2001.8.5.発行 vol.77  [真夏の夜の夢 号]

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■■  [本]のメルマガ                              2001.8.5.発行
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●5日号編集・発行担当者より●
諸般の事情により本号の発行が遅れましたこと、読者のみなさん、執筆者の
みなさんにお詫びを申し上げます。
■CONTENTS----------------------------------------------------------- 

★「マエストロ鏡玉のメディアジャーナル」/マエストロ鏡玉
→マエストロ氏、いよいよ小泉人気の本質にメスを入れる!

★「虚実皮膜の書評」/キウ
→哀しい純文学作家のよる新たな文学史の構想は成功したか?

★「一字千金の記」/グッドスピード
→電子メディアの誤字・脱字はおもしろいのか?

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ペ ヨ ト ル 興 亡 史――ボクが出版をやめたわけ     7月20日刊行
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■今野裕一(ペヨトル工房主宰)ほか著   A5判並製/244頁/本体2000円
◇帯文:山形浩生 ◇装幀:ミルキィ・イソベ
■発行:冬弓舎  http://thought.ne.jp/   地方・小出版流通センター扱
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…バイタリティーが伝わるという意味では、ジャンルは異なるが、「本の雑
誌」の創刊者である目黒孝二の『本の雑誌風雲録』に似ている。…おもしろ
いのは、話のなかから人の顔が見えてくる。(「週刊朝日」8/10号、朝山実)
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■「マエストロ鏡玉のメディアジャーナル」/マエストロ鏡玉
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 第28回 ポピュリストの夢  

 今回の参議院選をめぐる新聞報道のなかで、ポピュリズムという語をよく耳
にした。たとえば毎日新聞7月15日付の山内昌之氏「ポピュリズムの怖さ」。
このみじかいエッセイは、熱狂的な大衆の支持を受けた政治家がいかなる批判
からものがれられ、何でもできるという風潮を政治ポピュリズム(大衆迎合主
義、人気主義)として批判し、政策にともなう痛みを実感するのはほかならぬ
それに酔った大衆だと揶揄したものだ。

 氏の批判は、この政治ポピュリズムの土壌となった教育ポピュリズムに向け
られる。教育ポピュリズムとは、「子どもの能力や資質を無視して平均化する
公教育を理想とする考えから生まれた」。昨今の日本の官僚の不祥事にみられ
るように、指導者や官僚の資質の低下は、戦後日本ではエリート教育というも
のがなされなかったからだといい、なされなかった理由は戦後日本に蔓延した
この教育ポピュリズムに最大の原因があると、山内氏は言う。「教育ポピュリ
ズムは、国民的合意という名における大衆感情によって勢いを増し、アマチュ
ア評論家によって増進されてきた。しかも、アマチュアを自負する人たちが身
の回りの生活体験をもちだすと、専門的議論をしていた識者さえ理由なく迎合
するような雰囲気がいつのまにやら出来上がってしまった」。

 ここでポピュリズム、ポピュリストが、アメリカ政治史のなかで、どういう
流れのなかで生まれてきたのか簡単にふりかえってみよう。
 1880年代末のアメリカ、西部での不作、蝗害、土地ブームの崩壊などか
ら、農民の苦境は強まっていた。資本主義的市場経済がすすむなか、トウモロ
コシや小麦、綿花などの主要商品作物の価格は下がりつづけた。
 こうした状況のもと、南部および中西部で農民同盟と呼ばれる運動が急成長
する。従来の農民組織と同じく、農民間の親睦と自己啓発・教育を本来の目的
としていたが、苦境のなかで協同出荷・共同購入のような自助的事業に積極的
に取り組むが、結果失敗する。こうして、彼らは政治による救済に望みを託し、
第三政党「人民党」(ポピュリスト党)を結成する。
 19世紀後半、南北戦争をはさんだ前後の頃のアメリカ、とくに北部社会に
おいて支配的だった社会思想は、自由労働イデオロギーというもので、「他人
に指図されることなく生産的労働(ものをつくる労働)に従事し、見苦しくな
い生活を営めるほどの財産をもつ人間こそ、自立した真の「自由人」であり、
市民権や参政権はこのような人々に与えられるべき」(1)という独立自営農
業者のものであり、経済的な自立があってこそ公共の善に役立つような政治的
判断ができる、そんな人間になることを意味していた。時代は自由労働制では
なく賃労働制へと向かっていくなか、ポピュリズムは、こうした自由労働イデ
オロギーを信じる人々の最後の運動であった。
 1890年、カンザスとネブラスカにはじめて登場した人民党(ポピュリス
ト党)は、秋の選挙で多くの当選者を出し、92年には全国人民党が結成され、
秋の選挙では大統領候補のJ・ヴィーヴァ−はそれまでの第三党としてはアメ
リカ史上最高の100万票を獲得する。92年のペンシルヴァニア・カーネギ
ー製鋼ホームステッド工場での大ストライキ、93年の恐慌下における大量失
業者の示威行進、94年のシカゴ・ブルマン寝台車製造工場における大ストラ
イキ・・・。労働者の不満が渦巻くなか注目された96年の大統領選だったが、
革命が起こることを本気で心配したエリート、実業家が多額の選挙資金を共和
党によせたため、結果は共和党の圧勝、民主党−共和党の二大政党均衡の時代
も終焉する。
 かつて「アメリカの夢」はできるかぎりのことは自分でやっていく独立自営
の人間になることだったが、それが激しい経済競争のなかで成功を収める人間
のことを意味するようになったのだ。

