■現代思想の最前線 >第7回 来たるべきブランショ


第7回 来たるべきブランショ
1999.12.25.

いわゆるボツ企画というものがある。現在流通している書籍は幸いにも生を授けられた幸福な(幸福でないものもあるけれど)子供であるが、実現しなかった幻の書物たちは、譬えるなら、氷山の水面下の部分という以上に、氷山を漂わせる大海原そのものだ。

現に存在する書物たちは偶然の産物と言えなくもない。綿密に導かれた偶然か、密度の淡い偶然か。往々にして作品そのものに対する合評会であるというより、序列や人間関係の争いの場である編集会議がいざなう偶然である(皮肉にすぎるだろうか)。

ちょっと大袈裟に言ってしまったが、つまりボツになってしまった企画について愚痴を言おうというだけの話だ。今世紀のフランスを代表する作家であるモーリス・ブランショが94年に刊行した短編『私の死の瞬間 (L'instant de ma mort)』と、それを論じたジャック・デリダの98年の著書『すみか(Demeure)』(→追記1)を邦訳して1冊にまとめて出版できたらという企画を数年来、上司に打診してきたのだが、あえなくボツの宣告が下った。

そうこうするうちに英訳版でズバリそのものの合本が近刊予定であることを知り、更に日本でもちょうど一年前ほど、やはりズバリ合本の企画として某社が版権を取得したのだ。

驚愕と落胆は大きかった。いや正確に言えば、驚愕ではなく「やっぱり誰でも思いつく企画だよな」という納得と、「先を越された」というささいで低レベルの嫉妬である。伝聞に過ぎないが、合本の意向は原著者ないし 原著版元の示唆でもあったようだ。

モーリス・ブランショは1907年生まれ。90歳を慶賀する集いが2年前本国でも開かれたが、本人は出席しなかった(デリダは参加している)。有名すぎる話だが、レヴィナスが所有していた若き日の写真と、近年の盗撮以外、いっさいその姿は人目に触れられていない。その彼の恐ら く最後の作品と言えるであろう、小説とも自伝とも評論ともつかない『私の死の瞬間』はわずか本文十三頁ではあるが、彼の後輩たちにとっては大きな事件だった(→追記2)。

例えばフィリップ・ラクー=ラバルトは、97年7月にスリージー・ラ・サールで開催された、デリダの仕事をめぐる合宿討論会の席上で、「忠実さ(Fidelites)」と題された発表を行い、そのほとんど全編でブランショ に言及しつつ、:『私の死の瞬間』を「並々ならぬ衝撃的な」作品であると評している ("L'animal autobiographique" 1999, Galilee, pp215)。

ラクー=ラバルトは先月来日した折りも、やはりブランショのこの作品について論じていたと、後日知人から聞いた。私は来日を知ってはいたものの、東大駒場や早稲田大学でも講演会があるとは知らず、この貴重な機会を見事に逸した。大間抜けとはこのことだ。東大駒場では97年にブランショへのオマージュとして発表された論文「宗教の死に際 L’agonie de la religion」をもとに講演したとのこと。

デリダの『すみか』は86年の『帯域(Parages)』から数えて実に十二年ぶりのブランショ論である。正確に言えば、『帯域』は70年代に書かれ、あるいは講演されたものを集めた書物だし、『すみか』は95年7月にルーヴァン・カトリック大学で講演された原稿を元にしている。いずれにせよ、デリダという哲学者の中でブランショが占める位置はきわめて重要でありつづけた。

たぶん自らの体験を重ね合わせながら、ブランショは第2次世界大戦で死に臨んだある若者の内面に仮託しつつ文学と証言の極限を描く(誤解を招きやすい要約!)。デリダは、死を証言するという不可能性に着目して、歴史記述の問題や、西欧の知識人と戦争とのかかわりを論じる(これもまた乱暴な誤解か?→追記5)。

来年2月にスタンフォード大学出版局から刊行予定の英訳合本『私の死の瞬間/すみか:虚構と証言』の表題に付された「虚構と証言」とは『すみか』の冒頭の言葉でもある。訳者はエリザベス・ロッテンバーグ。プロフィールは未詳。

先ほど私は94年の『私の死の瞬間』が最後の作品、と書いた。実はその後ブランショの新刊は3冊刊行されている。しかしいずれも『私の死の瞬間』の前に書かれた小論の単行本化なのである。そのうち96年の2点には邦訳がある。

"Les intellectuels en question : Ebauche d'une reflexion"1996, Fourbis,isbn:2-84217-006-7,F75(品切)
「問われる知識人」訳=西谷修、『ユリイカ』1985年4月号「特集:モーリス・ブランショ」100頁〜121頁、青土社、品切。もともとは『デバ』誌84年3月号に掲載されたもの。先に挙げたラクー=ラバルトの「忠実さ」という論文でも最後に引用されている。

