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第19回 ドゥルーズの世紀? ガタリは? 
2001.2.25.

ミシェル・フーコーが「いつの日か世紀はドゥルーズのものとなるだろう」と書いてから数十年が経つ。それがいつになるのかは分からないけれども、フランスにおいてはエリック・アリエズらによってドゥルーズ哲学は絶えず称揚されているし、日本でも彼の著書はほとんどが邦訳されている。いまもっとも待たれているのは、ネグリがその実在について語り、ドゥルーズ本人も「最後の本」と予告していた、絶筆『マルクスの偉大さ』の公刊である。いつどこの版元から、という情報はなかなか探り出せない。原著がそうなのだから、いわんや邦訳書がいつになるかはわからない。ただ今後、河出書房新社からドゥルーズ生前最後の書『批評と臨床』が出版されるはずだし、『シネマ』?・?巻と 『感覚の論理』は法政大学出版局から予告されている。遺稿であるマルクス論は更にその先にぼんやりとした影となって揺らめいている。ドゥルーズの遺稿 はガタリやアルチュセールらの手稿が一括保管されてあるかのIMEC(現代 出版史資料館)には委託されていないという。

いっぽうドゥルーズが主にパリ第?大学ヴァンセンヌ校で1971年〜1987年に行った講義のうち、約80回分のテキストがこんにちウェブ上で公開されている。 http://www.deleuze.fr.st/

ここ「ウェブ・ドゥルーズ」はドゥルーズの遺族であるファニー夫人や、著作 権継承者であるエミリーとジュリアンらの了解と、研究者たちの協力を得て、 リシャール・ピナスが中心者となって作成しているようだ。講義録(スペイン語訳、英訳もあり)をはじめ、書誌情報や、リオタールやガタリなどによるド ゥルーズ関連テクストもある。講義録の内容は以下の通り。

「スピノザについて」12回、1978年1月〜1981年3月
「ライプニッツについて(1)」6回、1980年4月〜5月、1987年
「ライプニッツについて(2)」9回、1986年12月〜1987年5月
「映像=運動/映像=時間」6回、1981年1月〜1983年6月
「カントについての4講義」4回、1978年3月〜4月
「アンチ・オイディプスとミル・プラトー」20回、1971年11月〜1979年2月

このほかにもIRCAM(ポンピドゥ・センター内にある、音楽音響研究所。 書籍やCD-ROM、ソフトウェアを作成するだけでなく、音楽教育機関でもあり、 コンサートなどもコーディネートしている)主催のカンファレンス「音楽的時間」での発表や、ベルクソンにおける多様性の理論についての講演テキストも 自由に読むことができる。『批評空間』1998年?-18号に掲載されたドゥルーズの音楽講義録の末尾にある、浅田彰氏による「付記」に紹介されているのは、 まさにこの「ウェブ・ドゥルーズ」の旧URLだ。氏も特記しているように、ミュージシャンでもあるピナスの音楽ユニット「エルドン」が、ドゥルーズの 朗読を素材に作成した「旅人」という曲も、サマリー・コーナーのオーディオ の項目内で聴ける。その音楽性についてのコメントは、つらいので控えておきたい。

動くドゥルーズが見たい、という人にはモンパルナス出版社から1996年に発売された全3巻のヴィデオ「ドゥルーズのABC(アベセデール)」をお奨めしたい。クレール・パルネによるインタビューで、AからZまで一つずつの単語を選び、それについて語っている。アニマルからジグザクまで、約7時間30分である。オンライン書店のAlapage.comなどで購入できるが、ご存知のように、フランスと日本では録画および再生形式が異なるので、このままでは見ることができない。

この連載でも以前にちらほら書名が出てきたが、ここ最近のドゥルーズをめぐる論壇の動きの中で目立ったものには、ジョン・ライクマンの『ドゥルーズ・コネクションズ』MITプレス2000年10月、シルヴェール・ロトランジェ編集によるドゥルーズの単行本未収録論文集『マイナーワークス』MITプレス2001年 5月予定のほか、かつて「サウス・アトランティック・クォータリー」誌1997年 夏号で「ドゥルーズの世紀?」と題した印象深い特集(のちに単行本化されて いる)を組んだイアン・ブキャナンによる『ドゥルージズム:メタコメンタリ ー』デューク大学出版2000年6月や、来月(2001年3月)にラウトレッジ社から刊行予定の、ブライアン・マスミ(『ミル・プラトー』の訳者でもある)の編集による『思考への一撃:ドゥルーズ=ガタリ以後の諸表現』というのもある。

