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2001.02.25.発行 vol.61 [大盛カレーライス 号]
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■■ [本]のメルマガ 2001.02.25.発行
■■ vol.61
■■ mailmagazine of books [大盛カレーライス 号]
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■CONTENTS-----------------------------------------------------------
★トピックス
→小林秀雄全集、人文系オンデマンド本、海外新雑誌、アマゾンのレイオフ。
★「脱・書店員日記」/aguni(あぐに)
→なぜ人は物語を必要とするのか? 物質としての本の呪いを超えて。
★「現代思想の最前線」/五月(ごがつ)
→ドゥルーズとガタリの再評価をめぐって、注目の新刊近刊をご紹介。
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■トピックス
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■小林秀雄全集第五次に幻のベルクソン論「感想」が初収録
昭和期の論壇史上に燦然と輝く小林秀雄(1902-1983)の生誕100周年を目前にし
て、2001年4月10日より新潮社から第五次全集全14巻別巻2が刊行となる。20歳
の頃執筆された創作「蛸の自殺」から、自ら出版を禁じたベルクソン論「感想」
まで、前回未収録分のテキストも多く、今回初となるのが約170篇。特に1958
年から1963年に雑誌連載された後者のベルクソン論は、その重要性にもかかわ
らずコピーの束のみが学生や研究者たちの間で回覧され、近年それについて批
評家たちから再評価が高まっていたにもかかわらず、著者の厳命により単行本
化も全集への組み込みも適わなかった。この幻のテキストと1981年の絶筆「正
宗白鳥の作について」とが併せ収録された別巻Tは、今回の全集の隠れたピー
クとなるだろう。毎月一点、10日の配本で、本体価は各8000円〜9000円。大き
さは菊判で、表紙は特製「葛巻紬」布と生成りの本皮の美しい丸背、貼箱入り。
全巻購読者には、特製CD「小林秀雄と音楽を聴く」をもれなくプレゼント。著
者の評論に近しいクラシックと、小林自身による音楽談義が収録されている。
なお2002年秋の本全集完結後には続けて、旧仮名旧字体を新仮名新字体に改め、
便利な脚注を施した第六次全集も、ハンディな46判で全28巻別巻4で刊行される。
http://webshincho.com/index.html
■人文6社オンデマンド出版の共同企画が4月に一挙刊行
岩波書店・晶文社・筑摩書房・白水社・平凡社・みすず書房の人文書系出版社
6社が、「本とコンピュータ」編集室および大日本印刷株式会社ICC本部との
共同企画で、オン・デマンド出版《リキエスタ(イタリア語でリクエストの意
味)》18点を、来たる2001年4月10日に一挙刊行する予定だ。「過去の出版の
蓄積から、新たな視点で新しい本を読者に。未来の出版の可能性から、最初の
問いかけを読者に」がキャッチフレーズ。人文系6社の編集者が、オンデマン
ド出版の方式を共同で活用して、これまでにない本づくり、アクチュアルで軽
快な、新しい人文書の〈かたち〉を提案する試みとのこと。18点のラインナッ
プは下記の通り。各A5判でページ数や定価は予定。平野甲賀氏がブックデザイ
ンを手がける。
●岩波書店
網野善彦『職人歌合』112p/1,300円
増淵龍夫『日本の近代史学史における中国と日本--津田左右吉と内藤湖南』
96p/1,300円
林屋辰三郎 校注『作庭記』70p/1,000円
●晶文社
小野二郎『小野二郎の書物論』104p/1,300円
中平卓馬『中平卓馬の写真論』90p/1,300円
C・ダグラス・ラミス『C・ダグラス・ラミスの学問論』
●筑摩書房
柳田泉『明治文学研究夜話』116p/1,300円
木村毅『明治文学余話』92p/1,300円
内田魯庵『気まぐれ日記』78p/1,000円
●白水社
アウグスト・ストリンドベリ『死の舞踏』128p/1,300円
T・S・エリオット『寺院の殺人』82p/1,000円
ロジェ・ヴィトラック『ヴィクトールあるいは権力の座についた子供たち』
94p/1,300円
●平凡社
大西廣『一休をめぐって何が起こったか----肖像画における「破格」の問題』
70p/1,000円
松原正毅『風景の発見――地域研究序説』96p/1,300円
西郷信綱『出雲国風土記 国引き考』58p/1,000円
●みすず書房
モーリス・ブランショ『友愛のために』清水徹訳/86p/1,000円
