※
  『ためらいの倫理学――戦争・性・物語』内田 樹 著(神戸女学院大教授)
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
  46判/並製/272頁/本体2000円/発行:冬弓舎(http://thought.ne.jp/ )
  内田さんの文章は、「爆笑問題」の百倍おもしろい。(鈴木晶氏)
  内田さんは「思想の整体師」である。貴方のコリ、ほぐします。(増田聡氏)
  ■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■
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■「マエストロ鏡玉のメディアジャーナル」/マエストロ鏡玉
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 第22回 フォトグラフの哲学のために その1

 新聞折込のパック旅行広告、「MAX やまびこ号でいく東北春景色29,800
円〜52,800円」という案内に貼り付けられた旅館の料理の写真と弘前城の
写真。これら写真の下に付せられた「イメージ」の文字。「これは広告の
写真とだいぶ違うじゃないか」食事にイメージと但し書きをするのは理解
できる。が、お城にそんな但し書きをするのは、どういうことなのだろう
か。「これは広告にあった弘前城ではない」というクレームをつけるお客
が、いまや偏在する社会なのだろうか。

 F・ジェイムソンの天気予報
 書名にひかれて買った本。『文学=イメージの変容』(F・ジェイムソ
ン著、世織書房)は、そんな本だった。カバーの美しさとあいまって、イ
メージとはどういうことだろうかと考えてみようという気にさせる。

 イメージについてもっとも多く語っているのは、本書はじめの「ポスト
モダンにおけるイメージの変容」という章だろう。一日に1000ものイ
メージに晒されているような、そんな今日の視覚主導社会にいる私たちは、
身体も精神もこのイメージの飽和に対応するために、あらたに器官を発達
させることになり、思想も文化的産物も、この異常な視覚性に満ちた新た
な環境の影響を深奥に受けていると想像されるとして、ジェイムソンはサ
ルトルやファノン、フーコーの見ること=視覚の理論を論じつつ、ポスト
モダンとよばれる段階にあって視覚が陶酔の形態となり始めたのではない
かと提起する。
 このような段階に消費は物資としての商品ではもはやなく、情報テクノ
ロジーが消費物となっているのだという。今や情報テクノロジーの形態を
した後期資本主義が、みずからのテクノロジーを「食べて」、進行しつづ
けているのである。ポストモダンは商品化のさらなる強化、事物がイメー
ジへと変容していくことの普及ととらえられる。

 視覚消費のこのような状況にたいして、イメージを抗するにイメージを
もってする、<同種療法>の可能性を示唆しつつ、現在にあって美あるい
は審美的なものが政治的な申し立てとなりうるのか、ジェイムソンは自問
している。前世紀、審美思想、美は破壊的な効果をもちえたのは、それが
商品形態に未だ侵食されない精神の一部、社会生活の一部である思想に基
づいていたからだと、彼は言う。商品化されていない空間を、今、想像で
きるか? と限りなく否定的な調子を、彼の「文化気象予報」は告げてい
る。

 偶像崇拝の禁止
「巨大仏 破壊開始か タリバン ロケット砲撃ち込む アフガニスタン
からの報道によると、同国の大半を支配するイスラム原理主義勢力タリバ
ンの兵士は2日、世界的に有名な中部の仏教遺跡「バーミヤンの石窟」の
破壊活動をはじめたもようだ」(東京新聞3月3日記事)

「壊すのなら買い取る!! NYの美術館が意向 ニューヨークのメトロ
ポリタン美術館のフィリップ・モンテベルロ館長は1日、アフガニスタン
のイスラム原理主義勢力タリバンに対し、仏教彫像などアフガニスタンの
文化遺産を買い取りたいとの意向を明らかにした」
(東京新聞3月3日記事)

「イスラム教義誤解される アラブからも非難 本来、他宗教・文化に寛
容 【カイロ3日島田佳幸】イスラム教は偶像崇拝を禁じており、開祖マ
ホメットの言葉に従い、住居内に一切の偶像を置かないという教徒もいる
が、本来、他の宗教や文化には寛容であり、アフガニスタンのタリバンの
仏教破壊行為は「イスラム教を誤解させる」として、一般には、苦々しく
とらえられている。・・・・・・エジプトのイスラム法学の最高権威者で
あるムフティのナスル・ファリード・ワセル師も、タリバンが破壊した後、
アラブ紙アルハヤトに「大仏は歴史を伝える記録であり、イスラム教に、
いかなる悪影響も与えるものではない」と語った。イスラム化される以前
に造られたという点では、古代エジプトの偶像も同じで「それを維持する
ことで、観光収入など利益をもたらしてくれるのであり、何らハラム(イ
スラムの禁忌)ではない」としている」(東京新聞3月4日記事)

(この項続く)

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■「虚実皮膜の書評」/キウ
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 『白痴群』 車谷長吉 新潮社 00.11