 さて冒頭にとりあげたエッセイにただよう、エリートとそれ以外の人々との
間のこの溝こそ、一億総中流意識が終焉しつつある現代日本における、最大の
危機なのであるし、この溝を埋める思考なり、態度こそが現在もとめられてい
るのだ。(2)それが真のエリート養成の教育などでは決してないことは確か
なことだ。

 註(1)『アメリカ史』(紀平英作編、1999年、山川出版社)227ペ
ージより引用。ポピュリズムの歴史も本書を参考にしています。アメリカの歴
史って、ほとんどすべて近代史で、記述も詳細にわたる。アメリカ映画をはじ
めとするアメリカ文化の理解には欠かせない一冊。
 註(2)ではなにがもとめられているのか? ということで、ポピュリズム
の精神を再検討した『エリートの反逆』(C・ラッシュ著、1999年、新曜
社)の第5章「コミュニタリアニズムかポピュリズムか」へと(機会があれば)
展開していく。
 それにしても、本稿を書きつつ思ったのは、橋本治さんってポピュリズムの
伝統にある人なのね、と。

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■「虚実皮膜の書評」/キウ
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 『日本文学盛衰史』 高橋源一郎 講談社 01.5

 もちろん小説であるので、これでもって文学史を学ぼうなんていう作品で
はないけれど、おそらく著者自身の嗅いだ明治文学、近代文学が生成するそ
の現場の熱気と哀愁みたいなものの臭いを、現代の日本の風俗を織り交ぜな
がら、描いた作品。

 二葉亭四迷の死と、その葬儀から書きはじめられる。最初はその文学上の
意義がまじめに語られるものの、葬儀の場面に移り、受付をしている石川啄
木の前に森鴎外が現れ、夏目漱石も登場し、二人が会話をはじめると、おか
しな具合になってくる。「森先生」「なんですか」「『たまごっち』を手に
入れることはできませんか。長女と次女にせがまれて、どうしようもないの
です」「『たまごっち』ですか。娘のマリが持っていたと思います。確か新
『たまごっち』の方も持っていたようだ。どこで手に入れたか訊ねてみまし
ょう」「ありがたい」(P18)。ああ、はじまった、はじまった、とほくそ
笑みつつ、たまごっちっていつの話だ、手に入れるのが難かったなんてこと
すっかり忘れていた、と十数年後の若い読者には、ここの部分はなにが書か
れているか分からなくなるだろうと思うと溜息も漏れる。きっと欄外に注が
必要となるだろう。

 このような感じで、600頁にもわたる作品は、しかし、統一的な書き方で
つながってはいない。主人公もいない。明治の著名な文学者達が、様々な方
法で描かれる。

 石川啄木が伝言ダイヤルに入れ込み、ブルセラショップの店長まで務めた
り、自然主義作家・田山花袋が「露骨なる描写」を求めて苦悩したあげく、
完成に至らなかった小説「蒲団」をもとに、アダルトビデオの監督になって
「蒲団 '98 女子大生の生本番」を撮ることになったり、なんていう展開も
ある。

 人それぞれでお気に入りの話は違ってくるだろうけれど、北村透谷、島崎
藤村の「文學界」周辺の人たちの話など、よかった。透谷がカッコいい。

  透谷は仰向けに寝ころがった。
 「島崎」
 「はい」
 「誰も読まないもの、他人から見て面白くないもの、自己満足にすぎんも
 の、そんなものは書くな。惨めだからだ。それから、他人に媚びるものも
 書くな。それも惨めだ」
 「はい」
  藤村は透谷の次の言葉を待った。だが、もう透谷は一言もしゃべろうと
 はしなかった。
 (中略)
  明治二十七年五月十五日深夜、月の美しい晩であった。透谷は自宅の庭
 の木で縊死しているところを発見された。透谷は顔に青いペンキを塗りた
 くり、耳にはヘッドフォンをつけていた。透谷の遺体を見つけた美那子は
 ひったくるようにヘッドフォンをはずした。ヘッドフォンからはドアーズ
 の「ハートに火をつけて」が流れていた。(P58-59)

 他に、漱石の修善寺の大患と自身の胃潰瘍と重ね合わせた「原宿の大患」
(胃カメラ写真付き)や、「こころ」に出てくるKのモデルを探る「WHO IS
K?」など、ひとつの作品と思えないほど、いろいろな書き方をしている。

 そこを一貫して流れているものがあるとすれば、それは文学に対する哀愁
のようなものだろうか。なぜだかどの話も悲しい。現代の風俗を明治の文学
者達に対置することによって、文学が今書かれ読まれることの困難が浮き上
がってくる。「盛衰史」といいながら「衰」ばかりが目につく。「衰亡史」
といった方がしっくりくるほどだ。

