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2001.09.05.発行 vol.80 [9月危機とはなんぞや 号]
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■■ [本]のメルマガ 2001.9.5.発行
■■ vol.80
■■ mailmagazine of books [9月危機とはなんぞや 号]
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■CONTENTS-----------------------------------------------------------
★トピックス
→イベント・出版情報など。
★「マエストロ鏡玉のメディアジャーナル」/マエストロ鏡玉
→「一般」とななんぞや?「一般なるもの」をめぐっての思索に挑む。
★「虚実皮膜の書評」/キウ
→「小さな」小説と「大きな」小説。「大きな」小説をどう読むか。
★「一字千金の記」/グッドスピード
→テレビCMを観ていてふと思ったこと。いまは文字の時代や!
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■トピックス
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■ペヨトル工房オンライン・ショップ本日かぎりで閉店
『ペヨトル興亡史』が書肆アクセス(地方・小出版流通センターの直営店)で
売上第一位になるなど、ますます衆目を集めるペヨトル工房。残在庫の処分に
ともない、直営のオンライン・ショップが本日2001年9月5日受注分を最後に
いよいよ閉店する。気になるあの本、この雑誌、最終チェックに急げ!
http://www.peyotl.co.jp/peyotl/bookshop/bookshop.html
■第2期『季刊 本とコンピュータ』が創刊
9月10日、『季刊 本とコンピュータ』第2期創刊号が刊行される。
1997年から2001年春までの第1期を終え、あらためての第2期(2001年から
2005年までを予定)がスタート。第2期創刊号では判型もスタイルも一新し、
ひとつの雑誌のなかにテーマごとに企画・編集した子雑誌を収める。
第1期を受けつぐ「本とコンピュータ」の基本となる雑誌をはじめ、科学と
技術のジャーナル「BIBLIA ex MACHINA 未来の本のつくり方」、本を読む
アジア人絵巻「アジア読書」、書物派による思想誌「本とは何だろうか?」、
そして奇想天外お気楽マガジン「奇抜と実験」の5つ。国内外の執筆者によ
るコラム欄「BOCOM!」や、中井久夫、阿刀田高らのエッセイ、加藤秀俊、松
枝到の評論、長谷川宏、多木浩二、大西廣による共同討議などが掲載。
合わせて、オンライン版は日本語サイトと英語サイトとを分離し、それぞれ
独自の編集で刊行される(日本語サイトも9月10日オープン)。
「本とコンピュータ・ウェブサイト」 http://www.honco.jp/
●2001年9月10日創刊 年4回刊行(以下12月、3月、6月に刊行)
B5変型(縦240ミリ×横182ミリ) 198ページ
定価 本体1500円+税 ISBN4-88752-151-0
編集:「本とコンピュータ」編集室
発行:大日本印刷株式会社 ICC本部
発売:トランスアート市谷分室
TEL03-3266-4698 FAX03-3266-2499
http://www.transart.co.jp/
■西江雅之講演会「地球はわが宿、旅はわが人生」
――『異郷をゆく』(清流出版)刊行記念
日時: 2001年9月7日(金)19:00〜21:00
会場: 青山ブックセンター本店 カルチャーサロン青山(地下鉄表参道駅)
参加方法・注意事項:定員100名、入場無料、要電話予約
お問い合わせ・予約申込先:03-5485-5511(10:00〜22:00)
■森山大道+長島有里枝+高橋周平トーク・サイン会
――シアター・イメージフォーラム「≒森山大道」公開記念
日時: 2001年9月22日(土)14:00〜16:00
トーク終了後、森山氏のサイン会を予定。
会場: 青山ブックセンター本店 カルチャーサロン青山
参加方法・注意事項:要電話予約。定員100名、
入場料500円(イメージフォーラム会員は無料)
お問い合わせ・予約申込先: 03-5485-5511(10:00〜22:00)
なお、映画「≒森山大道」は9月29日よりシアター・イメージフォーラム
