| 第10回 お客様を待つのはやめにしよう
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2000.03.15.
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それでは書店はどうやって生き延びていけばいいのか?−という問いかけ で前回は締めくくらせてもらった。今回は何らかのその答えを出さなければ
ならないわけだが、無論簡単に答えられるものではないので、締切りを前に して困った困ったと頭を抱えるハメに陥っているわけである。
よって、思いつくままにタラタラ「答え」らしきものを書き連ねていって 何とかこの場をしのぐこととする(別にいばるわけじゃないけど)。
まず、すぐ思いつけることは、毎日取次が「パターン配本」とやらで流して くる商品を漫然と並べ、返品することを繰り返しているようでは遅かれ早かれ自滅するだろう、ということ。再版制の撤廃など、怖れることなくむしろ
歓迎し、ストックを抱え込むリスクを背負いつつ、商品についての正しい知 識を基にして適正な仕入れを行うことが第一歩(こんなことは他の業界では
常識なので、書いていて少し恥ずかしい気持ちも起こるが)。自分が扱う商 品が生む利益の予測もできないでお客様にまともなサービスができるわけが
ない。いちいち版元と仕入条件を交渉する。くだんない本は安く買いたたいてやりましょう。筆者としては余りに当たり前すぎなことなのでこの問題に対する深い入りはやめましょう。次。
店頭に置いた商品だけで勝負するのではなく、商品についての情報を売る という所までできるようにする、つまり物を売るスペースとしてでなく、書
店を、読者・著者・出版社のコミュニケーションの場として売り場を捉えて いくことが必要であろう。
多様な視聴覚系情報商品が出回りつつある今、最早書籍は教養・娯楽の中 心にはない。刺激度やスピードの面で、他のメディアに取って替わられるべ
き所が多いだろう。しかし、人が人である以上言語を中心にしたコミュニケ ーションが廃れることはないはずだ。それどころかインターネットの普及に
よって、言葉による個人の自己表現への欲求は非常に大きくなっていると言えるのではないだろうか。
マス・メディアがこれまで独占してきた所の表現・言説の流通は、商業主 義とアカデミズムを二本の柱としてきたように思われる。これらは互いを補
足し合う仕方で以って「出版文化」なるものを形成し、それなりの水準も保 ってきたし成果も挙げてきた。派手な宣伝広告は、そもそも本に縁のなさそ
うな人までも本屋に誘う力を持ったし、アカデミズムは、ともすると低俗に 陥りがちな言説の質をひきしめる力を持ったと言える。しかしながらそれら
はどちらも「一対多」の流通しか許さないものだ。だから悪いというのでは ない。問題は、そこから零れ落ちるものがあるのもまた事実なのに、「出版
文化」が言説を完全独占するような形態だと、「出版文化」外の言論は全く 存在しないのも同然ということになってしまうことだ。ミニコミがマス・メ
ディアとの間にある緊張感を持って存在できた時代ならいざ知らず、現在の ように資本が流通に圧倒的な力を奮うシステムが確立してしまうと、受け手
は単なる受け手以上のものにはなれなくなってしまう。インターネットの普 及はハードの発達のせいではなく、満たされない個々人の表現欲の噴出のせ
いであろう。受け手であることに甘んじ続けることは最早限界なのだ。
但し、野放しの自由放任状態は単なる言論のカラオケ状態を呼び起こすに 過ぎない。表現欲を抱えた個人は誰一人応答することのないインターネット
の荒れ地で、ますます孤独になり野垂れ死にするしかなくなってしまうだろ う。自前のメディアが気軽に作れるようになったのが悪いということではな
い(もちろんその逆だ)。そうした小さな言説の群れに対し、安定して応答 する存在が必要ではないかということである。
書店がこうした不安な「送り手」たちの拠り所となることはできないのだ ろうか。書籍というハードを媒介にし、考えを交換したい人たちのコミュニ
ケーションの場を「売る」という形態を創出することはできないのだろうか。 ある一定のスペースを使用料を払って貰って、言説の発表のために貸し出す
などということ。書店員が美術館のキュレーターのような企画を立て、著者 と読者を直接向きあわせる工夫を凝らせないかということ…。売場内にイン
ターネット・カフェを設け、本を手に取りながらその著者と交信するなんて いうのもいいかもしれない。本が扱う情報は森羅万象を捉える。本が扱う情報を中心とした売場作りというものも考えられる。必要に応じ、売場を画廊
にしたりライブハウスにしたりレストラン(?)にしたりするのだ。
そうしたことを可能にさせる萌芽は少しずつ芽生えてきているように見える。青山ブックセンター本店は定期的に識者を招いて講演会を開いているし、
丸善日本橋店はジャズの生演奏を聞かせる時間を設けているようだ。店内にテーブルと椅子を置く店も増え始めたし、三省堂書店の東京大丸店では店内
に喫茶店を入れ、本の持ち込みを許している。児童書売場が子供の遊び場を兼任している書店はもう珍しくない。
自覚的にせよ無自覚にせよ、売場をただ広げることに急であった80年代 とは逆行した動きがそこここで見られるのは決して偶然ではないと思う。単
なる物流ではもう、real書店はnet書店やコンビニにかなわないのだ。わざ わざ一定の場所に足を運ぶ価値を(でっちあげてでも)作らなければ書店に
生きる道はない。それは、売る気満々の売場作りとは違うベクトル、つまり 生身の人間同士が交流し合う、ある緩みを持った「フリー・スペース」性を
呼び込むというベクトルに根差している。その未知の領域の開拓が今後の書 店の死活を握る、筆者にはそう思えてならないのだ。
まあ夢物語はこの位にしておこう。少なくともこれだけは言える。書店員 は売り場でお客様の来られるのをただ待っていてはだめだということだ。
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