なお『ユリイカ』特集号には蓮實重彦と清水徹の両氏による「徹底討議:現代史を生きた謎の文学者の遍歴」という対談が掲載されており、その中で蓮實氏は上記論文のことを「なぜ書いたのかまるっきりわからない」とおっしゃっている。東大総長になり、『知性のために』を岩波書店から刊行した今はお解りになったろうか。更にこの号には、デリダの『帯域』第 2章として後に収められた論文の先行英訳テクスト(79年)からの邦訳「境界を生きる:物語とは何か」が掲載されている。

"Pour l'amitie"1996,Fourbis,isbn:2-84217-007-5,F40
「友愛のために」訳=清水徹、『みすず』1998年1月号・第442号、82頁〜114頁、みすず書房、雑誌コード08431-1、本体300円。

推測するに、ブランショは『私の死の瞬間』を94年に発刊してから後、96年にはまだ生きていたのだろう。そして今一度、彼が生きているかもしれない痕跡を読者は今年の10月になって発見する。それが以下の新刊である、

"Henri Michaux ou le refus de l'enfermement"
par Maurice Blanchot,
avec quatre dessins d'Henri Michaux,
1999,Farrago,isbn:2-84490-018-6,F89

この新刊を使いつけのインターネット書店で発見した時には心底驚いた。まさか新刊が出るなんて! しかもミショー論らしい。さっそく速達便で購入の申し込み。ほどなくして現物が届いて、感激するとともに少しだけがっかり。収録されていた4本の評論はすべて雑誌にかつて掲載されたものだったからだ。40年代に『デバ』誌に載ったものが3本と、50年代に『新NRF』誌に載ったものが1本。

"L'ange du bizarre"1941
"Au pays de la magie"1942
"L'experience magique d'Henri Michaux"1944
"L'infini et l'infini"1958

表4に印刷されている、「M.B.」の署名のあるディスクリプションは、第3論文のものだった。つまり、タイトルの『アンリ・ミショーあるいは閉 塞の拒否』以外にブランショが付け加えたものはないわけだ。いや、この タイトルもあるいは出版社によるものかもしれないけれど。

版元のファラーゴはトゥールに所在しており、ISBNや書物に記載されている情報から察するに創立からまだ日の浅い出版社で、かのベル・レットル社の子会社のようである(→追記3)。商標はアンドレ・マッソンの手になるデッサンがしようされている。

第1論文「奇異の天使」はブランショの第1評論集である『踏みはずし』に収録されており、日本語でも読むことができる。

『踏みはずし』訳=粟津則雄、1987年、303頁〜309頁、筑摩書房、品切。
『踏みはずし』訳=神戸仁彦、1978年初版、1982年新装版、 286頁〜291頁「奇妙な天使」、村松書館、品切。

私は96年以後、ひょっとしてブランショは死んでしまったのではないかと疑った。「顔のない作家」を貫いてきた彼のことだ、死後数年間は公表しないこと、という遺言だってあり得るのではないか。しかし97年9月22日に彼の90歳を祝う会合は催され、98年9月30日にはフランス国営テレビが特集番組を放映し、今年また新刊を見た。だがやはり彼の実在とその生死は、ここ日本では遠く、確認ができない謎のように思える。それにしてもなぜミショー論が今まとめられたのか? 鈍感な私にはまだ軽率な推測すら見えていない(→追記4)。

ミシェル・フーコーはかつてブランショのことを、ヘーゲルが哲学史において成したことを現代の文学において成し遂げた希有な存在だと、たしかそんなふうに讃えた。言葉なり何なりで何ごとかを表現しようと思い立つ時、私たちは誰しもブランショが確言した熱情と孤独と死の領域のうちにたたずんでいる。ブランショは到来する。到来し続ける。彼の中に永劫があるように、私たちは幾度となくこの顔のない作家の立ち会いを予感し、思わずその近さに身震いをするのだ。

豊崎光一氏が亡くなって以来、途絶した観のある、ブランショの長大な後期重要評論集の数々の翻訳企画(筑摩書房)がぜひ今一度活気づくことと、『私の死の瞬間』と『すみか』のカップリングが一日も早く邦訳されることを祈ってやまない。私は個人的にはラクー=ラバルトの論文「忠実さ」もこのカップリングに補遺として併録されるべきだと思うけれど。

[99年12月24日ああイブなのに文責:五月]

追記1:「Demeure」は「滞留」とも訳されていると、S.Y.さん、K.G.さんより指摘を頂戴しました。私も賛成です。S.Y.さん、K.G.さん、様々な有益なご教示ありがとうございました。

