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第21回 ル=グィン最新作はゲド戦記外伝、今秋には待望の第五部が刊行!
2001.4.25.

SFファンタジー作家の巨匠アーシュラ・ル=グィンの最新短編集がこの4月に出た。しかもタイトルは『アースシー物語』、つまりかの大ヒット作「ゲド戦記」の外伝なのである。戦記の前史および周辺史を描いた"The Finder","The Bone of the Earth","Darkrose and Diamond"の3作、大賢人時代のゲドの 逸話が1作、そしてハイライトは、戦記の前作『帰還』と今秋刊行予定の待望 の第5部"The Other Wind"をつなぐ短編"Dragonfly"である。

"Tales from Earthsea" by Ursula K. Le Guin, 2001, Harcourt, hardcover, 296 pages, US$24.00-, ISBN:0-15-100561-3

「まえがき」でル=グィン女史は「前作『帰還(原題"Tehanu"1990)』を書いた ときは、ようやく現実の《今》にたどり着いた気がしました。これ以上書き進 める何かを持ち合わせていなくて、この本を最後の書としたのですが、出版社 から外伝を書くよう奨められて気付いたのです、あれを最後だとしたのは愚か だったと。しばらく離れている間に物語の世界は変化していたのです」と述べ ている。なるほど見返しには新たに書き直されたアースシーの地図と、巻末に はアースシー文明の小事典が書き下ろされている。いよいよ作品世界の全貌があらわになってきたのだ。

"Dragonfly"はすでに昨年末に発売されたハヤカワ文庫の『伝説は永遠に(3)』に邦訳が収録されている。ISBN:4-15-020282-6 本体860円。『帰還』以後の 新展開が明らかにされる必読のプロローグであり、第5部"The Other Wind"へ の周到な橋渡しであると言えよう。読者の楽しみのために「ネタバレ」はなし にする。第5部では、いよいよ竜の子テハヌーが縦横に活躍するのだろう。あ あ、秋が待てない!

さて、読者諸姉兄のなかにはそもそも「ゲド戦記って何?」という方がいるか もしれない。本誌の兄弟誌「[書評]のメルマガ」25号(2001年2月25日配信) を読んでいただいた方は、私がなんでこのシリーズに思い入れがあるのかご存 知だろう。読んでない、という方は、シリーズ全4巻が岩波書店から出ています、 今すぐ全巻購入して読んでみてください。後悔はさせません。

さらにたとえ読んでいても、「現代思想の紹介でなぜル=グィンを?」とお思 いになる方がいるかもしれない。しかしこれには必然性があるのです。ゲド戦 記、つまり「アースシーの魔法使い」シリーズを3巻まで書いて、しばらく長 いブランクが著者にはあった。そして実に18年を経て『帰還』が刊行されたの です。そこには、男性至上主義との戦い、という課題がありました。

『帰還』のテーマは重い。シリーズのなかで一番暗い。魔術を捨てて一農婦と なったテナー。魔法の力を使い果たし、栄光を振り払って故郷へ帰ってきた老 廃のゲド。父親やその友人から虐待され殺されかけたところをテナーに助けら れて、以後彼女に育てられることとなるテルー(テハヌー)。情け容赦なく彼 らに襲いかかる倣岸で卑劣な魔法使いアスペン。これが小学校高学年以上を対 象とした本とは。つらい。ル=グィンはゲド戦記を書き直し、今までのシリー ズを一新させる心積もりで書いたのではないかと思う。なぜ魔法使いは男だけ なのか? 女のまじない師はなぜ「正統」でないのか? なぜ独身として「清 く」なければならないのか? そもそもSFファンタジーというジャンルはあ らかじめの男性至上主義が暗黙にすべてを規定されている節はないか? その 内的格闘のゆえに『帰還』はシリーズ中もっとも難解である。

フェミニズム系法哲学者のドゥルシラ・コーネルの『自由のハートで』情況出 版刊を読んでいたら、解説でル=グィンがエピグラフに引かれていて驚いた。 コーネルの主著『イマジナリーな領域』1995年からの孫引きだった。ル=グィ ンはいつも自身の心の闇を手探りして奥へ奥へと歩いていく、そんな書き方を する。ル=グィンのSFファンタジーはそのテーマ性と手法においてきわめて 哲学的な探究を実践している。特に『帰還』以後の思想圏は、イヴ・コゾフス キー・セジウィックの『男同士の絆』名古屋大学出版会や『クローゼットの認 識論』青土社における「ホモソーシャル」理論、SF作家で大学教授のジョア ナ・ラスの『テクスチュアル・ハラスメント』インスクリプトの議論とも響き あってくるのではないかと思う。

2001年秋に刊行予定の"The Other Wind"は、『帰還』において時代の《今》に たどり着いた著者が、その渦中の問題圏をいっそう深化させたものとなるだろ うことは間違いない。『外伝』の「まえがき」で告白されていたが、作家が自 分の物語世界のゆくえがわからないというのは、ル=グィンの場合、読者をじら したりもったいぶったりする身振りなのではない。本当にわからないのだ。

例えば「竜」という象徴にこだわってきたル=グィンは、そのシンボリズムに 未来を託すべき予感を憶えつつも、自己の心のうちに沈潜する形象をまだ描き きれているわけではない。いまのところ『帰還』でも"Dragonfly"でも、竜は 物語上の一種のデウス・エクス・マキーナ、つまり幕引きのための強引な解決 策と見える。いや、本当は間違いなく著者にとってはそれ以上の「何か」であ るのだが、描き進む機が熟していないということなのだろう。彼女は彼女自身 の心の内奥へ深々と進む。そしてもはや彼女だけのものとはいえない、彼女の ものではない場所へと至ろうとしているのだろう。

「変化、変化、変化」。ゲド戦記の登場人物「様式の長」に物語のゆくえをそ う象徴的に要約させたように、ル=グィンは生きつづける限り、そのメッセー ジの通りにゲド戦記を書きつづけ、問いつづけ、なおも探究しつづけるだろう。 かつて哲学者オルテガ・イ・ガセーは「動中の動(Mobilis in mobili)」をモ ットーとせねばならぬ、と書いた。未完成ではあっても、それは一歩前へのめ り出るゆらぎである。埴谷雄高を模倣するならば、そうした「無限に向かう種 族」が人間のうちにはいる、と言わなければならない。[2001年4月24日]

文責:五月


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