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第4回 カルチュラル・スタディーズの『バイブル』が出た!
1999.09.25.

昨今、一般の新聞紙上でも「CS」という言葉が目につきはじめた。CSすなわちカルチュラル・スタディーズの略だ。『大航海』の某編集長氏 は分かりやすく、九〇年代の思想シーンの代表格であると、さる席上で説明したことがある。

 ちなみに氏の図式化を借りると、五〇年代は「実存主義」、六〇年代は「構造主義」、七〇年代は「ポスト構造主義」、八〇年代は「脱構築批評 (氏は正確には、ディコンストラクショニズム、と言った)」にそれぞれ代表される。そして、九〇年代が「カルチュラル・スタディーズ」の全盛期である。もうすぐ二十一世紀なのに、まだ何の展望もなさそうなところが気にかかる。

 もちろんこの見取図があまりにも割り切り過ぎな、日本独特の錯覚であることは氏も認めるだろう。ご本人も「初心者用の短時間の仮説明」と留保していた。こうした文化輸入論はそれ自体がさまざまな問題をはらむし、氏の説明には反駁と擁護がそれぞれ与えられるべきだが、あるいはこ うした話題は、当メルマガのマエストロ鏡玉さんに論じてもらいたいものだ。

 さる五月には本邦でもCS関連書が立て続けに刊行され、それらが書店店頭に急遽「CSミニコーナー」を作らせ、あるいはフェアを誘発し、あ るいは新聞紙上を賑わせている。まず彩流社がリン・チュンの『イギリス のニューレフト:カルチュラル・スタディーズの源流』を四月末に刊行し た。著者は文化大革命世代の中国出身でイギリス在住の政治学・歴史学者の女性である。同じ頃発売された雑誌の『情況』五月号は特集を「文化に おける階級闘争:カルチュラル・スタディーズの現在」と銘打っている。

 間もなく新曜社が『カルチュラル・スタディーズとの対話』を5月初旬 に刊行、九三年に東大で行われた同名のシンポジウムの全貌がようやく明 らかになった。続けて、作品社が中旬にグレアム・ターナーの『カルチュラル・スタディーズ入門:理論と英国での発展』を出版。発祥の地イギリスでどのようにCSが形成されていったかをたどる、定評ある入門書で、原書は第二版を数え、邦訳もすでに三刷目だという。

 「CSの日本における導入」と題された解説が、上記の作品社の本に付されており、てっとり早くわかりたい向きにはぜひ一読をおすすめする。簡潔かつ要点を押さえた説明で、たいへん便利だ。

 続く六月には『現代思想』がスピヴァクの特集を組み、単行本でも青土社はイヴ・コゾフスキー・セジウィック の『クローゼットの認識論』、レイ・チョウの『プリミティヴへの情熱』を連発し、まさに充実したライン ・ナップが書店のCSコーナーを補強していった。『現代思想』はそもそ もここ数年、日本におけるCS紹介の牙城となっている。CSでない特集 はだいたい科学モノであり、目をつぶってでも二分できる、と言ったら大袈裟か。この他にも挙げるべき雑誌特集や、比較的目立たない書籍も前後 に多いが、この辺でやむなく切り上げておく。

 大ざっぱに立て分けると、CSの発展はイギリス系のそれとアメリカ系のそれがある。イギリス系は先の『入門』で流れを追えるが、アメリカに おける発展はイギリスと若干異なる。この相違点は、サイードやスピヴァクやバーバに代表されるポストコロニアル・スタディーズという潮流に、 特に顕著かもしれない。日本でこの先どんどん輸入されてくる勢いがあるのは、このアメリカ系である。

 さて、かねてから予告されていたある洋書がそろそろ日本の店頭にも出たはずだ、と紀伊國屋新宿南店に問い合わせたのは七月の終わりだった。入荷したのですが品切れまして、と店員に告げられた時には驚いた。せめ て三冊以上は入ってきたはずだろうに、店頭に出て一月もしない内にハケてしまったのか。急いで東京堂にも手を伸ばすが、ない。

 意外にも穴場な日本橋丸善で、最後の一冊を取り置いてもらえた時はほっとしたものだった。しかし、店頭でそれを受け取った時には、そのデ カさに仰天した。天地左右が二四四×一七四ミリ、ツカが四二ミリもある大冊にもかかわらず、四千円代と非常に割安感がある。日本なら時宜に適ったこんな豪華な顔触れの論文集を、このプライスで作る版元はいないんだろうな、と嘆息した。丸善でこの他にも余計な(結局は嬉しい)買物をしたが、それは別の機会にご報告いたします。