にてレイトショー公開。
http://www.bbb-inc.co.jp/daido/
青山ブックセンターURL
http://www.aoyamabc.co.jp/
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■「マエストロ鏡玉のメディアジャーナル」/マエストロ鏡玉
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第29回 一般なるものへの嫌悪
むかーし、お風呂屋さんに置かれていた飲み物に、たしかパンピーというも
のがあったように記憶している。毎日お風呂に行くたびに飲ませていては、親
にとっては大変な負担だ。めったに飲めないそのパンピーを、風呂あがりに飲
む事は、幼い私にとって大きな喜びだった。
原宿・表参道で音楽活動する若い子達が、「オレら、パンピーじゃねえんだ
からな」と叫びつつ、それに呼応する聴衆を目にし耳にしたのは、90年代に
はいってからだろうか。いまも使われているのか知らないけれど、パンピー、
それは一般人を意味した。一般人であることや一般なるものへの侮蔑や嫌悪、
それに対するアジテーションがそこにはあった。怒りの矛先が親や教師、社会
というものに対してではなく、どうして一般人に向かうのか私にはわからなか
った。みずからが一般人になることへの恐れがそこにあるのか。
一般であることがこうも貶められるのはどうしてなのか。前回、引用した山
内氏のエッセイに、芸術家、スポーツ選手といったスペシャリストに対置され
た、「ゼネラリスト」ということばがでてくる。スペシャリストの育成はよく
て、ゼネラリストの育成はどうしてタブー視されねばならないのか、氏は経営
者、政治家、官僚として責任をもつべき「本物の」ゼネラリストを育てる教育
の必要性を提唱している。ここには確かに同意できる可能性がある。それが、
エリートだけのものではないとするならば。ゼネラリストの、あるいはゼネラ
ルであることの内実を高めることに主眼があるのならば。軽蔑や同情、あるい
は憐憫の指標としての「一般」ではなく、敬意がそこにあるような「一般」と
いうものを構想すべきではなかろうか。とにかくパンピーはとってもおいしく
て、あこがれだったんだから。
「彼は彼女とは死ななかった。ただ未だに彼女の体に指一つ触っていないこ
とは彼には何か満足だった。彼女は何ごともなかったように時々彼と話したり
した。のみならず彼に彼女の持っていた青酸加里を一罎渡し、「これさえあれ
ばお互に力強いでしょう」とも言ったりした。
それは実際彼の心を丈夫にしたのに違いなかった。彼はひとり籐椅子に座り、
椎の若葉を眺めながら、度々死の彼に与える平和を考えずにはいられなかった」
(芥川龍之介「或る阿呆の一生」)
今やこの70年前に自死した芸術家の心境を共有する人々が、少なからずい
る。ある者は自殺マニュアルを片手に、ある者はネットで手に入れた毒物を支
えにして。「僕はエムペドクレスの伝を讀み、みずから神としたい欲望の如何
に古いものかを感じた。僕の手記は意識している限り、みづから神としないも
のである。いや、みづから大凡下の一人としているものである」。「或旧友へ
送る手記」の付記でこう語る芥川。凡人か、神か。この思考に、迫らなければ
ならない。
ちょうど『國文學』2001年9月号が「特集 芥川龍之介」を組んでおり、
手にとってみた。「モダン=現代とは何か」を芥川から読み解こうとする各論
は、文学研究に門外漢の私にとっても興味深いものであった。ここでは、佐藤
嗣男氏「菊池寛 大衆とは何か」をあげる。菊池寛との対比によって芥川の人
間観を論じたものだ。
「読者一般・大衆一般の視点的立場に立って、あらゆる階級を知悉した神の
ような位置から書かねばならぬ」とした菊池寛の立場に対して佐藤氏は、「は
たして読者一般・大衆一般というものは現実に存在するのだろうか。特殊な個
の集合である読者・大衆を一般化することは個々の人間を平均化することにほ
かならない。階級間の歴史的構想も階級意識もそこではネグレクトされてしま
う」という。左傾せず、右傾もせず読者一般の人生の道しるべとして、時代・
社会に安定した生活・道徳性を読み物を通して啓蒙し普及させていくのが大衆
文学・ジャーナリズムだというのであれば、それは現実妥協の保守性に留まら
ざるを得ないだろうと、手厳しい。
一方、あくまで中流下層階級者としての階級的視点を主体的に身につけた
「教養的」中流下層階級者の立場に立って、アン・ジッヒな意味での上流階級
や中流階級の立場、あるいはプロレタリア主義の立場では見えてこない真実を
