| 第9回 お客様を待つのはやめにしよう |
2000.01.15.
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今回は「芸術」の話はお休みにして、書店の在り方についての考えを語っ てみようと思います。ぼくも書店員の端くれであることですし、ね…。
大書店乱立の時代。いかに大店法が緩和されたとは言え、この不況下にこ れ程の数の大型書店が生まれようとは…。しかも書店同士の生き残りを賭け
た熾烈な戦いが、それぞれの書店の個性の競い合いではなく、「大衆のニー ズ」を代表するとされる限られた範囲の傾向を持つ商品の奪い合いに終始す
る結果になるとは…。各書店の店頭に並ぶ商品の均質化は恐ろしい程進んで しまい、一握りのベストセラー本の確保と、売れる時期が去った後の大量返
品が仕入部の主な仕事となり果てている。新刊の寿命は短くなり3年棚に残 ればいいほうである。相変わらず無愛想な接客−人件費抑制のため社員数が
激減し、時給の安さのためにベテランアルバイトが居着かなくなった−は客 離れに一層拍車をかけている。店員の知識不足は決定的だ。特に人文書売り
場。納品している店員に一言声をかけ、基本図書の在り処について質問をし てみるといい。その店員の担当外の分野の人文書については初歩的な知識も
持ち合わせていないことがすぐにわかる。
この点で、書店はHMVやタワーレコードなどの大手のCDショップに大 きく水をあけられている。CD屋さんでは社員もアルバイトも、「好きでや
っている」人が多い。マイナーなジャンル、例えば民族音楽とか現代音楽の 場合でも、これぞというものには内容を細かく説明した手書きのPOPがつ
けられており、いじわるな質問をしても(ごめんなさい!)熱心に調べてく れる。それも国内盤だけでなく輸入盤もである。書店の場合だと、大抵の所
は洋書と和書が完全に分けられてしまっており、互いの交通は無きに等しい 。
更に大手のCDショップの中には自前のフリーペーパーを作って、レジ前な どで配布している所がある。原稿は、依頼の場合もあるけれどかなりの部分
を社内の人間で書いていて、現場で商品に触れている人ならではの鋭い指摘 にハッとさせられることも多い。書店の絶対数に比べ、(ヴィレッジ・ヴァ
ンガードのような例外はあるにせよ)「本が好きでしょーがない」という気 持ちを全面に打ち出した本屋の少なさには愕然とさせられるしかない。ハイ
テクの賜物であるCDに比べ、ローテクである書籍の分の悪さはいかんとも しがたい。投入される資本の差は即人材の質の差となってハッキリ現れる。
だいたい、「百貨店」などというものは19世紀の産物ではないか。商品の 大量生産が可能になった時代に、それに見合う大量消費を実現させる場とし
て百貨店という存在がいかに新鮮な魅力を放ったかは想像に難くない。そこ には個々の商品の集合以上のもの、「豊かな生活」という概念そのものが売
られているかのような幻想を起こさせるものがあったのだろう。20世紀に なりマス・メディアの発達はその幻想を更に加速させていった。
しかし、20世紀も末になると気分は変っていく。物も物を売る場も溢れて いる。生きるために必要なものはひと通り揃ってしまっている。日用品を揃
えるために血眼になる時代は終わってしまったのだ。自分が一体何を欲して いるのか、わざわざ頭をひねらなくてはならなくなった。そしてどうしても
必要な物があるならインターネットで注文して取り寄せればいい。わざわざ 交通費をかけて書店に足を運ぶことなどないのだ。扱う商品の質の見極めで
はなく、純粋に流通上の工夫を凝らしに凝らしたセブン・イレブンのような 企業が、あるいはマス・メディアの力を極限まで使って店のイメージそのも
のを商品化することに成功したマツモトキヨシのような企業が、小売業とし て例外的に快進撃を続けていくことになる。それは当然のことなのだ。
それでは書店はどうやって生き延びていけばいいのか?
(以下次号)
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