 かの一冊とは、ラウトレッジから出た最新刊で『カルチュラル・スタディーズ・リーダー』第二版である。その名の通り、CSの基礎的論文を 網羅したアンソロジーだ。初版は九三年だが、今回大幅に増補され、二〇篇の論文は三八篇に増えた。十一のセクションに分かれ、それぞれの論文に編者のイントロがついている。著者層の幅広さといい、参考文献の目配りといい、皮肉なまでに満腹な一冊である。あるベテラン編集者がこの本 を見て「何でもアリなんだな、カルスタは」と苦笑したほどだ。

 しかしこの六一〇頁ある枕本の情報量たるや、やはりバカにできない。編者はサイモン・デュアリングというメルボルン大学教授。オーストラリ アという地理的条件がこの網羅性の背景になっているのだろうか。教授の「序文」は、格好のアメリカ系CSの解説となっている。第一部の「理論と方法」セクションの冒頭で、アドルノとホルクハイマーに出会えるあたり、これがイギリス系だったらそうはいかないだろうし、ホガートやトム スンの論文を省略することもできないだろう。

 初版と第二版を比べて、どの論文が増えたのか、序文がどう改訂されたのかがはっきりわかると面白いのだが、残念ながら私は旧版を持っていな い。第二版がいずれ、アジア系やイギリス系の視点と平等に扱われて、いよいよハイブリッドな第三版に変貌することも期待している。

 もちろん、CSの伝播におけるグローバリゼーションの副作用は大きい。今やアフリカ系やラテンアメリカ系のCSが「見出され」始めているし、いっそこうした一種の資本主義がロシア系CSを発見した暁には、「歴史が終焉」しかねない。こうした囲い込みはすでに開始されているのであり、それは日本で「カルスタなんてさあ」と分かったフリをしている 俗流知識人たちとその取り巻きこそがもっとも陥りやすく、加担しやすい罠なのである。

 『リーダー』の各セクションと著者は以下の通り。名前の表記はいいかげんなものもあるだろう。共著=名前と名前。

 第一部:理論と方法。アドルノとホルクハイマー、ロラン・バルト、キャロリン・スティードマン、ジェイムズ・クリフォード、アンジェラ・ マクロビー、スチュアート・ホール。
 第二部:空間と時間。エドワード・ソジャ、ミシェル・ド・セルトー、ミシェル・フーコー、ジャン=フランソワ・リオタール、アクバー・アッバス。
 第三部:ナショナリズム、ポストコロニアリズム、グローバリゼーション。ガヤトリ・スピヴァック、ホミ・バーバ、デヴィッド・フォーガチ、 アルジュン・アパデュライ。
 第四部:エスニシティと多文化主義。ベル・フックス、エリック・ロット、コーネル・ウェスト。
 第五部:科学とサイバーカルチャー。ダナ・ハラウェイ、アンドリュー・ロス。
 第六部:セクシャリティとジェンダー。テレサ・デ・ラウレティス、イヴ・セジウィック、ジュディス・バトラー、ローレン・バーラントとマイ ケル・ワーナー。
 第七部:祝祭とユートピア。リチャード・ダイアー、ピーター・スタリブラスとアロン・ホワイト。
 第八部:消費と市場。ミーガン・モリス、レイモンド・ウィリアムズ。  
 第九部:娯楽。ピエール・ブルデュー、ディック・ヘブディジ、ウィル ・ストロー、レイ・チョウ。
 第十部:文化−−政治経済と政策。トニー・ベネット、ニコラス・ガーナム。
 第十一部:メディアと公共圏。スチュアート・ホール、ナンシー・フレイザー、ハーミッド・ナフィシー、ジャニス・ラドウェイ。

 このうち、第三、第五、第十、第十一、を中心に増補したという。読んでいらっしゃる方のゲップが聞こえてきそうだ。セクションごとのテーマ の立て分け方も共感できないところがあるかもしれない。しかし本書は間違いなく、CSの現時点での全体像を総覧したい人にはうってつけのバイ ブルである。なお、収録されている論文の中にはすでに邦訳の存在するものもある。次回、再度紹介できるようなら、続きをご報告したい。[記: 99年8月9日]

“The Cultural Studies Reader" Second edition, Routledge, 1999, Edited by Simon During
ISBN:0-415-13754-3
http://www.routledge.com/

文責:五月


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・Routledge http://www.routledge.com/

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