追記2:本稿では、ブランショの『Demeure』をめぐる思惟の星座のうちに、ラクー=ラバルトとデリダの各論文を代表例として認めたが、そこに次の論文群も加えるべきかと思う。ひとつは、”Yale French Studies”93号の特集”The Place of Maurice Blanchot”1998, Yale University Press, isbn:0-300-07375-5であり、特に宗教哲学研究に素晴らしい成果をおさめてきたアムステルダム大学の俊英Hent de Vriesによる「絶対的消失:モーリス・ブランショの『私の死の瞬間』について」に注目したい。同号には一般的ブランショ論として、ドミニク・ラバテやドゥニ・オリエ、サイモン・クリッチリー、ハンス=ヨスト・フライ等の論考が光る。 ふたつ目には、”Revue des Sciences Humaines”253号(1999年1月)の特集” Maurice Blanchot” 1999, Presses de l’Universite de Lille III, isbn:2-913761-00-3であり、これはロジェ・ラポルトによって編纂された。ピエール・マドール、ルネ・マジョール、ピエール・アルフェリ、クリストフ・ ビダン、フィリップ・ラクー=ラバルト、ジャン=リュック・ナンシー等の顔が見える。マドール(97年10月との署名)、マジョール、ビダンがはっきりと 『Demeure』に言及しているほか、ラクー=ラバルトのテクストは97年9月22日、パリの作家会館で開かれた「ブランショ生誕記念」の会合の席上で読まれたものの再録である。 また、S.Y.さんから寄せていただいた情報によれば、ジュネーヴ大学で1999年 5月に「Maurice Blanchot: revolution?」と題されたコロックがローラン・ジェニーによって開かれ、論文集が“Furor”, numero 29, septembre 1999, diffusion: 30, chemin des Crets-de-Champel, CH-1206 Geneve, Suisseという文学部の紀要の形で出版されている、とのことである。ドミニク・ラバテ、ドゥニ・オリエ、クリストフ・ビダン等が参加。S.Y.さん情報ありがとうございます。

追記3:K.T.さんから「ファラーゴはベル・レットルの子会社ではなく、ベル・レットルを発売元にしているのではないか」とのご指摘をいただきました。 私も恐らくその通りだと思います。K.T.さんありがとうございます。私はdiffusionという言葉を誤解していたようです。フランスの出版社とその流通形態について、勉強しなくては。

追記4:「ミショー論が1999年に刊行されたのは、ちょうどこの年がアンリ・ミショー生誕100周年だったからではないか」との至極明快なご訂正を、K.T. さん、S.Y.さんから頂戴しました。ミショーの誕生年を忘れているなんて、お恥ずかしい限りです。ご指摘ありがとうございました。[以上、追記1〜4までは2000年5月6日に記した]

追記5:これらの解説は本文中でも「言い訳」してある通り、事実、誤解を招きやすい乱暴な要約(私の志向性によるデフォルメ)だった。もっとも要約すること自体が不可能で はあるのだが。2000年11月についに未来社からデリダの『滞留[付/モーリス・ブランショ「私の氏の瞬間」]』が刊行されたので、こちらを精読するにしくはない。この二篇 に対する私の妄執をお笑いになりたい方は、オンライン書店bk1での本名名義の紹介記事(下記にリンクを張ってある)をご高覧ください。[2000年11月21日記す]

※取り上げた文献で文中以外に明示したほかは以下の通り。

"L'instant de ma mort"
par Maurice Blanchot,
1994,Fata Morgana,isbn:2-85194-370-7,F

"Demeure : Maurice Blanchot"
par Jacques Derrida,
1998,Galilee,isbn:2-7186-0497-2,F140

"The instant of my death / Demeure : Fiction and testimony"
by Maurice Blanchot and Jacques Derrida,
translated by Elizabeth Rottenberg,
2000,Stanford University Press,isbn:0-8047-3326-0,$12.95

"L'animal autobiographique : Autour de Jacques Derrida"
sous la direction de Marie-Louise Mallet,
1999,Galilee,isbn:2-7186-0511-1,F215

"Parages"
par Jacques Derrida,
1986,Galilee,isbn:2-7186-0295-3,F120

"Deconstruction & criticism"
by Harold Bloom, Paul de Man, Jacques Derrida, Geoffrey Hartman
and J.Hillis Miller,
1979,Continuum,isbn:0-8264-0010-8,$14.95(Reprint,1994)
[『帯域』第2章"Survivre"の先行英訳テクスト"Living on : border lines"が75頁〜176頁に掲載されている]

なお、国内でブランショについて取り上げている高感度なサイトを見つけた。http://www.geocities.co.jp/Berkeley/4761/detruire.htm
また、昨年9月にフランス国営テレビで放映されたブランショ特番に関する情報は、http://www.france3.fr/fr3/ecrivain/blanchot.html
どちらもぜひご覧になってください。

文責:五月


■関連リンク集

http://www.geocities.co.jp/Berkeley/4761/detruire.htm

http://www.france3.fr/fr3/ecrivain/blanchot.html

オンライン書店bk1 Book Review ジャック・デリダ著『滞留』(ポイエーシス叢書 45)

■関連記事

・現在のところありません。


▲[現代思想の最前線]に戻る
▲[バックナンバー一覧]に戻る

▲トップページへ戻る