『ダヴォス討論(ハイデガー対カッシーラー)・カッシーラー夫人の回想抄』
岩尾龍太郎・真知子訳/108p/1,300円
西田長壽『明治新聞雑誌文庫の思い出』68p/1,000円
お問い合わせ先:購入については、株式会社トランスアート市谷分室(電話03
-3266-4698/Fax03-3266-2499/E-mail: sales@honco.net )。内容につい
ては、本とコンピュータ編集室(電話03-3266-4270/Fax03-3266-2499/E-ma
il: ondemand@honco.net )まで。http://www.honco.net/index-j.html
■アメリカの注目理論誌「グレイルーム」の創刊および第二号予定
MITプレスから昨年(2000年)11月に新しい雑誌が創刊された。建築・芸術
・メディア・政治を横断する理論誌と銘打たれた、その名も「グレイ・ルーム」
Grey Roomである。創刊号には、ガヤトリ・スピヴァクの論文「メガシティ」や
ユベール・ダミッシュによる「他なる〈私〉、オーストリア――オーストリア
あるいは空虚への欲望:アドルフ・ロースの墓にむけて」のほか、シルヴィア・
ラヴィン、アントワーヌ・ピコン、ティモシー・M・ローハンらの論考が掲載
されている。1997年1月の香港で講演した時の話から書き出されるスピヴァク
の論考「メガシティ」にはちなみに、タイトルを消去するように横棒が引かれ
ている。"Grey Room 01" 2000, MIT Press, ISSN:1526-3819, $18.00-
本誌は年4回の季刊で、ブランドン・ジョセフ、ラインホルト・マーティン、
フェリシティ・スコットの三名が編集者としてクレジットされている。総勢16
名の編集委員には、イヴ-アラン・ボワ、ジョナサン・クレーリー、トマス・
キーナン、フリードリヒ・キットラー、サミュエル・ウェーバーなどの名前も
見える。2001年2月に刊行予定の第二号(2001年春号)には、キットラーの「コ
ンピュータ・グラフィックス:準技術的序論」や、キーナンらによるシャンタ
ル・ムフへのインタビュー「芸術のあらゆる形態には政治的次元がある」など
が掲載予告されている。年間購読料は85USドル。版元のHPから申し込みできる。
http://mitpress.mit.edu/GREY
■アマゾン・コム大量レイオフでこれからどうなる
アメリカのインターネット利用人口は半年ごとに千万の単位で増加しているが、
ネット小売業は相変わらず厳しい状況で、今月(2001年2月)になっておもちゃ
販売の最大手のひとつイートイズは破産を目前にしていると記者会見した。他
のEコマース各社も昨年来人員削減を余儀なくされており、アマゾン・コムも
ついにジョージアの配送センターとシアトルの顧客サービスセンターを閉鎖し、
全社員の15%にあたる約1300人を2001年中に解雇することを1月末に発表した。
つい一年前には150人程度だったレイオフが膨らんできているのだ。ドットコム
企業全体でも大量解雇時代となっている今日のアメリカの情況は、早晩日本に
も伝染するかもしれない。かつてのビットヴァレーの盛況が、アメリカ同様の
失業者の大盛況なパーティに変わる日がくるのだろうか。
アマゾン・コムでは黒字部門の書籍販売以外は赤字と伝えられるが、売上が伸
長している電気製品をはじめ、台所用品、美容関連用品やおもちゃの販売に今
後いっそうの力を注いでいく。お家芸の書籍販売を手放すことはしないだろう
が、単価が安い書籍よりも儲けの大きい商材をこれからも開発するだろうこと
は確かで、このシフトが書籍販売離れの前兆とならないことを祈りたい。なお
今月初めの報道によれば、アマゾン・コムは電子メールを使用した顧客への書
籍販売促進について、版元に1タイトル最高1万ドルの料金の請求を開始する
という。現行の無料から最高1万ドルである。今まで自社のエディターが行っ
ていたレコメンデーション作業に対し、版元が金銭で物言わせることにならな
ければいいのだが。独自のエディターシップの確保が望まれることろだ。
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■ 「脱書店員電脳日記」/aguni(あぐに)
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第22回 私と物語論とインフエンザウイルスと
インフルエンザが流行しているようだ。私の体内にも珍しく病原菌が入って
きたようで、若干、熱っぽい。という言い訳を枕に、今回は私的な話を書いて
しまおうと思っている。万が一、これが掲載されていたら、こんなものでも面
白がってくださる方がいるんじゃないかという編集同人の方の温かい思いがあ
ったということだろう。
最近、仕事が忙しくてなかなか小説を読むことができない。精神的にも落ち
着きがないのだろう。開いて活字を追うことはできても、なかなか物語の世界
