| 2 『到来する共同性』から『目的のない手段』、『ホモ・サケル』へ。 |
2000.04.31.
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アガンベンが『到来する共同性』を書く以前に政治的思考について書いていないわけではない。はじめからベンヤミンの徹底した読者であったアガンベンにとって、政治や歴史を問わずに何かを思考することは無意味である以前に不可能だった。とはいえ、「同時代の政治を思考する」ということが一冊の本の形であからさまに問われたのは、やはり『到来する共同性』がはじめてのことだったと言える。少なくとも、『到来する共同性』のインパクトとはそのようなものだったし、おそらくは時代の読者がそれをそのような形として必要としてもいた。この本はそのように読まれ、引用され、あるいは仄めかされた。
『到来する共同性』は、先行する『散文の理念』(1985)などにも見られるような、ある主題を扱ったほんの数ページの短文をいくつも並べるというスタイルで書かれており、ここにおいて、誰もが「使える」わかりやすい範疇の簡潔かつ美しい提示という彼の文体上の身振りが(この身振りは、既に日本語訳のある『スタンツェ』(1977)にも見て取れるものであり、これのために彼は哲学者、歴史家、文学研究者などといった正統的な立場から除外され、良くも悪くも「オリジナルな文筆家」と見なされる栄誉に浴してきた)、幸福にも、到来する政治のための有用な範疇の提示という切迫した使命と出逢うことになった。
たとえば、この小さな書物の冒頭に置かれた「何であれ」(ないし「任意」)という節は、その簡潔さゆえに彼の政治的思考を代表するものとして人口に膾炙することになった同名の概念を提示している(アガンベンの政治的思考イコール「任意の共同性」の思考、というのが、最も雑駁な――とはいえそれほど間違ってもいない――了解だ)。いかなる共同的な使命をも失い、何へと運命づけられているわけでもないことが政治的にも明らかになった人間たち(この時代に生きている我々)にとっての共同性と
はどのようなものか? それにしかじかの形容を与えて規定することはで きない。そこでアガンベンは、「任意の共同性」を提示する。ここで「任意」と言われるのは、属性が何であるにせよそれぞれの属性が重要ではない、という意味での「任意」ではなく、あらゆる属性がこれこれの属性であるということがそれ自体でそれぞれに重要であるということを指し示す「任意」である。それぞれの属性は任意のものであるままに、それとしてそれぞれに欲望される(アガンベンはこれを愛の定義としてもいる)。この「任意」さ以外に、我々の時代の共同性を規定する政治的範疇はありえない。(ここにナンシーの「無為の共同性」の反響を聴き取るのは比較的容易であり、事実、アガンベンとナンシーはその政治的範疇の構想においてしばしば並置されてきた。)
また別の例。ジャック・デリダは1996-1997年度講義で、レヴィナス読解に寄り添わせるようにして、アラビア学者ルイ・マシニョンを取り上げていた。その痕跡は彼のレヴィナス論『アデュー』(1997)に収録された「受け容れという語」(ないし「歓迎の辞」――これはレヴィナ
ス1周忌のコロック(1996年12月)の基調講演として読まれたが、基本的には講義でのレヴィナス読解を凝縮したもの)に付されたある脚注にかろ
うじて見られるが、そこからも推察されるとおり、講義での検討の特権的対象となったのは、マシニョンのいう「バダリヤ」だった。ところで、こ
の「バダリヤ」についてはアガンベンが既に『到来する共同性』で簡潔な評価を与えていた。「ゆとり」と題された節で、共同的であることの特権的な形象として、この「バダリヤ」が取り上げられている。これは、マシ
ニョンが晩年に構想した宗教的共同体の名で、「身代わり」を意味する。その成員(キリスト教徒)は、「誰かの代わり」にキリスト教徒であるこ
とを誓約するのだ。自らが受け容れの場であるためには、そもそもの私という主体が誰かの身代わりであるという構想を受け容れればよいのだ、というこの発想は、後にデリダが明確な仕方で結びつけるとおり、レヴィナスの「他者の代わりの一者」、「人質」としての「主体」という構想にきわめて近い。そうした、変質を原初的に被った一者こそが、到来する共同性の場として要請される。
こうした範型を展開させる形で、アガンベンはフランスやイタリアの新聞や雑誌に、多少なりとも政治に関連をもつ今日的主題について、さまざまな論文を発表した。『イル・マニフェスト』紙、『リベラシオン』紙、『フュチュール・アンテリウール』誌、『デリーヴェ・アプローディ』誌、『マルカ』誌、『ルオゴ・コムーネ』誌、『アウト・アウト』誌……。その中からいくつかを選んで編まれた論集が『目的のない手段』である。
彼はそこで、政治を存在論的地位へと回復させることを主張し、そのために、いくつかの概念(ないし形象)を、従来の了解はどうあれ、政治的思考の肯定的にせよ否定的にせよ指標になるものとして再考している。それは、生、例外状態、強制収容所、人民、人権、難民、隠語、スペクタクル、身振りなどである。
例外状態。アガンベンは正当にも、カール・シュミット(『政治神学』(1922))を引用することから始める。いわく、主権者とは例外状態につ
いて決定する者である。ところで、何かを例外にするとはどういうことだ ろうか? 主権者がそれをおこなうとは、法をなす者が、自らの法の適用
