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第8回 音たちの生活−近藤譲の音楽
1999.12.15.

音楽に聞き入っている時程、我々が「音」そのものを聞いていない時はな い、のではないだろうか。

作曲家が精魂込めて書きつける旋律、それは大抵の場合、作曲家の「魂 の叫び」であり、作曲家と彼(または彼女)を取り巻く自然とか社会とかと の関係を比喩的に「表現」したもの、であることが多いだろう。音と人間と の長い関わりの歴史によって、「音」は社会機能性の中に組み込まれ「音楽」 になった。一定の共同体内において、ある音の形式は共同体の成員のある情 動と結びつく、とされる。「音楽」は人と人を結ぶ絆だ。近代に入ると、個 人を核とした複雑な社会的関係を音によって暗示するような音楽が作られる ようになり、それはどうかすると「反」社会性までも表現するようになって いった(ロックンロールのように)。あるいは科学の発達と歩を合わせるよ うに音と音との抽象的な関係の複雑さを競うかのような音楽が現れ、「音楽 大学」という準・国家権力に保護されながら人間の知性の「先端」を指し示 す機能を社会の中で持つようになっていった(現代音楽という奴だ)。

その傾向が極点に来た時、「音」が「表現」する諸々の関係を読み解く よりも、「音」自体の固有な存在性を聞き取りたいと考える作曲家が現れた。

近藤譲の音楽は、注意していないと外見上は「ただのゲンダイ音楽」−それ もかなり地味なもの−に聞こえてしまうかもしれない。電子音・民族楽器等 を使うことは少ないし、特殊奏法を指定することも余りない。舞台演出に凝 ることもなく文学的な要素を持ちこむこともない。たいがいの曲は五線譜で きちんと書かれ、人を驚かすようなグラフィックな譜面を採用することもな い。「不確定性」と呼ばれるような前衛的?な手法を使うこともない。調性 と無調性の間を行ったり来たりするような旋律線と、バロックの舞曲を思わ せるリズムの取り方がやや特徴的かな、と思わせるくらい。劇的な展開など 何もない。

しかし、こうした貧しさこそが、近藤譲の音楽が出発するための条件な のである。音楽を作曲家の自己表現の手段とすることを避け、空間に放たれ た「音」に自らの生命自体を楽しむ場を与えるために、彼は「曲」を音楽の 後方へ退けさせる。例えば初期の「スタンディング」という作品は、3種の 異なる楽器(楽器の指定は特にない)がたった一本の旋律線を少しずつ分け 合いながら演奏することで進んでいくという構造を取っている。充実したア ンサンブルを響かせることを拒否し、3種の楽器が故意に非効率的に鳴るよ うになっているわけだ(線の音楽、と近藤は呼んでいる)。そしてその旋律線 は「核音の発生し易い、そして同時にいくつもの核音の移ろいを感じ得る状 態」に設定された音階によって作られ、人は「ランダムな音の列なりの内に 核音を追う聴覚的旅」に出ることになる。

「私はグルーピングを聴き出すことが可能であるように、しかし特定の グルーピングの安定した確立を妨げるように音を決定したのであって、「連 接」様態のすべてを確定したわけではない」「ここでの聴き手は単なる受け 手ではなく、自ら「聴く」行為によって音の列なりを音楽化しなければなら ない」

近藤譲にとって作曲家の仕事とは、作曲家の存在を誇示する過度の構造を取 り払い、音と聴き手を直接向き合わせること、であろう。それは少し踏み込 んで解釈すると、音たちが独自に営む音たちだけの生活を覗く契機を聴き手 に与えるということではないだろうか。普通の音楽では、それがどんなにユ ニークに聴こえようと、音は人間の意図の奴隷のようなものである。しかし、 近藤は音を人間の意図という檻から解放し、音に音だけの社会生活・家庭生 活を営ませることを良しとし、聞き手にはその様子を息を飲んで見守ること だけを命じたのだ。音はもちろん人ではないから彼らの喋っている言葉の意 味はわからない。しかしそこには(我々人間には知らない種類の)音独自の 感情原理というものが明らかに存在するように、聴き入るうちに錯覚されて くる。人間が作り人間が演奏し人間が聴く、だが人間を締め出した音の世界。 音というものを、人間に従属しない、自立した生命体のように考えているの でなければ、このような音楽の設定は無理なような気がするのである。

その結果、近藤譲の音楽は、どこか童話的であり人形愛的なものとなる、 と結論づけてしまうのは少し早計だろうか。社会システムの細分化により、 個人が生活の中で万能感を感じることができにくくなった時代の身の処し方 (自己の不完全性を認識させられ、かつ「神」という超越者を拠り所にでき なくなった人間が、フェティシズムに救いを求める)を表わすように思える のである。
* 引用は全て名著「線の音楽」(朝日出版社、絶版)より行いました
*近藤氏の作品集のCDはコジマ録音より発売されています

文責:忘れっぽい天使


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