に入っていくことができない。テレビはうるさく感じる。マンガ雑誌はどのス
トーリーも分断されていて落ち着かない。
さりとて、物語が必要でなくなったのかといえばそうでもない。今、一番求
めている物語は映像的物語、映画であったりするのだが、これまた時間を必要
とするのでなかなか行けない。
仕方がないのでどうするかといえば、私は人と話をすることで解消している。
人に話しかけるのも、人の話を聞くのも好きな方だ。しかも何かを確認するた
めの喋りが多いような気がしている。
そんな不安定な精神状態の中でふと、自分の卒論のことを思い出した。社会
学専修だった私が大学の卒論のテーマに選んだのは、「物語の社会学」という
ものだった。優れた小説に感動するのはなぜか。人はなぜ物語を求め、噂をし、
本を読むのか。それを考えてみたい、というのがテーマであった。
私のそのときの考えの基本となっていたのは、生物学的に人間には物語が必
要、というものだった。
人類の過去を見ても、おそらく、文字を持たない民族はいても、物語を持た
ない種族というのはいなかったと思われる。(ここは想像で言っています。間
違いであればご指摘ください。)人間には言葉が必要であったから、言葉を使
うようになった。それと同様に、人間には物語が必要だったのだ。
とすると、それはとりあえず、人間の「知覚」に関係があることであろうこ
とは想像できる。
ゲーザ・サモシ『時間と空間の誕生』(青土社)は当時の私にとって極めて
刺激的な本だった。この本に書かれている認知科学系の情報が今も正しいもの
であるとするならば、哺乳類の知覚の発達が外界からの情報を統合するために、
シンボル言語を生み出したというのだ。シンボルの利点は、視覚からの情報と
聴覚からの情報を容易に統合できるということだ。
ではそうして生まれてきたシンボル達をどうやって統合していくのか?
ここで生まれたのが原始的な物語であったのだ、というのが私の論だった。
卒論は上の本をほとんどなぞるようにして論を進め、結局、宗教から歴史、
科学の誕生まで話をすすめていってしまう。(こんな卒論でよく単位がもらえ
たと今は思う。)それはそれで今、読むと原始的な論考で恥ずかしいのだが、
死ぬまでにはもうちょっと深く考えていかなければならないテーマであると思
っている。どうも取材や学術的な検証などする時間もないことを理由にほっぽ
ってしまっているのだが。
大学を卒業して本の業界に携わろうと思ったのは、今の物語の配給の現場が
どうなっているかが知りたいと思ったからだった。
しかし現実には本の出版から流通、販売というのは明らかに、物質としての
本の呪いとでも言うべき状況に支配され過ぎていたように思う。簡単に言うと、
モノがなければ売れないし、売れる以上あれば返品になるし、売ってしばえば
最後、その物語がどのように消費されているかわからない、という状況だ。
ことに最後の問題のことを考えるとユーウツだ。出版社は売れればいい本だ
と思うし、書店は書店でもっと関係ない。関係があるとしたら書店の外商で、
小説を売る能力のある書店員ぐらいだろうし、後は顔と名前が一致するような
小さなお店なら、そのフィードバックがあるかもしれない。即ち、「この前の
あの本は面白かったよ or つまらなかったよ。」もっともこれが成立するため
には、お客の方にも「本」に対するある種の「幻想」がないといけないのだろ
うけれども。(あまりこういうお店が新興住宅地の量販店の中にあってもダメ
だとは思う。)
こういう[本]のメルマガなどに携わっていると、その本の消費状況のフィー
ドバックというものがわかるかと思っていたけれども、結局、こうして文章を
書き散らしているだけの印象がなくもない。
今、私はオンライン書店に勤めている。先日、とあるシンポジウムに参加し
たところ、「オンライン書店にはまだまだビジネスモデルが確立されていない」
というお話を聞いてへえ。と思ったものだが、そもそも純利益率1割以下とい
う書店のビジネスモデルについても御意見を伺ってみたい、とふと思った。
仕事と宣伝抜きに、今、私が面白がって読んでいるのは読者による投稿書評
だったりする。識者によるプロの書評もまあ、買う気にはなるのだけれども、
読者の純粋な感想みたいな書評もあんがい面白かったりするのだ。もちろん中
にはプロ顔負けのネット書評家もいるんだけれども、なんとかして自分の思い
を伝えようとしているような、初めてのラブレターみたいな書評もある。
この素朴さの中に、出版社や取次がツブれても残るかもしれない、物語の力
を感じている。これが私の物語論の現状である。
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■「現代思想の最前線」/五月(ごがつ)
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第19回 ドゥルーズの世紀? ガタリは?