をしかじかのものから外すことであるが、実のところ、その適用からの除 外こそがそこでは適用をなす。法の外に置かれる者を産み出すとは、その者を単に自然状態に置くことではない。それは、(動物のような)ありのままの裸の姿にすることではない。さらに剥き出しにすることだ。主権者はその権力を常に保持しているが、アガンベンはベンヤミン(「歴史概念について」(1940))を引いて、今日の不安な状況を浮き彫りにする。いわく、例外状態は規範となった。我々は潜在的には誰もが例外化される危
険にさらされており、しかも、法権利はそのことに対する有効な抵抗を構成することがなくなっている。人権概念の実効的失墜がそれを証している。アガンベンはまた、収容所とは例外状態が規範となった状況のことだと定義している。したがって我々は潜在的には誰もが、常に既に収容所の中にいるのだ。ここから脱出するためにおこなわなければならないのが、この政治的状況を思考することを可能にする存在論的範疇を構想することなのである。
人民。この概念は常に分裂を内に孕んできた。政治主体としての人民と、排除される階級としての人民との分裂である。人民主権を要求したブルジ
ョワ革命以来の歴史は、この分裂の矛盾の拡大の歴史と言うこともできる。 政治主体としての人民は、それがどのような性質のものであろうと、排除される人民をさらに排除し、抹消しようとする。人民は、自らの中で排除されてあるものを、例外状態へと置くのだ。アガンベンは、この分裂を抹
消しようとする全般的傾向こそ、今日問い糺さなければならない、とする。この視点からすれば、労働によって規定される人民(プロレタリア)が政治主体となる体制も、幾多の人民の残りもの(ユダヤ人、同性愛者、精神疾患の患者など)を抹消することによって「血と土地」の人民を政治主体とする体制も、同様の帰結を見ることは必然である。現在では、この体制は、それぞれの人の生物学的身体を舞台として内戦を展開している(生政治的な内戦)。この、人民概念の内在的分裂を抹消させるのではなく、そのままに引き受けることのできる政治的思考だけが、今日の悲劇に正面から立ち向かうことを可能にしてくれるというのだ。
アガンベン本人によって「作業中の実験場」と形容されているこの『目 的のない手段』――とはいえそれは既に驚異的な材料と道具を揃え、素晴らしい完成見本が手がけられてもいた――と前後して、『ホモ・サケル』
3部作の第1巻『主権権力と剥き出しの生』が刊行された。(ちなみに、 それから3年を経て第3巻『アウシュヴィッツの残りもの』が出されたが、第2巻は今のところ未刊だ。第1巻の末尾に仄めかされているところによれば、それは「生」概念そのものが西洋の思考の歴史においてどのように構想されてきたかを問うものであるらしく、あるインタヴューでは、その巻は端的に「生の系譜学」と形容されているが、その詳細な内容も執筆の進捗状況も知られていない。)
『ホモ・サケル1』は表紙には単に巻号の指示なしに『ホモ・サケル』とあり、その巻が3部作全体の理論的枠組みの提示であることを仄めかしているとも読める。
その枠組みは、「例外状態が規範になった」状況が(つまり「収容所」が)実は西洋に発する政治の実現の最終局面なのではないかというスキャンダラスな仮定として提示されている(フィリップ・ラクー‐ラバルトの『政治的なものの虚構』(1987)において用いられ、いささかの誤解を生みもしたはずの「ナチズムの人間主義」という、これまたスキャンダラスな表現のことを憶い出しておくこともできるだろう)。
その仮定のとりあえずの図式化にあたっては、アガンベン自身が引き合いに出しているハナ・アーレントとミシェル・フーコーの逸話を持ち出すのが便利だろう。
アガンベンが特権視する文筆家ベンヤミンを除外すれば、現代の政治をその力関係においてそのままに読み解く透徹した試みをおこなった最高の研究者としては、まずこの2人が挙げられる(ベンヤミンは絶滅収容所の
凶兆を感じながらも、その存在については知ることのないまま、1940年に自殺に追いこまれてしまった)。アガンベンは「収容所」の「謎」の解決の難しさ(その謎は解決を見ないまま、旧ユーゴスラヴィアをはじめとするいたるところに再発している)を、この2人の視点が交差することがな
かったということによって示唆している。アガンベンにしたがえば、「収容所」は「生政治」(フーコーが『性の歴史1』(1976)の末尾において、また1976年のコレージュ・ド・フランス講義『「社会を擁護しなければならない」』(1997)において提示している、人民(あるいは「人口」としての住民)の生への配慮に第一の目標を置く政治を指し示す概念)が最高
度に実現してしまった場であるが(「生政治」は、人間の生の権利である「人権」に基礎を置く人民主権と――また、常に崩壊過程にあるとはいえ
国民国家と――緊密に結びついている)、フーコーは「生政治」を「収容所」に関してきちんと問うこともなかったし、アーレントも「収容所」の分析にあたって「生政治」的視点をもつこともなかった。アガンベンは、この2人の視点を交差させることで困難を超えて、わずかなりとその先に赴きたい、と、慎ましいながらも決然と言う。
●高桑和巳(たかくわ・かずみ) 1972年生まれ。東京大学大学院博士課程(総合文化研究科)とパリ第 7大学博士課程(文学部)に在籍中。アガンベン『目的のない手段』『ホモ・サケル』(いずれも以文社)の日本語訳を準備中。その他の翻訳として『ミシェル・フーコー思考集成』第4巻、第5巻(共訳、筑摩書房)がある(また同『集成』第7巻も準備中(共訳))。
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