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第9回 アガンベン、来たるべき政治哲学
2000.02.25.

今回と次回の2回に分けて、現代イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンについてレポートしようと思う。第1回目はなるたけ多くの情報を提供して 諸姉兄の関心を広く問えればいい。第2回目はアガンベンの著書の内容についてじっくり見ていきたい。

アントニオ・グラムシ(1891‐1937)以後の、イタリア現代思想というと、 日本人はフランス現代思想ほどには知らない。例外的にウンベルト・エーコ (1932‐。作家。元ボローニャ大学記号学教授)の知名度が高いだろうと思 われるが、近年再評価の著しいアントニオ・ネグリ(1933‐。元パドヴァ大 学教授)は一般レベルでは低いかもしれない。

だが、さらに人材の波が続いており、それらの群像はこれから本格的に著書の邦訳が刊行されていくであろうと思われる。すなわち、ジャンニ・ヴァッ ティモ(1936‐。トリノ大学哲学教授)、アウグスト・イルミナーティ(1937‐。ウルビノ大学政治哲学史教授)、ジョルジョ・アガンベン(1942‐。 ヴェローナ大学哲学教授)、マッシモ・カッチャーリ(1944‐。哲学者。ヴ ェネツィア市長)、パオロ・ヴィルノ(1952‐。哲学者。『メトロポリ』誌 および『ルオゴ・コムーネ』誌編集人)。

わけても特に90年代から世界の耳目を集めているジョルジョ・アガンベンは 、昨年にも著書が続々英訳され、今年は邦訳も続くことになりそうだ。99年 7月、処女作『内実なき人間』とイタリア作家論『詩の終わり:詩学研究』 がスタンフォード大学出版局から刊行され、12月には英語圏独自の論文集 『ポテンシャリティーズ:哲学論文集』が同じくスタンフォードから出た。 さらに今年の2月つまり今月には原著最新刊の英訳『アウシュヴィッツの残 余:証言と記録』がMITプレスのゾーン・ブックスの1冊として出版され たばかりだ(書誌情報は小文末のページで)。

驚くべきことにこの4つのうちの3点が、ひとりの訳者の手になる仕事であ る。ダニエル・ヘラー=ローゼンがその人であり、弱冠25歳の俊英だ。アガ ンベン本人が「書誌データについては書いた私自身より彼の方がよく知って いる」と漏らしたこともあるそうだが、その信頼あってか初の他選論文集を 編み、さらに「書かれなかったものを読む」(ホフマンスタールの言葉より )と題された解説を書いている。すでに98年にはアガンベンの主著である 『ホモ・サケル:主権と裸形の生』も英訳していた。

アガンベンのフィールドは美学と政治哲学であると言っていいだろう。98年 の初の邦訳書『スタンツェ:西洋文化における言葉とイメージ』ありな書房 は初期の美学的成果である。お読みでない方はぜひご一読をお薦めする。ギ リシア・ラテンの古典的教養から現代思想まで、神学から文学、芸術まで幅 広い領域を渉猟し、ハイデガー以後もっともインパクトの強い、骨太な哲学 の「原型」を彫琢している。

また、政治哲学の分野においても『ホモ・サケル(聖なる人間)』と題され た連作の中で、存在論と倫理学と政治学の架橋を試みており、ここではレヴ ィナス以後もっとも真摯な問いがすべての読者に向けて今も開かれている。 先に挙げた『ホモ・サケル:主権と裸形の生』はその基底として第1部を成 し、『アウシュヴィッツの残余:証言と記録』はシリーズの第3部であるとされている。未公刊の第2部については別の機会に続報できるだろう。

ホモ・サケルとは、古代ローマにおいて、何人も殺すことのできぬ「聖なる人間」であり、かつまた、例え殺しても誰も罰せられぬ「呪われた人間」で ある。アガンベンはこの概念のうちに人間の本質を見る。すなわち卑近な言 い換えをすれば、ひとの命の尊厳は誰も奪い去ることができないものである が、しかし命を奪うことの罪を裁く原理は容易に打ち立てられるものではな い、という問題であろうか。

