| 第5回 サイード自伝:トラウマとペンの戦い
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1999.10.15.
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現代アメリカを代表する批評家であり、主著『オリエンタリズム』で世界 的に高名なエドワード・サイードが、先月ついに自伝を出した。『アウト
・オヴ・プレイス:ある回想』(アメリカではクノップフから刊行)であ る。大江健三郎は最近読んだ本の中でもっともこれが印象に残っている、と月刊『現代』誌上で語ったが、この「友人」のために彼は書評ないし推薦文を書いた、とも言っていた。
慣用句「アウト・オヴ・プレイス」は、所定の位置にない、とか、場違いな、不適当な状態を表す、形容詞句である。亡命パレスチナ人という出自
を端的に表した言葉だが、おそらくここには複数の意味がこめられてい る。同じ九月に刊行された日本版独自編集の論文集『パレスチナへ帰る』
(作品社)を読むと、彼の故郷であるパレスチナと、現在住んでいるアメ リカへの想いというのがよく読み取れる。
自伝的要素も強いこの小さな邦訳本は、今回紹介する回想録の的確な副読本になるだろう。導入として先にこちらを読んでおくといい。白血病と診断されたサイードは実に四十五年振りの帰郷を思い立つ。過激派の暗殺リストにその名が記載されているにもかかわらず、妻と息子、娘を伴って、
パレスチナ=イスラエルを巡る旅に出た彼の見た真実とは何だったか。時に熱っぽく、時に絶望を伴って描かれる故郷と、PLOやアメリカに対する痛烈な批判が読む者の胸に焼き付く。
四方田犬彦氏による翻訳と丁寧な解説、おまけに二千円という求めやすい価格。ひとつだけ不満を言えば、この論文集ではサイードがラビン暗殺についてどう考えているのか、まったくわからないところだ。不勉強な筆者はもっとも、他の論文等で言及しているかどうかも知らないのだけれど。
早くも邦訳が決定したという『アウト・オヴ・プレイス』は少年期における父母との微妙な不和を描いて、サイードがいわゆる「サイード」になるまでの前史を明るみに出している。本人が言うように、「本質的に失われ忘却された世界、私の若かりし頃の記録」であり、感動的ではあるが全体的にトーンは暗い。この回想録を思い立ったきっかけは、やはり白血病の宣告だった。
エルサレムのとあるクリスチャンの家庭に生まれた少年は、激情的で野心的な両親に連れられて、やがて消滅するパレスチナや当時植民地だったエジプトの首都カイロ、将来二十年にわたる内紛に悩まされるベイルート
(レバノン)を転々としながら、様々な教育を施され、アラビア語、英語、フランス語に通じ、やがてはプリンストン大学やハーヴァード大学と
いったアメリカの超一流学府に進学した。その後、コロンビア大学で教鞭を執り、比較文学とポストコロニアル文化の研究者として名声を得てい
く。
とはいえ、彼の目覚ましい活躍の根本にある志向性を特徴づけているのは、皮肉にも、「私はよそ者なんだ」というトラウマであり、家族的問題
や故郷を追われた体験に裏打ちされた、ある種歪められた感情なのであ る。
場所柄少数派のキリスト教徒であり、故郷を追われたパレスチナ人であ り、イギリス風にエドワードと名付けられた、四人の姉妹を持つ唯一ひと
りだけの男の子。アメリカの市民権を有する横柄な父を持つ少年サイードのアイデンティティは、まさに居場所のない異邦人のそれだったろうか。息子への愛情にあふれ、一挙手一投足を見逃さず、巧みな影響力を発揮した母親が彼に与えた、音楽や映画や文学への関心という点にはささやかな救いが見える。
本質的に失われ忘却された世界とは、彼が内心そこから離脱しようと試みた暗い少年期であるとともに、その反面、かつて実在していた人々や場所
が、今や世論や歴史から物理的にも記憶としてもすべてかき消えようとしているがゆえに、忘れ難い、忘れてはならない故郷なのである。
本書はまた、パレスチナの解体、イスラエルの建国とその後に関する貴重 な同時代の証言でもある。サイードは世論に抗してあくまでも記憶し、あくまでも戦う。ユダヤ人の大虐殺とパレスチナ人のディアスポラ(離散)
の双方を忘れないこと。イスラエルにおいては両者が密接に関係している こと。
彼は繰り返し繰り返し、ペンを執り、発言する。「もういいじゃないか、 過去のことは。未来を見よう」という傲慢な無知をさらけ出す、いわゆる
ごくノーマルな「普通の人々」の無理解と無関心に包囲されているにもかかわらず、彼は書き、声をあげる。
なぜ書くのか。ホラティウスの言うtantus amor scribendi(書クコトヘノ 深キ欲望)? そうではないだろう。「遠く離れた何かを求め、足下を見
