| 第4回 「世田谷美術館」という場所
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1999.08.15.
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先日、世田谷美術館に行って「パサージュ:フランスの新しい美術」展(7/ 17〜9/19)を観てきた。
この美術館、大きくて静かな砧公園の中にある。都会の喧騒を逃れたくつろい だ気分で美術品の鑑賞ができるのだ。このことはちょっとした美点だと思う。
上野の美術館だとこうはいかない。公園に人が溢れかえっていてせかせかと落 ち着かない気持ちを館内にまで引きずってしまう。世田谷の場合は住宅街の真
ん中にあるだけに、近隣の人がくつろぎに来るだけ。人口密度が低いのである 。駅から少々歩くけれど、それも一つの楽しみにさせてしまうような地域に密
着した暖かさが感じられる。公園内は芝生が敷き詰められていて清潔感があり 、ぼくはここへ来る時は必ず愛用の楽器(トランペット)を携えて練習の時間
を取るようにしている(豊かな残響があっていい気分に浸れるのだが迷惑がっ ている人もいるかなあ)。建物は趣味の良いモダンなもの。中の図書室にはた
くさんの蔵書が収納されており、また市民に開放されたギャラリーもある。そ れと、ぼくは利用したことはないけれど高級フランス料理のレストランがあり
、デート・スポットとしても人気があるようである(完全予約制。テーブルの 上のキャンドルが美しい)。
美術の鑑賞講座やコンサート、映画の上映なども催されていて(子供たちの 芸術教育にも熱心)、文化の発信地としての自覚も充分だ。
まあ、こうした外側の面もすばらしいけれど、実も伴っている。「これを伝え たい」とする主催者側の情熱が伝わってくるユニークな企画がめじろおしだ。
過去に行われた企画で印象に残ったものは、精神障害者を始めとする社会のア ウトサイダーたちの表現物を集めた「パラレル・ヴィジョン」展。常識はずれ
型破りな作品を丁寧に分類し、既成の「美術史」の外にもアートが存在する事 実を力強くアピールしていた、と思う。
さて、そして今回の「パサージュ:フランスの新しい美術」展である。「パサ ージュ」とは「屋根のある商店街」のことで、ドイツの批評家ベンヤミンが「
異なったコンテクストを相互につなぐ小径」として比喩的に使った批評用語、 だそうだ。何だかわかったようなわからないような現代美術展特有のもやもや
した気分にさせられるテーマ。入るとすぐに、雑多な日用品を集めて作品に仕 立てたものや、落書きを「効果的」に使用した小屋の造りをした作品などに出
くわす。これは現代美術の展覧会なのだ、ということを鑑賞者に瞬時に了解さ せる見事な導入と言える。次の間に入ると、水を張った通路が展示されていて
、靴を脱いで裸足で渡るようにとの指示がある。猛暑の折りであり、水は冷や っこくて気持ちが良かったが、これを体験することによりどう精神を変革すれ
ばいいのかわからない。係員の人もしらんぷりだ。作者が待機して通りがかっ た人全てに説明すべきではないかな、と思った。そして動物の剥製を利用した
大掛かりなオブジェがある。ここまで来ると、「フランス」と銘打ってはいて も、白色人種だけでない、アジア人やアフリカ人を含めた(パリを中心とした
)共生空間のことを、異文化交流の場=パサージュとして意識づけようと試み たものだということが理解されてくる。
2階に昇るとこのことはますますはっきりする。他人に自分のベッドに一晩寝 てもらい、その人の写真を撮らせてもらうとともにインタビューを試みるとい
う、関係性そのものを表現軸に切り替えていく作品(写真もインタビューも平 凡なので、作者が対象となった人を連れてきて、鑑賞者と一緒に話でもさせて
くれなきゃ中身がわからないな)。イスラム女性が着る伝統的な重たい衣装を 他文化の女性に着せて、「ファッション・ショー」を試みた際の様子を収めた
ビデオの上映(イスラム女性が負わされる伝統の束縛と誇りを非イスラム文化 圏のあなたはどう思うか、という意図であろう。参加した女性の写真と感想が
パネルにされている。刺激的な試みだが、何で男は参加していないんだ!)。 などなど。なるほど交通空間、なるほど「パサージュ」ね、とテレビの一口英
会話を見終わった時と似た気分で会場を後にする。
帰りに売店に寄って分厚いカタログを購入。これでたった2400円。良心的 な値段であることこの上ない。早速開けてみると作家ごとに分冊になっている
。これを読むと、彼らは「美術館」を飛び出して、ストリート=パサージュで の芸術活動を通じて道行く人と関係を持とうと悪戦苦闘する個性豊かな若者た
ちであることが知られる。彼らの活動は、ストリート=パサージュから切り離 されて美術館に「展示」されてしまった時、その意義を決定的に失う。現地の
熱いパサージュから切り離された個々の表現物はよく冷房の効いた日本の白い 建物の中でただの「現代美術」に変質してしまう。
カタログの分冊の内一冊は主催者による概説になっているが、この難解さは何 だろう? 「パサージュ」展に出品した若者たちには恐らく理解不能な用語で埋
め尽くされたこの概説は、製作者たちの生活からかけ離れた、主催者の頭の中 にしか存在しないものであるような気がする。
世田谷美術館の落とし穴はここにある。主催者の啓蒙的な意志が強すぎて表 現が生まれる個々の条件を圧殺し、全てを「企画意図」の下に押し込めてしま
うところがあるのだ。良心的であればあるほど対象を抑圧していしまう、帝国 主義の産物としての「美術館」のジレンマ。このジレンマの悲しみを乗り越え
てこの美術館が次にどこへ向かうのか、興味津津たるところである。
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