|
「アンビエント・ミュージック」という奇妙なジャンルの音楽が出現して 何年になるだろう。ハウスやテクノといった他の電子音楽系のジャンルが
それなりに鮮明な枠というものを形成し始めているのに対し、「アンビエン ト・ミュージック」といったら発生当初からまさに何でもかんでもambi
ent(取り囲んだ)まま、いまだ一定の方向性を決定しようとしない。 ダンス音楽じゃないからクラブでかかることもないし、聞き流そうとする
にはヘンに音作りに主張がありすぎ、BGMの代わりにもならない。意外 と非実用的なのだ。ではクラシックやジャズのように気を張り詰めて聴く芸
術音楽なのかと言うと、もちろん違う。表現者の意図に即して初めから終わ りまで聞き通さなければ「曲」を理解したことにならない、なんて義務めい
た押し付けがましさは何もない。どこで聴き始めてどこで聞き止めてもよ い、そんなふうにわざと「緩く」構成されている。
大体、この音楽は形式面で他の音楽と明らかに異なる独自な特徴を備え ている訳ではない。悪く言えばいろんな音楽のオイシイとこ取り、なのだ。
では、どこが独自か? それはただ一つ、音楽の流通の仕方、つまり聞 き手との関係。表現者の個室から聞き手の個室へ、孤独に受け渡され、ひっ
そりと消費される、その過程。豪華なコンサート・ホールも、粋なライヴハ ウスも、尖がったクラブも、必要ない。ストリートもいらない。貧しく雑然
とした部屋(ぼくやあなたがいるような)が唯一のステージだ。大抵の場合 この音楽は独りで聴かれ、家族や恋人でさえその場に居合わせることは少
ない。途中で電話がかかってきたら、またトイレに行きたくなったら、この 音楽は無造作に動きを止められる。個室の主人の日常生活上の都合が何よ
りも優先される。簡単に止められ、またトラックを変えられる。
この音楽に熱狂的なファンなどは存在しない。作り手が死んで追悼集会 が開かれる、なんてことは未来永劫この音楽に関してはあり得ないだろう。
作り手の人格は音の趣味性 の中に完全に溶解してしまっていて、更にそ の上聞き手を縛るようなメッセージ性を発することなどない。個々の音の断
片から作り手の人格を再構成することは難しい。 この音楽は根本的に「引 用・転用」の音楽であり、たとえオリジナルに制作される部分があってもな
お「引用」の匂いを残すのが常だ。重要なのは作り手の音の体験が抽象的な レベルで聞き手の生活を侵食できるかどうかということ。だから音素材とし
てはキッチュなまでに「類型的なもの」がまず選択される。音楽の達成度は この「類型的なもの」を、聞き手の生活の深層を支配できるまでに独自に変
形させ、元の意味とまるで違った意味を発生させられるかどうかにかかって いる。
聞き手が、何の気もなしに聞いていたこの音楽に依存するようになればし めたものだ。聞き手は作り手が純化させた音の趣味性をもとに、自分自身の
人格を再構成するようになる。この音楽が、彼(または彼女)の精神生活の 見えない基盤として機能する。作り手の音の体験が、聞き手たちの中で増殖
し、作り手の個人性が聞き手たちの中で気がつかれないままに生き延びてい く。中心に「うた」=明確なメッセージを持たないこの極度に非政治的な音
楽は、音の意識下に特定の、狭い意味での個的体験を忍ばせ、それをどこへ でもどこまででも流通させ聞いた人々の意識を微妙に変革させてしまうとい
う点において危険な音楽であるだろう。
「僕がやってる実験性なんて、ストックハウゼン・レベルまでさかのぼって 何十年前からされてる実験の中で繰り返してるに過ぎないんですよね。重要
なのは、繰り返してるポジションていうのが、僕等は実験音楽としてやって ない、あくまでポピュラー・ミュージックの底辺でそれをやってるっていう
ところに唯一の価値と進歩があると思うんです」(半野喜弘)
この音楽において、「大衆」は表現者が行った意義ある「実験」を無条件に 受け入れる対象としては捉えられていない。「実験」は「大衆」自らがその
胎内で増殖させる過程においてじっくりその意義を発揮していくものであり 「大衆」は音楽の成立にとってなくてはならない、ほとんど作り手にとって
の「表現手段」として位置づけられる。聞き手は、言わば楽器なのだ。
清涼飲料水のようにこの音楽を摂取しているうちに、聞き手の日常の意識 は音楽が先導するある方向性に沿うようにいつのまにか作り変えられていっ
てしまう。その時、初めて音楽は曖昧に完結するに至るのだ(ろう)。
ぼくはこの文章を、半野喜弘及び竹中和延という二人のアーティストの作品 を聞きながら書いている。彼らの音楽が幼児性、というかむしろ人間以前の
胎児性を感じさせるのはごく当たり前のことだ。単独では自立できず(クラ シックと違って)仲間と連帯を組むこともできない(ジャズやロックと違っ
て)。それは知らない誰かによって「孕まれること」だけを執拗に求め、待 ち続ける音楽なのだから。
thanks to ―
半野喜弘(Multiphonic Ensemble)
Portrait of a Poet
(Flavour TFCC−87586)
King of May
(p+c sub rosa SR128)
Cirque
(Flavour TFCC−87618)
竹村和延
Child and Magic
(Werner Music Japan WPC6 8399)
Child’s View
(Toys Factory Records TFCC−88312)
夜の遊園地
(Childisc Recordings CHCD−006)
|