追求した作家として、「今日より利他主義的な或は共存主義的な道徳」を探り
感じ取ろうとした作家として評価される。
以降、佐藤氏の試論から得られた芥川の立場とその思考をてがかりに、「一
般なるもの」への考察をさらに深めていこうと思う。
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■「虚実皮膜の書評」/キウ
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『ぼくは始祖鳥になりたい』 宮内勝典 集英社文庫 01.6
読みはじめてしばらく、対象の大きさに意識がぼんやりした。
日常性に依拠していたり日常性から逸脱していく過程を追うような小説が
好きで、そういう意味では対象の小さい小説ばかり読んできていた。そのよ
うな小ささを徹底していった果てに見えてくる風景が好きだったのだ。言葉
や物語の展開では説明がつかない、時代や精神の雰囲気のようなものは、微
妙なもの・小さいものからこそ見えてくる。そのような信念があった。
この小説はつかみどころのないスケールの大きさに包まれている。
主人公ジローは少年時代スプーンやヤスリを手で触れているだけで曲げて
しまう能力を持っていた。しかし青年になりその能力は失われた。メディア
も研究者も以前のようにつきまとわなくなったが、アメリカのある企業から
の研究依頼に応じて海を渡る。そこからジローの旅が始まるのだが、ストー
リー展開ははちゃめちゃとさえ言える。アメリカの研究所で研究対象として
脳をいじくり回されていることに精神的危機感を募らせていると、地球外知
性体との交信を試み続けているニューマン博士の訪問を受け、その弟子筋の
宇宙飛行士ジムによって研究所の外に連れ出されて、砂漠の小屋に一人残さ
れる。水と食料が尽きてその小屋を出発し、しばらく行くと恐竜の骨を発掘
している一団と出会い、そこで働く。インディアンの老人と町中で出会うと
、その老人について行き、独立運動をしているインディアン集落で混血の女
性シャーナと恋に落る。老人インディアンが民族の安泰を願っての激しい祈
りによって命を落とすのにも立ち会う。独立運動のリーダー・ジャスパーは
ジローの恋人シャーナを殺し、なぜかジローとジャスパーはともに中南米に
渡り、そこでやはり民族運動をしているグループの援助と称してゲリラ戦に
参加、ジローは命からがら生き延びる。その後、再びジローをアメリカに呼
んだ会社に収容され、同会社の会長の死に際に立ち会い、その会長が原爆開
発に携わった事実を聞かされ、精神的危機に陥る。そこに再び宇宙飛行士ジ
ムが現れ、大いに癒される。ジムは宇宙に飛び立ち、ニューマン博士はジロ
ーの脳波を天文台の巨大なアンテナにつないで宇宙に送り、ジローの意識が
ぐちゃぐちゃになって終わる。
それぞれの断章において、著者が本を読むなり実地に取材したなりして得
ただろう知識が披瀝される。宇宙科学、古生物学、インディアンの歴史、原
爆、等々。
そしてそれらの情報を積み上げた果てに何があるのだろう。それぞれの散
りばめられた断片は妙にスケールが大きいのだが、今ひとつ物語として収斂
していかない。ストーリー展開もあまりに強引で無理があるし、詰め込みす
ぎ、バラバラ、といった印象が際だつ。
おそらくこの小説を通底する思想があるとしたら、何度かジローの独白と
しても現れる、物理性と精神性との対峙、ということになるだろう。
おまえもモンゴロイドの遠い郷愁、アジアの夢精のようなものにひきず
られてここに辿り着いてきたのか……。そうかも知れないとジローは半分
うなずきかけて、いや、それだけじゃないと心で首をふった。おまえは以
前、安っぽい金属スプーン一個を武器に、圧倒的な世界の物理性と戦って
きたはずじゃないか。虫ケラほどのちっぽけな生に、意味をあらしめよう
として。そうだろう、だからこそおまえは、惑星のネイティブの夢が湧き
だしてくる水源のようなところに辿りつこうと密航してきたはずじゃない
か。(P456−P457)
スプーンを曲げる少年の意味するところが、物理性へあらがうことである
という。おそらく「惑星のネイティブ」という表現にも、民族という「物理
性」へのあらがいが垣間見えるであろう。意味をあらしめるということはな
んなのだろう。物理性に対しての精神性の強調。
しかしそのような発想は違うのだと思う。金属スプーンを曲げるというこ
とが、「圧倒的な世界の物理性と戦」うことになるのではない。逆なのだ。
精神性と物理性を対置して、精神が物理的現象として顕現するということは