 柳美里氏の「石に泳ぐ魚」が、控訴棄却、出版差し止め、という控訴審判
決を受けた。小説のモデルにされた原告側が、「プライバシーの侵害」を訴
えたものである。

 作品を読んだわけではないので、その内容に踏み込んでものを言うことは
できないが、判決文については首を傾げた。「現実に題材を求めた場合も、
これを小説的表現に昇華させる過程において、現実との切断を図り、他者に
対する視点から名誉やプライバシー損なわない表現の方法をとることができ
ないはずはない」という。小説世界を現実からきれいに切り離して構築でき
るという発想は、現実を事実のままに表現できると思いこむのと同様に、愚
かしい。文学においては、「事実」とは何か、「虚構」とは何か、というこ
とこそ問われるべきであって、「事実」や「虚構」が、どこかに実体として
転がっているものではない。「現実との切断を図り」というときの「現実」
とは何なのか。そのことを探る作業こそ、文学的営為であり、ことに私小説
作品にとっては「命」とも言える作業だ。「小説的表現に昇華」というとき
の「昇華」には裁判官の文学に対する個人的価値判断さえ含まれている。車
谷長吉も、私小説作家として「つぶされる」と、判決に対してコメントして
いるが、そのような危惧は確かに感じられる。

 その、車谷長吉の最新作は、前回の作品集『金輪際』(文藝春秋)と同じ
ように、古い作品と最近の作品が同居している。作品集の半分のページを占
める表題作は昭和五十年の作品。「贋風土記」というタイトルを「白痴群」
と改題してある。

 作者の少年時代とおぼしき「私」が主人公。田舎に暮らす「私」は、小学
校へ入学する際に、都会に暮らす伯母の家に預けられ、そこから都会の小学
校へ通うことになる。生まれ育った田舎と都会との生活は、まったく状況が
違い、悪戦苦闘しながら、大人たちの都合に自身の生活を左右されつつ、そ
れらの人々を観察する。

 おそらく「白痴群」と呼ぶのは、それらの大人たちのことなのだろう。視
点は子供なのだけれど、その眼差しは完全に大人のもので、だからといって
回想録ふうに書かれているわけでもなく、大人な眼差しを持った子供の視点
という感じ。内容に比してタイトルも仰々しい。

 むしろ「白痴群」なのは、そのあとに続く、近年の作品だろう。

 「狂」は著者とおぼしき「私」が、高校時代に世話になった教師を描いて
いる。今は亡き立花先生は、苦学して東大へ進んだ郷党の俊才だったが、三
菱商事に入社後、上司と対立し、これを殴りつけて会社を辞める。その後、
飾磨高校で教鞭を執ることになる。深いニヒリズムを抱いている立花先生は
哲学の課外授業を設けて、生徒に呼びかけ、「私」は私淑する。

 「私」は立花先生のなにに惹かれるのか。

  この時、立花先生の生は狂うたのである。この狂うたというのが大事で
 ある。先生は「順の人。」から「異の人。」に転じた。異の人とは、この
 世の異者である。(中略)いずれにしても立花先生の生は、天と地が反転
 したのである。恐らくこの時はじめて、先生の中で「精神。」という「物
 の怪。」が息をしはじめた。(P129-130)

 「私」は、この異者に共振する。「私は先生の意に反し、無能者の文士に
なった。文士なんて、人間の屑である。」(P143)という「私」は上司を殴
りつけて狂うた立花先生の、異者としての陰に惹かれる。

 最後に収められている「一番寒い場所」は、日本社会党委員長浅沼稲次郎
を講演中に殺害し獄中で自殺した山口二矢の親友を名乗る逆木氏との交流を
描く。

  誰の心の中にも「一番寒い場所」というものがある。心にこれをやらな
 ければいけないと思い決しながら、ともすればそれが実行できない部分で
 ある。行動できない部分である。(中略)
  併し文学には本質的に反社会性がふくまれており、書くのは疚しいこと
 であった。己れの振る舞いに何か不信に似たものを絶えず感じ続けて来た。
  書かなければ、と思い決しながら、ともすれば行動できないのは、この疚
  しさあるがゆえである。(P202)

 大学を卒業して、くすぶった「一番寒い場所」を抱えながらサラリーマン
となった「私」は、同じく「一番寒い場所」を抱えた逆木氏と、知りあう。
山口二矢は思い決したことを行動に移したが、親友・逆木氏は踏み出せない
まま無為に日を過ごしている。高校時代に山口二矢の事件に強い衝撃を受け
心の傷ともなったという「私」も、サラリーマンとして思い切れない日々に
鬱屈している。

 ある日、逆木氏は「私」の部屋にやってきて、黒い拳銃と五百萬円の札束
を目の前に置き、創価学会の池田大作を殺ってほしいと依頼する。「私」は
受けない。逆木氏は「そうか。あんたも俺みたいに腐れ金玉になりたいのか
。」(P240)と詰め寄る。「私」は「一番寒い場所」を抱えてはいるが(そ
れを見込んで逆木氏は依頼したのだが)、この申し入れを受けない。

