| 第3回 ロールズの生い先短し?! 怒涛の新刊ラッシュ
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1999.07.15.
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寡作の作家が晩年に新作を次々出したとなれば、誰もが「そろそろお迎えの影が見えたか」と思うだろう。いわんや大思想家においても。
ジョン・ロールズは1921年生まれ、アメリカを、否、世界を代表する 政治哲学者、倫理学者であり、現在ハーヴァード大学名誉教授である。長年にわたって、社会的公正の源泉としての「正義」の根源的省察と、その実現可能性を追求し続けてきた第一人者だ。著書に『正義論』(71年)、『ポリティカル・リベラリズム』(93年)がある。このたった2冊が世界の論壇にどれほど大きな波紋を投げかけてきたかは、計り知れない。
ぽつりぽつりと発表され、積み重ねられた論文が、1冊の書物にまとまる時には途方もない大著に成長し、その1冊1冊が絶大な影響力をもつ。ごうごうたる賛否両論も含め、およそ世間の学者をして「現代において道徳論のもっとも広範な議論の地平を拓いた」あるいは「英語圏に政治哲学を復権させた」と言わしめる者は、ロールズその人をおいて他にいまい。
さる6月25日、寡作の人ロールズの、およそ50年の歩みを総覧する待望の『論文集』が、ハーヴァード大学出版局よりついに発売された。サミュエル・フリーマン編集。51年発表の「倫理上の決定手続きの概要」
から98年の「『コモンウィール』誌インタビュー」まで27本を収録、上記インタビューと『正義論』フランス語版序文の2本を除き、すべて折々に発表されてきた論文である。
収録されていない数篇の例外(論文の初稿や書評、特別な機会に書かれた短文)はあるものの、本文622頁を数える一大集成であり、二大著書を補足するという以上に、ロールズの思想的変遷と考察領域の全貌を余すところなく伝える、「大全」であると言って差し支えない。
27本の内、5、60年代の重要作8本はロールズ本人の認可を得て、すでに本邦でも『公正としての正義』として1冊にまとめられ、79年3
月、木鐸社から刊行されている。
なお、大著『正義論』は、著者による大幅な加筆修正を経たいわば「訂正版」が、同79年の8月に紀伊國屋書店から刊行されたが、現在は品切。川本隆史氏による改訳が目下進行中である。そ
して、93年に刊行後、96年にペーパーバックの増補版が出た『ポリティカル・リベラリズム』は、岩倉正博氏の邦訳で、やはり紀伊國屋書店から刊行される予定だ。
また『論文集』に再録されている「万民の法」は、93年のオックスフォードにおけるアムネスティ・インターナショナル主催の講演会で発表されたもので、邦訳が存在する。ロールズのほかR・ローティ、S・ルー
クス、C・マッキノン、J=F・リオタールなどあわせて7人の思想家たちがそれぞれ発表したこの講演会の全体が、同93年に『人権について』
という書物にまとめられ、98年11月にみすず書房から邦訳出版されたばかりだ。
講談社の好シリーズ「現代思想の冒険者たち」に収められた川本隆史氏の『ロールズ−−正義の原理』(97年刊)は、講談社側がシリーズ中もっとも力を入れて販売し、同時にもっとも売れた巻のひとつでもあったと聞く。時代とともにロールズがますます注目されてきたのは確実である。それは、ロールズ自身の思想構築がけして孤高や独善に終始せず、多くの学者や学生たちとのたえまない討論に自らを開いていったことの賜物であったろう。
『論文集』巻末の「謝辞」に頻出するトマス・ネーゲルやロバート・ノージックをはじめ、アマルティア・セン、ケネス・アロー、デレク・パーフィット、ロナルド・ドゥウォーキン等々、宝石どうしが互いに練磨する様はロールズの社交性を伺わせるし、「題辞」にある以下の言葉は、頂点を極めた大学者にとってはまさに堂々たる境地だと言えようか。いわく、
私の思考の発展にたいへん重要な役割を果たしてくれた、たくさんの大学院生や同僚に本書を捧げる、と。
「原爆投下は本当に最低最悪な出来事だったと確信している」と書き出す、本書25番目の論文「ヒロシマから50年経って」は我々日本人の目にもとまりやすいだろう。95年夏に発表された本稿は岩波の『世界』96年2月号に川本氏によって邦訳されているし、先に挙げた氏のロールズ論の第7章第3節でも要約的に取り上げられている。
「ヒロシマから50年経って」はロールズの戦争論でもあるわけだが、彼の言い回しは、他の論文に見られるようにここでも非常に明確であり、難解な含みをもたせるようなレトリックはない。ないのだが、それでもハタと立ち止まらざるをえないような決定的な契機も、そこかしこに潜在している。
その核心と言えるのが、彼の言う「まともな民主社会」や「民主的な民衆は互いに戦争を起こさない」「民主的でない国はまともな民主的社会と敵対する」(以上趣意)等のくだりである。
ロールズの理想とする公正な社会をわかったつもりでいても、彼の「民主的な」社会や民衆を基礎づける理性 のなにがしかが、本当に誰にとっても説得的であるのか、わからなくなってくる時がある。少なからぬ読者の理性は揺らいでいるはずだ。