 特にラストは、明治を駆け抜けた作家達の死の記事で埋め尽くされていて
悲しいまでに圧巻であり、その流れのまま現代作家の死にまで話が及ぶ。

  何年前だったろうか。死の床に就いていた中上健次を見舞いにいくこと
 になったのは。しかし、死にゆく人間になにを話せばいいのか。何度かた
 めらったあげく、ぼくたちは連れ立って病室を訪ねた。だが病室は空だっ
 た。ベッドの上には寝具がきちんと畳まれていた。
 「あの」僕は廊下に走り出て、看護婦に訴えた。「いったい、この部屋の
 患者は……」
 「中上さんなら、ついさっき田舎へ戻られましたが」
  僕たちはよろよろと病院を出て、近くの中華料理屋に入り、ビールを注
 文した。午前十一時、客は誰もいない。ぼくたちは黙ってビールを飲んだ
 。しばらくして、古井由吉が呻くようにいった。「なんということだ」。
 ぼくたちはそれに続く言葉を息をひそめて待った。
 「このビールの温さときたら!」(P594-595)

 そして締め括りは、

  僕は瞑目する。
  すると、微かに聞こえてくる、滝壺の向こうに落ちていった一千億人の
 悲鳴。耳を澄ませば、その中に、確かに未来のぼくの悲鳴も混じっている
 のだ。(P596)

 そうなのかもしれないけれど、そのようにこの著者に言われてしまっては
あまりに救いがなく、このような話を作品にするしたたかさも、なんともひ
どく純情な、愁い多き「純文学作家」の声になってしまう。それでもこのよ
うな悲しみに読んでいて一緒に酔いしれてしまえるこの小説は、いい作品な
のだと思うが。

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■「一字千金の記」/グッドスピード
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 「誤植はだれのものか」

 誤植はだれの責任なのか、ということじゃなくて、誤植には著作権といっ
たものがあるのか、あるとすれば、だれにあるのか、という問題。
 なぜそんなことを考えたのかというと、誤植は「書物」などの紙媒体だけ
でなく、当然のことながら電子メディアにも存在するからだ。つまり、変更
や複製(コピー)が印刷物よりたやすく、誤植が発生するケースが多いため、
誤植の価値を問わざるを得なくなるのである。誤植のおもしろさが減ってし
まうということ。もっといえば、失敗と間違いの差といえるかもしれない。

 紙媒体では誤植は「失敗」であり、そのことによって物語が発生する。物
語は文化である。しなしながら、電子メディアでの誤植はたんにキーボード
打ち間違いのレベルを超えることはできず、誤植そのものをいくらでも生産
かつ再生産できる。そこに文化といえるものがあるのかどうかということ。

 それはおそらく、「笑い」にかかわっているのかもしれない。電子メディ
アでの誤植がいくらおもしろいものであったとしても、それによって「笑え
るか」といったとき、おそらくそんなものに笑うことはできないだろう。誰
にでも作れてしまうからだ。それに、誤植の誤りに多様性がないこともある。
だいたいが、誰もが想像できる範囲での「間違い」だろう。

 メールマガジンで『誤字ですよーだ!』というのをみつけた。向学のため、
購読しているのだが、笑えるものがない。
 このメルマガは、「Googleのキャッシュデータ内の誤字脱字を見つけて、
日本語としての新しい解釈及び考案をして行こうと言うものです」というコ
ンセプトらしいが、どうもぐっとくるものがない。
 たとえばこんな例が紹介されている。
「■大阪のLP学園とかだとむちゃくちゃ強いです。」
「■使用していた井戸水からこの細菌が検出され、一部の人達に注目さた。」
 挙句のはてにはこんなものまで……。
「■一生懸命自分なりに頑張りまたが、面白くなかったらごめんなさい。」

 どこが間違っているのか、指摘するのが恥ずかしくなるほどだ。ここから
文化の香りを嗅ぐことも、笑うこともできやしない。それならば、誤字・脱
字ではなく、まだ「勘違い」エピソードのほうが笑えるというものだろう。

 某テレビ番組に出ていた素人女性のはなし。
 鎖骨を骨折して入院していたところに、彼氏がお見舞いに来てくれた。
「鎖骨を骨折したんだって? 大丈夫かよ」
 彼女は彼氏が来てくれたことのうれしさにはみかみながら、答えた。
「左骨じゃなくて右骨を骨折したの。でも大丈夫よ」

 たぶん、大丈夫じゃない。頭は打たなかった?
 そう突っ込みたくなるのはこの私だ。
(第23回・了)

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■あとがき
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トピックスは休載しました。
先日、エジプトのカイロに住む友人から電話があった。カイロからとは思え
ないほど音声が鮮明で、高円寺からかけているといわれても信じてしまうく
らい。不思議な感覚に襲われる。距離の隔たりの感覚を取り戻すには、想像
をはたらかせなければならない。1995年の今日、真夏の広島で空を見上げな
がら感じたことにも似ている。この空は世界につながっている。そして50年
前、ここで「こと」が起こったのだ、と。合掌。(グ)
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