なおMITプレス(なんだかこの版元ばかり本号では取り上げているが偶然なの です)のブランドであるゾーン・ブックスから、今年の6月に『純粋な内在性:生命についての試論』というドゥルーズの英訳書が、アンヌ・ボイマン訳で予告されており、くだんのジョン・ライクマンが序文を寄せる予定。100頁程の分量であることとタイトルから察するに、これはドゥルーズが生前最後に、ミニュイ社の『哲学』誌47号1995年9月刊で発表した論文「内在:ひとつの生」を中心に編んだものではないかと思う。どのような構成になるのか楽しみである。この生前最後の論文は『文藝』河出書房新社1996年春季号に掲載されてい る「追悼:ジル・ドゥルーズ」のコーナーに、小沢秋広氏による邦訳と改題で読むことができる。

これ以外にもオンライン洋書店でドゥルーズを検索すれば、様々な新刊を見つけることができるのだが、今回紹介するうちの極めつけは、何といってもカナダのトロント大学で「文化と技術にかんするマクルーハン・プログラム」の主 任研究員を勤めるギャリー・ジェノスコが編纂し、先月(2001年1月)ラウトレッジ社から出版された以下の3巻本である。

"Deleuze and Guattari : Critical Assessments of Leading Philosophers"
Three Volume Set, Edited by Gary Genosko, 2001, Routledge,
ISBN: 0415186692, Cloth, $575.00 (US)

この1536頁にもなる書籍をいま下手にアマゾンなどで購入しようとすると、ライブラリー・バインディング版、つまり図書館向けの仕様でUSドルにして実に660ドルにもなる。ここ最近の平均レートを1ドル115円くらいだとしても、8万円近いシロモノだ。いっぽう上記の値段は、版元ラウトレッジのHPのカタログによるもので、ここにはClothつまりハードカバー版の価格が表記されている。恐らくペーパーバックは刊行されないだろう。

ボードリヤール論やマクルーハン論を出版し、ガタリのリーダーも編纂してい るジェノスコ(とある日本の書籍ではガリー・ゲネスコと表記されていたが、 正しくはどう表記すべきかわからない)は、オンタリオ州のレイクヘッド大学 のウェブサイト内に自らの名前と「文化理論研究」を掲げたHPを構えており、ほとんど知られていないためか、作ったばかりのためかでアクセス数がようやく100を越えるかどうかの現状なのだが、内容としては彼の趣味であるらしい ホッケーやその他のコーナーは別として、「ガタリ・プロジェクト」という項目は必見である。http://www.lakeheadu.ca/~ggenosko/

根っからのガタリ主義者ぶりを見せながらも「この世紀がいつの日かガタリ主義者のものとならないことを願おうじゃないか!」と言い放つその反骨精神。 このコーナーにはガタリの書誌データのほかに、上記書の目次詳細が出ている。まずはこことニューヨークのラウトレッジHPカタログを見て、個人が買うのは厳しいとしても、大学の研究室を利用できる人はそこで購入してもらうのもいいだろう。

本書は端的に言えば、ドゥルーズ=ガタリを論じた各国の主要論文を独自の視点から集成したものだ。フランス、アメリカ、オーストラリア、イギリス、ドイツ、イタリア、日本、フィリピン、カナダから合計90論文がエントリーされている。詳細の紹介は無理だが、本書目次の概要を見ておくと、以下の通りとなる:

ジェノスコによる序論
第1巻「ドゥルーズ」:1.1.文化理論と実践[演劇/映画/絵画/文学/音楽/ダンス](17篇)、1.2.こんにちまでのドゥルーズ論さまざま(10篇)
第2巻「ガタリ」:2.1.活動的知識人としての肖像と苦難(5篇)、2.2.資本主義批判と社会的実践の問い(9篇)、2.3.精神分析/スキゾ分析/治療の新機軸 (9篇)、2.4.応用的横断性(5篇)、2.5.主体性の生産のための諸道具[記号/ 芸術/機械/動物](7篇)
第3巻「ドゥルーズとガタリ」:3.1.建築論への暗示(7篇)、3.2.ノマド思想および機械状論の諸問題と評価[ノマド/諸機械](16篇)、3.3.フェミニストによる読解(5篇)

言うまでもなく、ジェノスコはドゥルーズよりガタリの巻を編纂する方に、より細かい注意力をそそいでいる。そしてこの集成の特徴は第3巻目に顕著に表 れている。数こそ少ないが、フェミニストたちによってどのようにドゥルーズ= ガタリの思想が受容されてきたか、そのアウトラインを追跡しようとした3章目には、フェミニズムとリゾームの関係性を探ったエリザベス・グロスらの論考が収められている。更にこの第3巻において明らかな編集方針は、以下のような点である。

編集方針で特徴的なのは、ドゥルーズ=ガタリの思想が都市研究や建築論に影響を与え、特にその傾向が日本で顕著であると捉えられているところだ。本書では、篠原一男や浅田彰、宇野邦一、磯崎新、黒川紀章らのテスクトが主に建築雑誌から第2、第3巻へ収録されている。浅田氏がハリー・ハルトゥニアンやマサオ・ミヨシらと、小児資本主義と日本のポストモダニズムについて語り、『現代思想』誌にかつて掲載された、けっして成功したとは言いがたい対談も なぜか転載されている。