つまり、ロールズのいうデモクラティック(民主的)な状態を実現する諸条件でなく、それらの条件を支える見えざる基盤は何なのか、という疑問がつい沸いてくる。これは涯てのない問いである。「ただしさ」はキリスト教世界においては、神に支えられていることによって根源をもつが、ロールズは「神」とは言わないし、言うまい。超越的なものを名指す手前でせきとめられたロールズの理性の見かけの静けさは、正面では荒れ狂う現実の嵐と向かい合い、一方で背後に、容易に解消しきれない「信条」の深淵を抱えているように見える。
公正な社会は実現可能だ、という理性的信条を強く抱いているロールズの政治的立場は、必ずしも誰の目にも公平に映っているわけではない。対極にある代表例として、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの共著『ディオニュソスの労働』(人文書院近刊)第6章で、『正義論』や「公正としての正義:形而上学的ではなく政治的に」(『論文集』第18番)や『ポリティカル・リベラリズム』に批判的検討が加えられていることを想起されたい。
諸論文にもよく出てくる「秩序ある社会」という概念や「民主社会」という言説は、国家主義や資本権力に悪用される可能性に常にさらされている。それらが監視社会や衆愚政治に転化する危険性とどう戦うか。ロールズ理論の限界を乗り越える視点が、『論文集』の中に萌芽として示されている、とは言いがたいのかもしれない。それでもやはり、彼の拓いた問題群の領野の内に、私たちは無意識に立っているのだろう。
ハーヴァード大学出版局のホームページのプレスリリースと、フリーマンによる「編者序文」を読んで、びっくりすることがある。ロールズは現在『正義論』の改訂版を用意しており、本年9月に刊行を予定しているうえ、更に2冊の新著をも準備しているというのだ。
その2冊のうちの1冊は、『論文集』に収録されている二論文、「万民の法」とその応用版である「ヒロシマから50年経って」に、加筆し修正を加え発展させたもので、これは総題を『万民の法』として、本年11月の刊行が予告されている。
そしてもう一方は、ロールズのハーヴァード講義を基調とした書物であり、カント、ライプニッツ、ヒューム、ヘーゲルが扱われている。その核は、『論文集』23番目の「カント道徳哲学の主題」(89年)にも現れ
ている。この書物はまだタイトルや刊行年月が明示されていない。
たたみかけるように矢継ぎ早に繰り出される新刊には、日本の学者も出版社も容易についていけまい。巨人の歩みはたとえ一歩であろうとも長遠の進展である。原著改訂版が刊行される以上、『正義論』の改訳作業はまだ時間を要するだろうし、世界中の読者にしてもやっと『ポリティカル・リベラリズム』を読んだかまだ読み終えていないか、というところかと思われる。そこへ立て続けに、『論文集』、『万民の法』、「講義録」とくるわけだ。
つまり有り体に言えば、今年はロールズの膨大な論考を全行程にわたって、最初から読み直すことを余儀なくされるわけで、これはうれしい悲鳴といっていいかどうか、苦笑するしかない。
このことは、政治的混迷が深まりつつあるこんにち、私たち日本人が自由主義をもし謳うにせよ、コミュニズムを掲げるにせよ、その知性の何たるかが試される絶好の契機となろうことは間違いない。アメリカと日本との今後の対話的関係もロールズ理論の争点をぬきにしては、考えられないだろう。
ロールズの本
『公正としての正義』木鐸社、79年3月刊。編訳=田中成明。 本体価2500円。ISBN:4-8332-0064-3
『正義論』紀伊國屋書店、79年8月刊。監訳=矢島鈞次。 本体価6505円、現在品切。ISBN:4-314-00263-8
http://www.kinokuniya.co.jp/
『人権について』ロールズほか=著、みすず書房、98年11月刊。 訳=中島吉弘、松田まゆみ。本体価2900円 ISBN:4-622-03667-3
http://www.msz.co.jp/
“A theory of justice” Belknap Press (Harvard Univ. Press),
1971 $19.95, ISBN:0-674-88014-5 http://www.hup.harvard.edu/
“Political liberalism” Columbia Univ. Press, 1993, 1996 $46.50,
ISBN:0-231-05249-9 http://www.cc.columbia.edu/cu/cup/
“Collected papers” Harvard Univ. Press,1999 $39.95, ISBN:0-674-13739-6
“The law of peoples” Harvard Univ. Press, November 1999 $22.50,
ISBN:0-674-00079-X
『ロールズ−−正義の原理』川本隆史=著、講談社「現代思想の冒険者たち 第23巻」、97年4月刊。本体価2524円 ISBN:4-06-265923-9
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/
ちなみにアマゾンによれば、ロールズを購入する読者は、次のような思想家の本も買う、という傾向にあるようだ。ロナルド・ドゥウォーキン、マイケル・サンデル、ロバート・ノージック、トマス・スキャンロンなど。
スキャンロンはロールズとも大変親しい学者で、『論文集』の謝辞にも名前がよく出てくる。
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