| 第15回 崩壊する自画像:鴨居玲とOdd Nerdrum |
2000.10.25.
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1982年作「ミスターXの来た日1982,2,17」、同年作「1982年 私」、同年作
「自画像」。鴨居玲が描いたこの三種類の自画像をどのように語れるだろうか。
ミスターXとは彼の死神なのだろうか。
瞳は暗がりに没し、口は半開き、蓬髪に白いもみあげ。「ミスターX」での彼
は眉をひそめ、首から下はほとんど描かれていない。がっくりと肩を落とし、
両腕を前に垂れているようにも見える。
「1982年 私」の横長の圧倒的な大画面に描かれているのは、真っ白いキャン
バスを前に筆を持つこともなくただ座り込み、こちらにその呆けた顔を向けて
いる。キャンバスの周囲には彼が今まで描きつづけた人物群がほとんど勢ぞろ
いしている。ある者は心配そうにキャンバスを覗き込み、ある者は背を向け、
ある者は床に転がったサイコロを拾おうとしている。
「自画像」においては、彼はすでに暗がりに没しようとしている。やはり似た
ような表情だが、すでに眉はひそみから解かれているように隠れている。
1983年作「1983年2月3日 私」、彼は赤みがかった黄昏の微光の中にぼんやり
としたシルエットを残す。もはや髪は背景に溶け込み、白いもみあげ、やや苦
痛を訴えているような半開きの口、伏せがちの目、眉のひそみ。続く上半身は
赤茶色に淀んでいる。
画家が、自画像を描くために脇にしつらえた鏡を見る時のようなしぐさ?
1985年作「勲章」。かつてスペインの寒村で何度も描写した町のよっぱらいに
似て、ジャケットの胸元にはビールか何かのへこんだ栓が四つ飾られている。
この上着のポケットに手を突っ込み、よれよれな衣服の感触が強調される。白
いシャツはすすけている。着古したズボンの膝までが描かれている。そして、
あの表情。今度は眉は下がり、今にも泣きそうに見える。泣きつかれたように
も見える。
1977年、雑誌の取材に彼はこう答えている「たとえば浮浪者を描くとする。し
かし、その浮浪者を写生したことは一度もない。またそんなことはできないし
……。かたちを借りるだけで私の中でつくりあげた人間なんですよ。つまり、
私の自画像のようなものですね。だから、実在のモデルなんていやしない……。
あのねえ、そう何というのかなあ、どうにもならない時があるでしょう。助け
てほしい時、よくありますね。自分の人生の中で……。どうしようもない時が
ね。そういう瞬間を浮浪者の姿を借りて描いている」。
そして彼の最後の作品、1985年作「肖像」。くだんのジャケットとズボン姿の
彼は横向きに背をそらしている。右手はズボンのポケット、胸元の左手には、
彼自身の「顔」を仮面のように持っている。彼の上半身は上にのぼるにしたがっ
て白くなり、首の上には真っ白いのっぺらぼうが載っている。
鴨居玲(かもい・れい)は1928年長崎に生まれ1985年に57歳で死去した画家で
ある。父は新聞記者だった。父の転勤に伴い、金沢で育つ。金沢美術工芸専門
学校予科で洋画を専攻している。20歳の頃には地元の現代美術展で入選・受賞
を繰り返し、24歳から兵庫県西宮市に移り、途中スランプに苦しみながら画業
を更に深めた。1958年、30歳から逝去するまではおおかた神戸市内に居を構え
た。31歳、渡仏。パリで2年程過ごす。その後南米やイタリアにも放浪。1971
年43歳の折、スペインへ。マドリードを経て南下すること二百キロ、小村バル
デペーニャスに住まう。当地での村民とのふれあいは、彼の絵の主題に深い影
響を及ぼしている。一時帰国を挟みつつ、1976年48歳でスペインから再度パリ
に移る。すでにこの頃までにはフランスをはじめ日本やアメリカでも個展が開
催され、二紀展で文部大臣賞も受賞している。翌年帰国。1982年頃から時折入
院するようになり、数年後に狭心症で死去。受賞多数。
日動画廊などから画集や素描集が出版されているが、すでに手に入らないもの
も多い。随筆集『踊り候え』が風来舎から刊行されており、改訂版が入手しや
すいだろう。また、石川県立美術館のホームページで作品を見ることができる。
日動画廊 http://www.nichido-garo.co.jp/index.html
石川県立美術館 http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/
Odd Olav Nerdrumは1944年ノルウェイに生まれた画家である。彼の父母は六 歳の頃離婚している。父は法律家であると同時にスカンジナビア・エアライン
ズ・システムのノルウェイ責任者だったが、実の父親ではなかった。父の葬儀 への参列を後年拒否されている。彼の実父は当地の著名な建築家David
Sandved であるらしい。オスロのルドルフ・シュタイナー学校で学び、その頃から卓抜 な才能を発揮し始める。ムンクやゴヤに親しみ、離婚した父が進めるスポーツ
よりも芸術や古い妖精物語などを好んだ。彼は18歳の若さでオスロの国立芸術アカデミーに入る。当時はダダ、シュルレアリスム、キュビズムの影響力が大
きかったが、彼に大きな影響を与えたのはレンブラントだった。その後、ヨーゼフ・ボイスやアンディ・ウォーホルとも出会うが、彼の関心を寄せるところ
とはならず、むしろ「私たちの時代は、断片化の時代だ……<統合/融合>の精神 は潰えたのだ」と語るようになる。1972年のことだった。
http://www.nerdrum.com/
英語で意味を取ろうとすると奇妙な名前だが、彼もまた年を経るにつれ自画像 を描くことが多くなっている。はじめは、それらは自画像というより、別の主
題に準じる一形象だった。しかし次第に自画像こそが主題ならざる主題をなしていくように思える。
1979年作「帽子をかぶった自画像」
1977-79年作「午後の陽光の中の自画像」
1984-1994年作「ヘッドバンドをした男」
1985-1995年作「皮の航空帽をかぶった男」
1992年「イースター時の自画像」
1991年「目をつむった自画像」
1991-93年「目を半分つむった自画像」
1994-95年「正面から見た自画像」
1995-96年「甲具を着けた自画像」
1997年「青い自画像」
1997年「黄金のガウンをまとった自画像」
1998年「自画像」
1998年「横顔の自画像」
1998年「灰色の自画像」
1998年「絵画の預言者としての自画像」
1999年「鼻血を流す自画像」
次回はこの自画像群について書き、答えのない問いの光源を探ろうと思う。
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