『アウシュヴィッツの残余』にはジュディス・バトラーの推薦文が、『ポテ ンシャリティーズ』にはマーティン・ジェイとジャン=リュック・ナンシー の推薦文が印刷されているが、アガンベンが世界の第一線の思想家たちに大 いに刺激を与えていることは特筆すべきであろう。もっともよき理解者の一 人と言えるのがナンシーであることは間違いない。ナンシーの一連の共同体 論、政治哲学とアガンベンのそれには共通点が見られる。なお、『アウシュヴィッツの残余』の仏訳者はジャック・デリダの子息ピエール・アルフェリ であることを申し添えたい。

特にこのアウシュヴィッツをめぐる「証言とは何か」を問う『ホモ・サケル 』第3部はこんにちの多くの議論と結び合う。ショシャナ・フェルマン著『声の回帰:映画「ショアー」と〈証言〉の時代』太田出版や、キャシー・カ ルース編著『トラウマ:《記憶》への探求』作品社近刊はもちろんのこと、パウル・ツェランの詩群、あるいはツェランを論じたデリダの『シボレート :パウル・ツェランのために』岩波書店、また先月刊行されてじわじわと話題を呼んでいる多田茂治による評伝『石原吉郎「昭和」の旅』作品社を併読 するといい。世界大戦時代のシベリアのラーゲリで過ごした詩人・石原の苛烈な生死に思わず息を呑む。

アガンベン思想の大枠を押さえるために『ポテンシャリティーズ』の章立て を一瞥すると、第1部:言語(活動)、第2部:歴史、第3部:潜勢力、第4部 :偶然性、である。それぞれの中心は第1部が「マックス・コメレルあるい は身振りについて」、第2部がヴァルター・ベンヤミンとメシア的時間論、 第3部には秀逸なドゥルーズ/フーコー論である「絶対的内在性」、第4部が メルヴィルの小説を題材にした「書記官バートルビーまたは偶然性について 」。

残念ながら詳細の紹介は別の機会に譲らざるをえないが、初めてレヴィナス とブランショとアガンベンを並べて論じ、アガンベン本人からも賛辞が送ら れたトーマス・カール・ウォールの著書(SUNYプレス、99年2月刊)のタイ トルにもあるように、アガンベンの思惟に見られる特徴のひとつには「根源 的受動性」という言葉が当てられるかもしれない。これは感受性の深淵が試 されているのであり、けして意志に欠けるわけではない。

『ホモ・サケル』シリーズのマトリックスとして、先行する2著『来たるべ き共同体』と『目的なき手段:政治にかんするノート』があるが、両著とも 喜ばしいことに邦訳が進んでいる。特に後者は5月中旬に以文社から次の通 り刊行される予定。

『スペクタクル時代の政治哲学(仮)』高桑和巳=訳、A5判上製カバー装 192頁、予価2,800円本体価格、ISBN4‐7531‐0212‐2

次回はこの、来たるべき政治哲学の中核をなす近刊について紹介したい。な お同訳者同版元によって『ホモ・サケル』が、他訳者他版元で『アウシュヴ ィッツの残余』が出版予定されている。今年はアガンベンを読まずしては昼も夜もないだろう。[2000年2月24日記す]

・アガンベン著作一覧  list01.html

より詳しく著者の情報(雑誌論文、ニューメディア等)を得たい方は、以下のサイトをぜひご訪問ください。掲示板でのやり取りも有益な情報で盛りだくさ ん。 http://members.xoom.com/katieagamben/index(jp).html

参考文献 “Radical passivity : Levinas, Blanchot, and Agamben” by Thomas Carl Wall,1999, SUNY Press, ISBN:0-7914-4048-6, $19.95-,

http://www.sunypress.edu

アガンベンの『来たるべき共同体』90年、『言語と死:否定性の場所』82年 、『幼年期と歴史:経験の破壊と歴史の起源』78年を中心に論じている本書 は、スティーヴン・シャヴィロ(ウォールの師)とミケル・ボルク=ジャコ ブセンにささげられた。

文責:五月


■関連リンク集

SUNY Press, http://www.sunypress.edu

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