 「『精神。』という『物の怪。』」にしろ、「一番寒い場所」にしろ、そ
のような厄介なものを抱え込んでしまった「私」を、寒々とした世界像とし
て提示する。この寒々とした「私」を、著者は、恐らく、社会の中で生き抜
くひとつの有効(?)な方法として表現しているのだろう。そこにはユーモ
アさえある。

 「私」という現実/虚構が、どのように読み手に作用するのか。繰り返し
語られる「車谷長吉」の「私小説世界」は、そのような実験の場なのだ。

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■「一字千金の記」/グッドスピード
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 「150年前の誤植」――昌子のフロッピーより。

 鈴子の家に居候しながら小説を書いていたのは、作家を目指しながらも文
学賞を獲り損ねてあきらめた自分への慰めなんかじゃなくて、鈴子への家賃
がわりだったのだ。いまじゃすっかり「文学賞」なんて言葉を聞いても変に
興奮もしなければ、顔を赤らめたりすることもなくなった。
 でも先日、カバーに使われていた写真(エルヴェ・ギベールの)に惹かれ
て手にした堀江敏幸の『熊の敷石』(講談社)を読んで、「芥川賞」もまん
ざらではないと不覚にも思ってしまった。「芥川賞」など文壇(この熟語、
まだワープロに登録されているなんてチョーびっくり!)と出版界のための
イベントとしか思っていなかったわたしにとって、新鮮な驚きだったことを
告白しなければなりません。もう一度、作家をめざしてみようかしら。

 こんな意地の悪いわたしの性格は天性のもので、いつも鈴子には指摘され
ているのだけれど、小説を書く人間など、みんな意地が悪い、と思う。鈴子
だって、毎月私が書いてる小説を、ケチをつけるばかりで、素直に喜んでく
れたことはないんだから。
 そんなわたしが『熊の敷石』を意地の悪い読み方で読んでしまったのも当
然のこと。他人の小説なんて認めたことなどほとんどないのだから。といっ
てもこの作品には、精興社の美しい活字に満たされたその版面とともに、静
かな感動を覚えたのは確かなのでした。

 でも意地の悪い読み方をしたのは本当で、それが証拠に誤植をひとつ見つ
けてしまった。51ページ。
 19世紀後半、『フランス語辞典』を書き上げたマクシミリアン=ポール=
エミール・リトレの伝記の幼年時代の章に引用されていた文章――150年
前の――を引用した一節のなかに。
 
 「……大天使ミカエルに倒されたサタンの図柄をあしらった銅製品を一式
修理するため、僧院に呼び出された。善良なこの男は、検査が終わると、僧
侶たちにこう言った。「悪魔の方はよろしいのですが、大天使のほうはなん
の値打ちもありませんな」と。不幸にも、彼はユグノーだった。……」

 要するに、「悪魔の方」と「大天使のほう」の違いで、「方」を「ほう」
にすべきなところだとわたしは思うんだけれど。たしかに、文学作品の場合、
なんでもかんでも字句を統一することがいいこととは思えないが、作品全体
を読んでも、ここでは「ほう」を使うべきとわたしは思ったのでした。
 でも、原本そのものが間違っていたとしたら、それこそ150年前の誤植
ということになる。それをたしかめるすべはわたしにはないのであります。

 ところで、ここで正直に告白をしてしまうと、当のわたしも誤植をおかし
ていた。毎月鈴子に書いているわたしの小説は、松浦理英子の『裏ヴァージ
ョン』(筑摩書房)に掲載されているのだけれど、その9「第八話 ジュン
タカ」の中に1箇所誤植がある。108ページの1行目。

 「「ジュンタカのどこが好きなの?」と初代に訊くと「きれいだから」と
いう答。初乃に案内させて……」

 初乃というのは、喜多川初乃ちゃんと言って、わたしや菊子の同級生なん
だけど、初代なんてわたしは知らない。つまり「初代」は「初乃」の誤植な
のよ。恥ずかしいったらありゃしない。
 鈴子も鈴子よ。毎回わたしが書いた小説に数行のコメントをゴシック体で
返してくれるんだけど、誤植の指摘をしてくれなかった。鈴子も見逃してい
たのね。ちゃんとわたしの短編を読んでいてくれたのか、疑わしいわね。
 でも、鈴子にはしばらく会っていない。どうしているのかな、鈴子。
(第18回・了)

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■あとがき
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昨年12月には寒さを忘れ、今月は花粉症を忘れる。でもね、忘れたくなんて
ないのよ。正直言って。体が弱っているときに本を読むのはいいですね。
もっと弱くなりそうで。とくに優れた小説を読んだときなどはなんとも言え
ません。話しは変りますが、どなたか栄養ドリンクに詳しい方いませんでし
ょうか。ドリンクマニアの方、安くて一番利くやつを教えてください。(グ)
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