ミシェル・フーコーが「いつの日か世紀はドゥルーズのものとなるだろう」と
書いてから数十年が経つ。それがいつになるのかは分からないけれども、フラ
ンスにおいてはエリック・アリエズらによってドゥルーズ哲学は絶えず称揚さ
れているし、日本でも彼の著書はほとんどが邦訳されている。いまもっとも待
たれているのは、ネグリがその実在について語り、ドゥルーズ本人も「最後の
本」と予告していた、絶筆『マルクスの偉大さ』の公刊である。いつどこの版
元から、という情報はなかなか探り出せない。原著がそうなのだから、いわん
や邦訳書がいつになるかはわからない。ただ今後、河出書房新社からドゥルー
ズ生前最後の書『批評と臨床』が出版されるはずだし、『シネマ』T・U巻と
『感覚の論理』は法政大学出版局から予告されている。遺稿であるマルクス論
は更にその先にぼんやりとした影となって揺らめいている。ドゥルーズの遺稿
はガタリやアルチュセールらの手稿が一括保管されてあるかのIMEC(現代
出版史資料館)には委託されていないという。
いっぽうドゥルーズが主にパリ第[大学ヴァンセンヌ校で1971年〜1987年に行
った講義のうち、約80回分のテキストがこんにちウェブ上で公開されている。
http://www.deleuze.fr.st/
ここ「ウェブ・ドゥルーズ」はドゥルーズの遺族であるファニー夫人や、著作
権継承者であるエミリーとジュリアンらの了解と、研究者たちの協力を得て、
リシャール・ピナスが中心者となって作成しているようだ。講義録(スペイン
語訳、英訳もあり)をはじめ、書誌情報や、リオタールやガタリなどによるド
ゥルーズ関連テクストもある。講義録の内容は以下の通り。
「スピノザについて」12回、1978年1月〜1981年3月
「ライプニッツについて(1)」6回、1980年4月〜5月、1987年
「ライプニッツについて(2)」9回、1986年12月〜1987年5月
「映像=運動/映像=時間」6回、1981年1月〜1983年6月
「カントについての4講義」4回、1978年3月〜4月
「アンチ・オイディプスとミル・プラトー」20回、1971年11月〜1979年2月
このほかにもIRCAM(ポンピドゥ・センター内にある、音楽音響研究所。
書籍やCD-ROM、ソフトウェアを作成するだけでなく、音楽教育機関でもあり、
コンサートなどもコーディネートしている)主催のカンファレンス「音楽的時
間」での発表や、ベルクソンにおける多様性の理論についての講演テキストも
自由に読むことができる。『批評空間』1998年U-18号に掲載されたドゥルー
ズの音楽講義録の末尾にある、浅田彰氏による「付記」に紹介されているのは、
まさにこの「ウェブ・ドゥルーズ」の旧URLだ。氏も特記しているように、
ミュージシャンでもあるピナスの音楽ユニット「エルドン」が、ドゥルーズの
朗読を素材に作成した「旅人」という曲も、サマリー・コーナーのオーディオ
の項目内で聴ける。その音楽性についてのコメントは、つらいので控えておき
たい。
動くドゥルーズが見たい、という人にはモンパルナス出版社から1996年に発売
された全3巻のヴィデオ「ドゥルーズのABC(アベセデール)」をお奨めし
たい。クレール・パルネによるインタビューで、AからZまで一つずつの単語
を選び、それについて語っている。アニマルからジグザクまで、約7時間30分
である。オンライン書店のAlapage.comなどで購入できるが、ご存知のように、
フランスと日本では録画および再生形式が異なるので、このままでは見ること
ができない。
この連載でも以前にちらほら書名が出てきたが、ここ最近のドゥルーズをめぐ
る論壇の動きの中で目立ったものには、ジョン・ライクマンの『ドゥルーズ・
コネクションズ』MITプレス2000年10月、シルヴェール・ロトランジェ編集に
よるドゥルーズの単行本未収録論文集『マイナーワークス』MITプレス2001年
