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第2回 詩は今を呼吸する@ ―奥野雅子詩集「日日は橙色の太陽に沿って」
1999.06.15.

「本のメルマガ」の読者の皆さんは詩というものを読むのでしょうか? 中原中也は好きですか? 銀色夏生の本を旅行バッグに忍ばせていったことはありますか? 学校の授業で現代詩を習ったことは?……

ふんふん、それではまさに今この時を皆さんとともに呼吸している二十代の女性の優れた詩集を二回に渡ってご紹介することにします。

一回目にご紹介するのは奥野雅子の「日日は橙色の太陽に沿って」(書肆山田 、2200円)。山羊と太陽と海と隕石?という、何やら意味あり気だが何の意味だかわからない、心理テストの題材のような組み合わせを淡い色調で描い た装画が表紙。さて、この不思議な表紙が暗示する通り、この詩集の特徴はと言うと…濃密にして軽く・幻想的にして日常的・神経質にしておっとり。つまり、日々の感情の起伏に沿って自分自身のことをものすごーく赤裸々に語った詩集ということ。シチュエイションはいろいろだが、<私>の主観によって空間が独特な仕方でねじれていく様子が面白いものばかり。

いつも私を受けつけなかった
ドアのまえでは が私のかわりに
(両腕いっぱい)
泣いているのがみえるあの日の私とおなじに
(白い花を咲かせる)
あの日からずっとそうしてうずくまっている
(私の傷痕からはこんなに花が咲き乱れる)
「あかるい真昼に電車に乗って」より

主人公にとって悔いを残すことになったらしい「あの日」という過去に向かって遡行したい気持ちを比喩化した作品。その相手の名前はこだわりの強さの余りか、空白のままになっている。過去と対面する緊張感は、傷だらけの両腕から白い花を咲かせるという、強烈なイメージで表わされる。この詩を読むとありふれた言い方の「心に負った傷」というものが、急に凄まじい生々しさを伴って実感されてくる。

映画のラストのスクリーン全体を覆いつくすクローズ・アップで、
映しだされた彼のめには涙が浮かんでいる。
なぜ泣いているのか私はスクリーンに向かって訊こうとした。
<なぜなら、これは
不可解なラストだから>
と、彼がいう。
<これでいいんだ
ここはこの映画でいちばん
良くできているところだから>
「映画の中」より

自分の心にこだわりすぎる余り、観ている映画の中の登場人物を映画のストーリーから切り離して、勝手に会話の相手に仕立ててしまう強引さ。「彼」 はドラマを放り出し、手をにぎるため腕をのばしてくれようとさえする。

お湯をわかそうと
コンロをひねると
ポン、と炎のかたちに花が咲く
ぽっかりと白い
浜辺に咲くような花
はまゆう とか いっただろうか
「海水の届く部屋」より

熱で会社を休んだ日のことを描いた詩だが、対象を自分へ引きつけるこの手並みときたらどうだろう。念の強さが、一瞬にして歩きたかった浜辺を部屋の中に出現させてしまう。その描写の細やかで的確なことといったら! 話者は想像力の一ひねりで湯気を浜辺の花に見立て、このあと波の音を聞きながらコーヒーを飲むという贅沢をたっぷり楽しむのだ。

奥野雅子の詩は、個が絶えず競争に晒され、神経をすり減らすことを余儀なくされる現代の社会における「処世術」として成立しているように思える。大小の欲望を多様なイメージを駆使して物語化することで、比較の対象とし て扱われることのない、絶対的に親密な場所を読者との間で確保しようとし たのではないか。「わがまま」を実現し尽くした物語を作り他人に手渡すこと−それによって奥野雅子は「競争」という世間にはびこる物語に密かな反抗の意志を表明しているように思えてならないのである。

次回は川本真知子詩集「勾配のきつい坂」をご紹介します。お楽しみに!

文責:忘れっぽい天使


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