さて最後に、ガタリの再評価の情況について確認しておきたいことがある。インパクト出版会から昨年(2000年)5月に刊行された『政治から記号まで』という本には、ガタリと粉川哲夫氏が1980年10月に交わした対談と、粉川氏とガタリの著書の邦訳者である杉村昌昭氏によるスピード感あふれる対談とが収録されている。そこでふたつの気になるエピソードが杉村氏から紹介されていた。

ひとつは、ガタリの遺稿管理人オリヴィエ・コルペが「ドゥルーズとガタリがどういうかたちで一緒に仕事をしていたかだいたい俺は分かっている、ガタリがしゃべってドゥルーズが整理したんだと言」ったというエピソード(108頁)。杉村氏も「それだけじゃないはず」だと付言している通り、これはコルペの推測であって、驚くべき発言ではあるけれども、信じるわけにはいかない。ただしこの魅力的な推測は今後も不確実な噂として漂い、私たちの気を逸らせようとするだろう。いわゆる「ガタリ=第一ヴァイオリン」説である。

私見だが、ドゥルーズ自身が証言しているように「フェリックスからの衝撃によって、私は奇妙な概念たちが住む未知の領土へやってきたという印象を持った」(『ドゥルーズの思想』大修館書店)のであって、ガタリがしばしば先導したであろう彼らの闊達な会話を思い浮かべてみることはできる。しかし『千のプラトー』(河出書房新社)の序「リゾーム」の冒頭で明かされているように、彼らにとってはどちらがどこを書いたかなどということは全然問題ではなく、彼ら自身がすでに孕んでいた多面性と複数性が交錯しあって、「私と言うか言わないかがもはやまったく重要でないような地点に到達すること」(15頁) が達成されたのだと、ひとまずは了解しておいていいのではないか。

またもうひとつは、フランソワ・トスケルがジョルジョ・アガンベンに対して、怒っていたというエピソード。「このまえ、フランソワも言ってましたけど、ジョルジォ・アガンベンというイタリアのネグリとも親しい人がいて、彼も一 種のドゥルージアンですが、ドゥルーズ=ガタリの本を引用する時に、ドゥルーズの名前しか出さないらしい。だからフランソワが、そりゃないだろうって怒 ってました。そこまできてるみたいですよ」(144頁)。この発言を読み解く のには注意が必要だ。まず、ここではトスケルが杉村氏に話して「アガンベン がドゥルーズの名前しか出さない」と怒っているのか、それとも杉村氏がトスケルに「アガンベンはドゥルーズの名前しか出さないらしい」と言ったことに対して、もしそれが本当ならひどいことだ、という意味で「そりゃないだろう」と怒ったのか、はたまたトスケルが杉村氏に対してそんな話はありえないだろうと怒ったのかが、わからない。

アガンベン批判の論拠となったであろうアガンベンの『ホモ・サケル』のイタ リア語原書(エイナウディ社1995年)の巻末参考図書を見てみると、確かに、『ミル・プラトー』がドゥルーズ一人の著書になってしまっており、本文中でも実際に引用該当部分はドゥルーズの名しか出てきていない(22頁)。むろん用意周到な『ホモ・サケル』英訳版ではそれは訂正されている。この本には仏訳版もあるのだが、手元にないので確認できない。恐らくは訂正されているだ ろう。うっかりなのかどうかはわからない。アガンベンは確かにドゥルーズ論を書いたことがあるけれども、しかし彼はいわゆるドゥルージアンではない。杉村氏の鋭敏な危機感は理解できるが、現時点では杉村氏が批判対象を欲しているという側面はなかろうか。

ガタリが正当に評価されていないのは、彼がしばしばアカデミズムの枠から大きくはみ出している理論家であり、枠を壊して乗り越えていくアクティヴィストだからだ。それは真実だろう。しかしそう単純に「説明」して済ませることには用心したい。これは杉村氏のことを言っているのではない。むしろ粉川氏にそうした「埋葬」の匂いを感じる時があるのだ。それは氏がガタリを評価しているからこそ余計にやっかいなのではあるまいか。外なる人としてガタリを捉えるのはあまりに安全すぎる。ガタリはアカデミズムの圏域にあって果敢に概念の組替えを実践していったではないか。アクティヴィストとしてのガタリへの評価は、粉川氏の中で変遷している。氏が「乖離を感じる」というガタリ生前最後の著書『カオスモーズ』は河出書房新社から邦訳刊行の予定である。この著書はそうした理解の困難さの只中へ生まれてくる、時代の鬼子となるだ ろう。[2001年2月24日記す]

文責:五月


■関連リンク集

・ドゥルーズ講義 http://www.deleuze.fr.st/

・「ガタリ・プロジェクト」http://www.lakeheadu.ca/~ggenosko/

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