5月予定のほか、かつて「サウス・アトランティック・クォータリー」誌1997年
夏号で「ドゥルーズの世紀?」と題した印象深い特集(のちに単行本化されて
いる)を組んだイアン・ブキャナンによる『ドゥルージズム:メタコメンタリ
ー』デューク大学出版2000年6月や、来月(2001年3月)にラウトレッジ社から
刊行予定の、ブライアン・マスミ(『ミル・プラトー』の訳者でもある)の編
集による『思考への一撃:ドゥルーズ=ガタリ以後の諸表現』というのもある。
なおMITプレス(なんだかこの版元ばかり本号では取り上げているが偶然なの
です)のブランドであるゾーン・ブックスから、今年の6月に『純粋な内在性:
生命についての試論』というドゥルーズの英訳書が、アンヌ・ボイマン訳で予
告されており、くだんのジョン・ライクマンが序文を寄せる予定。100頁程の
分量であることとタイトルから察するに、これはドゥルーズが生前最後に、ミ
ニュイ社の『哲学』誌47号1995年9月刊で発表した論文「内在:ひとつの生」
を中心に編んだものではないかと思う。どのような構成になるのか楽しみであ
る。この生前最後の論文は『文藝』河出書房新社1996年春季号に掲載されてい
る「追悼:ジル・ドゥルーズ」のコーナーに、小沢秋広氏による邦訳と改題で
読むことができる。
これ以外にもオンライン洋書店でドゥルーズを検索すれば、様々な新刊を見つ
けることができるのだが、今回紹介するうちの極めつけは、何といってもカナ
ダのトロント大学で「文化と技術にかんするマクルーハン・プログラム」の主
任研究員を勤めるギャリー・ジェノスコが編纂し、先月(2001年1月)ラウト
レッジ社から出版された以下の3巻本である。
"Deleuze and Guattari : Critical Assessments of Leading Philosophers"
Three Volume Set, Edited by Gary Genosko, 2001, Routledge,
ISBN: 0415186692, Cloth, $575.00 (US)
この1536頁にもなる書籍をいま下手にアマゾンなどで購入しようとすると、ラ
イブラリー・バインディング版、つまり図書館向けの仕様でUSドルにして実
に660ドルにもなる。ここ最近の平均レートを1ドル115円くらいだとしても、
8万円近いシロモノだ。いっぽう上記の値段は、版元ラウトレッジのHPのカ
タログによるもので、ここにはClothつまりハードカバー版の価格が表記され
ている。恐らくペーパーバックは刊行されないだろう。
ボードリヤール論やマクルーハン論を出版し、ガタリのリーダーも編纂してい
るジェノスコ(とある日本の書籍ではガリー・ゲネスコと表記されていたが、
正しくはどう表記すべきかわからない)は、オンタリオ州のレイクヘッド大学
のウェブサイト内に自らの名前と「文化理論研究」を掲げたHPを構えており、
ほとんど知られていないためか、作ったばかりのためかでアクセス数がようや
く100を越えるかどうかの現状なのだが、内容としては彼の趣味であるらしい
ホッケーやその他のコーナーは別として、「ガタリ・プロジェクト」という項
目は必見である。http://www.lakeheadu.ca/~ggenosko/
根っからのガタリ主義者ぶりを見せながらも「この世紀がいつの日かガタリ主
義者のものとならないことを願おうじゃないか!」と言い放つその反骨精神。
このコーナーにはガタリの書誌データのほかに、上記書の目次詳細が出ている。
まずはこことニューヨークのラウトレッジHPカタログを見て、個人が買うの
は厳しいとしても、大学の研究室を利用できる人はそこで購入してもらうのも
いいだろう。
本書は端的に言えば、ドゥルーズ=ガタリを論じた各国の主要論文を独自の視
点から集成したものだ。フランス、アメリカ、オーストラリア、イギリス、ド