逆に精神性は物理性に回収されてしまうことになるだろう。スプーンが曲が
る、ということが事実であるかないかとは関係なく、結局それは精神性を物
理性に代弁させることによって精神を殺すことになるのだ。
この小説のもう一つのポイントに宇宙飛行士ジムの存在がある。ニューマ
ン博士のもとで天文学を学びながら卒業後は空軍のテスト・パイロットにな
り、軍籍のままMITで宇宙航空工学を学び、ドクターを得、宇宙飛行士とな
ったという設定。いわば意味の世界から物理性の方向へ移行した人物だ。宇
宙船飛行士が、現役を降りたあと、その宇宙体験からなんらかのヴィジョン
を得て、宗教活動へ向かうケースが多いことを、ジムは嫌悪する。そしてそ
の人物によって世界の圧倒的な物理性と戦ってきたはずのジローは強く啓発
され、なおかつ癒される。
そのジムが紋切り型のタフガイのように描写されてしまうところが残念だ
が、精神性の優位を追い求めたりしないし、そのような意味への執拗なこだ
わりに危険を感じている辺り、この小説の中でバランスを取る大きな役割を
演じている。
精神性に寄るのか物理性に寄るのか、といったような対立構造に寄りかか
るのではない小説を、期待したいのだけれど、取り上げる対象があまりに大
きすぎ(つまり物理性の描き方があまりに巨大すぎ)、日常性依拠小説好き
な私としてはピントがずれたような読み方になってしまう。「文芸復興」を
うたう著者であればこそ、このような試みは果敢になされるべきなのだろう
けれど。
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■「一字千金の記」/グッドスピード
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「あんた誰?」
携帯電話のCMで、昔の知り合いに偶然合った男が、その知り合いの名前
を必死に思い出そうとして思い出せないシーンがあった。どうするかと思い
きや、携帯でその知り合いの顔の写真を撮って、別の友人に送る。そして友
人から返事が携帯に届く。「鏑木だよ。」
やっと知り合いの名前がわかったとホッとしたのもつかの間、「鏑木」と
いう字が読めない。果たして男はつぶやく。「読めねーよ」。
実際のケースなら、そんな珍しい名前の知り合いだったらむしろ「名前」
だけでも覚えていそうなものだろう。思い出せないのは、もっと普通な、一
般的な名前の場合じゃないだろうかと思うのは私だけではないのではないか。
もうひとつ腑に落ちないことがある。友人も友人で苗字じゃなくて名前を
教えてくれればいいものの、わざわざ「鏑木だよ。」なんて教えてくる。
「鏑」を携帯で表示することだって容易じゃない。まったく不自然このうえ
ない。フィクショナルなCMにそうくそ真面目に突っ込みを入れても仕方の
ないことなのだが、それでは「鏑木」という字は何と読むのか。
私の知り合いや友人に「鏑木」という名前の人はいないので、私もわから
ない。「鏑」という字は音読みで「テキ」「チャク」。訓読みで「かぶら
や」。そこから想像すると、「テキギ」あるいは「かぶらぎ」といったとこ
ろだろうか。さらに真面目な突っ込みを入れるとすれば、カメラ機能が付い
ているほどの携帯なら、辞書機能だって付いているのではないか。「鏑木」
という字を電子辞書で調べるのもひとつの手段だろう。そこまでやって、は
じめてこの携帯電話は便利だ、ということになるんじゃないかな。
とはいえ、人の名前の読み方は難しいので、辞書をひけばすぐにわかると
いうことでもないのだが。
携帯電話やパソコンのEメールの普及によって、それまで以上に「文字」
を使う機会が増えたのはたしかなことだ。声の文化ではなく、文字の文化の
再来という人もいるが、そうした状況が何をもたらすのか、それが明らかに
なるのはもう少し時間を待たなければならない。つまり、それは人間がどう
変わるかということである。
(第24回・了)
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■あとがき
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少しづつ秋めいてきたように思います。秋は好きな季節だけれど、季節の変
わり目の秋口は体調を崩す時期でもあるので、みなさんご自愛を。
さてさて、おかげさまで本誌は4000人を超える読者数を得ることができ、今
号で80号となりました。今後ともご愛顧のほどよろしくお願いします。(グ)
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