過ごす」(ピンダロス)無知の愚をただただ避けるためだ。自身の「よそ者」感=孤独感にもかかわらず、サイードは異郷に逃避した部外者面をし
ているのではない。逆説的だが、彼は故郷に生きようとしているのだ。
サイードは幼少期と壮年期とのあいだ、パレスチナとアメリカとのあいだに引き裂かれた。彼にとってはすべてが異郷である。だがそう述べるだけでは充分ではない。どちらの側の事実をも否認することのない彼にとって
は、すべてが異郷であるとともにすべてが故郷であるのだから。故郷なるものへの意志はおそらくサイードの最も明かしえぬ内実であるだろう。
サイードの闘争は続く。本年刊行された書籍を以下に列挙する。
1999年2月
"Acts of agression" Seven stories press
チョムスキーとラムジー・クラークとの共著。
"Henry James : Complete stories,1874-1884"
Library of America
"Henry James : Complete stories,1884-1891"
Library of America
ウィリアム・ヴァンスとともに編者を務めている。
1999年3月
"Fateful triangle : the United States,Israel
and
the Palestinians" South end press
チョムスキーとの共著の、最新第二版で、七百頁もの大著。
"The June 1968 war : after three decades"
Association of Arab-America University Graduates
ウィリアム・ハダッドほか十人と並んで寄稿。
1999年5月
"Letters of transit : reflections on exile
and memory" New Press
在米外国人ないし亡命者の四人のテキストを集めたもの。書影を見る限
り、外観はトランクの形をしている?!が、筆者は未入手。
1999年9月
"Women and children first" Granta books
『グランタ』67号(99年秋号)。イアン・ジャック編。作家のクッツェーと並んで寄稿している。
"Out of place : a memoir" Knopf, ISBN:0-394-58739-1,
$26.95
今回紹介したサイード初の本格的自伝。
なお、このほかにも原書のリプリント(重版)として、三月に『反美学』 (ハル・フォスター編、邦訳:勁草書房)をニュー・プレスから、九月に
は『パレスチナとは何か』(邦訳:岩波書店)をコロンビア大学出版局か ら刊行している。更に付け加えておくと、サイード同様に健筆を振るって
いるノーム・チョムスキーは先月『新たな軍事的ヒューマニズム:コソボの教訓』をCommon courage press上梓したばかりだ。
邦訳最新刊は今回取り上げた、以下の書籍である。
『パレスチナへ帰る』(作品社、ISBN:4-87893-329-1、本体2000円)
また、気になる『文化と帝国主義(下)』(みすず書房)だが、刊行はい
ますこし先のようだ。
最新情報だが、自伝を含めサイードの著作の大部分を出版しているランダ ムハウス・グループから、来年4月刊行の新刊の告知が出た。『和平プロ
セスの目的:オスロとその後』である。期待したい。
"The end of the peace process : Oslo and after"
Pantheon,
ISBN:0-375-40930-0, $30.00
http://www.randomhouse.com/catalog/
[記:1999年10月21日]
[後記]
〈橋本−小川再戦〉をやってほしくない派の私、五月です。前回は休載し ましたが、尿管結石で入院してました。点滴をうちまくって無事、ゴマ粒
ほどの石が出て、こんなちっこいもので眠れないくらいの苦しみを味わっ たのか、と驚愕しました。ちなみに私は小川ファンです。再戦は橋本の意志というより、猪木のシナリオのような気がして、ちょっとイヤなので
す。
最近プロレスを見てもついカルチュラル・スタディーズ的視点を持とうとしてしまいます。あの観客の盛り上がり方ときたら! 古代ローマの昔からガチンコは盛り上がるに決まっているのですが、〈橋本−小川戦〉の興業師やマスコミや観客が構成するポリティクスには、非常に興味深いものがあると思います。ほかにもマンガ『空手バカ一代』『高校鉄拳伝タフ』
やK1人気などの分析を社会学者の皆様にお願いしたいところです。ではまた次回。
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