イツ、イタリア、日本、フィリピン、カナダから合計90論文がエントリーされ
ている。詳細の紹介は無理だが、本書目次の概要を見ておくと、以下の通りと
なる:
ジェノスコによる序論
第1巻「ドゥルーズ」:1.1.文化理論と実践[演劇/映画/絵画/文学/音楽/ダン
ス](17篇)、1.2.こんにちまでのドゥルーズ論さまざま(10篇)
第2巻「ガタリ」:2.1.活動的知識人としての肖像と苦難(5篇)、2.2.資本主
義批判と社会的実践の問い(9篇)、2.3.精神分析/スキゾ分析/治療の新機軸
(9篇)、2.4.応用的横断性(5篇)、2.5.主体性の生産のための諸道具[記号/
芸術/機械/動物](7篇)
第3巻「ドゥルーズとガタリ」:3.1.建築論への暗示(7篇)、3.2.ノマド思想
および機械状論の諸問題と評価[ノマド/諸機械](16篇)、3.3.フェミニスト
による読解(5篇)
言うまでもなく、ジェノスコはドゥルーズよりガタリの巻を編纂する方に、よ
り細かい注意力をそそいでいる。そしてこの集成の特徴は第3巻目に顕著に表
れている。数こそ少ないが、フェミニストたちによってどのようにドゥルーズ=
ガタリの思想が受容されてきたか、そのアウトラインを追跡しようとした3章
目には、フェミニズムとリゾームの関係性を探ったエリザベス・グロスらの論
考が収められている。更にこの第3巻において明らかな編集方針は、以下のよ
うな点である。
編集方針で特徴的なのは、ドゥルーズ=ガタリの思想が都市研究や建築論に影
響を与え、特にその傾向が日本で顕著であると捉えられているところだ。本書
では、篠原一男や浅田彰、宇野邦一、磯崎新、黒川紀章らのテスクトが主に建
築雑誌から第2、第3巻へ収録されている。浅田氏がハリー・ハルトゥニアン
やマサオ・ミヨシらと、小児資本主義と日本のポストモダニズムについて語り、
『現代思想』誌にかつて掲載された、けっして成功したとは言いがたい対談も
なぜか転載されている。
さて最後に、ガタリの再評価の情況について確認しておきたいことがある。イ
ンパクト出版会から昨年(2000年)5月に刊行された『政治から記号まで』と
いう本には、ガタリと粉川哲夫氏が1980年10月に交わした対談と、粉川氏とガ
タリの著書の邦訳者である杉村昌昭氏によるスピード感あふれる対談とが収録
されている。そこでふたつの気になるエピソードが杉村氏から紹介されていた。
ひとつは、ガタリの遺稿管理人オリヴィエ・コルペが「ドゥルーズとガタリが
どういうかたちで一緒に仕事をしていたかだいたい俺は分かっている、ガタリ
がしゃべってドゥルーズが整理したんだと言」ったというエピソード(108頁)。
杉村氏も「それだけじゃないはず」だと付言している通り、これはコルペの推
測であって、驚くべき発言ではあるけれども、信じるわけにはいかない。ただ
しこの魅力的な推測は今後も不確実な噂として漂い、私たちの気を逸らせよう
とするだろう。いわゆる「ガタリ=第一ヴァイオリン」説である。
私見だが、ドゥルーズ自身が証言しているように「フェリックスからの衝撃に
よって、私は奇妙な概念たちが住む未知の領土へやってきたという印象を持っ
た」(『ドゥルーズの思想』大修館書店)のであって、ガタリがしばしば先導
したであろう彼らの闊達な会話を思い浮かべてみることはできる。しかし『千
のプラトー』(河出書房新社)の序「リゾーム」の冒頭で明かされているよう
に、彼らにとってはどちらがどこを書いたかなどということは全然問題ではな
く、彼ら自身がすでに孕んでいた多面性と複数性が交錯しあって、「私と言う
か言わないかがもはやまったく重要でないような地点に到達すること」(15頁)
が達成されたのだと、ひとまずは了解しておいていいのではないか。
またもうひとつは、フランソワ・トスケルがジョルジョ・アガンベンに対して、
怒っていたというエピソード。「このまえ、フランソワも言ってましたけど、
ジョルジォ・アガンベンというイタリアのネグリとも親しい人がいて、彼も一
種のドゥルージアンですが、ドゥルーズ=ガタリの本を引用する時に、ドゥルー
ズの名前しか出さないらしい。だからフランソワが、そりゃないだろうって怒
ってました。そこまできてるみたいですよ」(144頁)。この発言を読み解く
のには注意が必要だ。まず、ここではトスケルが杉村氏に話して「アガンベン
がドゥルーズの名前しか出さない」と怒っているのか、それとも杉村氏がトス
ケルに「アガンベンはドゥルーズの名前しか出さないらしい」と言ったことに
対して、もしそれが本当ならひどいことだ、という意味で「そりゃないだろう」
と怒ったのか、はたまたトスケルが杉村氏に対してそんな話はありえないだろ
うと怒ったのかが、わからない。
アガンベン批判の論拠となったであろうアガンベンの『ホモ・サケル』のイタ
リア語原書(エイナウディ社1995年)の巻末参考図書を見てみると、確かに、
『ミル・プラトー』がドゥルーズ一人の著書になってしまっており、本文中で
も実際に引用該当部分はドゥルーズの名しか出てきていない(22頁)。むろん
用意周到な『ホモ・サケル』英訳版ではそれは訂正されている。この本には仏
訳版もあるのだが、手元にないので確認できない。恐らくは訂正されているだ
ろう。うっかりなのかどうかはわからない。アガンベンは確かにドゥルーズ論
を書いたことがあるけれども、しかし彼はいわゆるドゥルージアンではない。
杉村氏の鋭敏な危機感は理解できるが、現時点では杉村氏が批判対象を欲して
いるという側面はなかろうか。
ガタリが正当に評価されていないのは、彼がしばしばアカデミズムの枠から大
きくはみ出している理論家であり、枠を壊して乗り越えていくアクティヴィス
トだからだ。それは真実だろう。しかしそう単純に「説明」して済ませること
には用心したい。これは杉村氏のことを言っているのではない。むしろ粉川氏
にそうした「埋葬」の匂いを感じる時があるのだ。それは氏がガタリを評価し
ているからこそ余計にやっかいなのではあるまいか。外なる人としてガタリを
捉えるのはあまりに安全すぎる。ガタリはアカデミズムの圏域にあって果敢に
概念の組替えを実践していったではないか。アクティヴィストとしてのガタリ
への評価は、粉川氏の中で変遷している。氏が「乖離を感じる」というガタリ
生前最後の著書『カオスモーズ』は河出書房新社から邦訳刊行の予定である。
この著書はそうした理解の困難さの只中へ生まれてくる、時代の鬼子となるだ
ろう。[2001年2月24日記す]
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■編集同人備忘録
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一般誌でも報道されているのでご存知の方も多いだろうと思い、トピックスで
は取り上げなかったが、プレジデント社が小学館の完全傘下に入った。米タイ
ム・ワーナーがAOLと合併し、その際に保有していたプレジデント社の株式
を放出、小学館の出資会社プレジデント・ビジネス社が全株式を取得したのだ。
プレジデント社の出版事業は今までどおりに続けられるという。折しも、佐野
真一氏の『誰が「本」を殺すのか』を出版したばかりのプレジデント社。株主
が替わることは今後この業界において一般化していくのかもしれないが、出版
界の地殻変動を綿密に追跡した本書の著者なら、この「変化」にどうコメント
されるだろうか。いわゆる出版危機について小誌はこれからも検討を加えてい
きたい。出版論、書店論、取次論、市場論、読者論について諸姉兄と意見交換
できたら幸いです。小誌25日号編集同人へのメール投稿や掲示板への書き込み
をお待ちしております。 五月
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