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第14回 ポストモダンの次なる段階−奥浩哉の漫画作品
2000.07.15.

漫画について書くのはこれで2回目だが、今後もっともっと書いていきたい気持ちだ。なぜなら、漫画は表現者の先進的な表現意識が多少なりとも商業的に受け入れられる余地を持った、極めて数少ないジャンルだから。詩にしても個人映画にしても、仲間内で話題になった作品の評判が一般の 人の耳に届く確率は低い(というより皆無に等しい)。漫画の場合、宮西計三やつげ義春のような過激な芸術#hの作品でも、店頭で一定の売上をあげてくれる。読者の裾野の広いジャンルというのは、異端派の生存も許してくれるものなのである。そして本当に面白いものは常に、少数の「異端」派の中にしかないのだ。

さて、今回取り上げるのは「01(ゼロワン)」(集英社 現在B巻まで)を進行中の奥浩哉。
以前「変HEN」というシリーズを同じ集英社から出し、かなりの人気を 得た(ドラマ化もされたらしい)。その中心となる話は、高校生の男の子同士&女の子同士の恋愛(?)コメディだ。この一連の作品を読んで驚愕した。お話自体は、よくできてはいるが割と正統的なコメディだ。が、絵の描き方が 実に特異なのである。少女マンガのような柔らかい優美な線を基調とした 登場人物を、写真のように正確で無機的な背景が取り囲む。どんなに熱いドラマが繰り広げられていても、背景はそれとは無関係にひたすら冷たく屹立する。その遊離感、その不気味さ。

ぼくは伝統的な少年マンガと少女マンガを、背景の描き方の違いによって見分けることができるのではないかと思っている。少年マンガの背景はリアリズムで描かれる。これは、登場人物が背負っているものが「社会」や「世間」であり、不動の客体物たる「社会」との対立や協調がドラマを形 成することを示すために背景はリアリズムで描かれてきたと考えられる。一方少女マンガの背景は非リアリズムで描かれる。これは、登場人物が背負っているものが少女自身の極めて主観的な内面世界であり、内面を比喩化する記号として背景が扱われた(時には意味のない花や唐草模様 が背景の代りとなる)ためと考えられる。
「変」はそのどちらでもなく、ほとんどスーパーリアリズムの技法で背景が描かれていく。ドラマを中心に考えると、不必要と思われる部分にまで可能な限り細かく書きこみがなされ、遠近法がどぎついくらいに厳格に導入されている。これは作者が、漫画というものを、互いに別物であるドラマと絵が、たまたま平衡して進行していく形式であると認識しているためと思われる。 その底には、無秩序な生を起承転結の中に押し込める「ドラマ」に対する不信感があるように思える。社会的理想も個人的夢想も、奥にとっては空々しい虚構にしか過ぎないのだろう。生の「単なる断片」が浮かび上がればそ れでよいのであろう。

「変」シリーズは、作品によって描き方がかなりまちまちである。初期の頃は大友克洋の影響を受けたと思しきグロテスクな冷たさを秘めた線画によるものもある(「黒」など)。性的表現を行う時は青年マンガそのものになるし(登場人物の女の子は皆巨乳だ)、ロマンティックなシーンでは憶せず少女マンガチックな表情を使う。「ドラマ」に対して不信感を抱いていると先に書いたが、決してないがしろにしているわけではなく、「ドラマ」が要求する感情表現は実に細かく豊かに描かれる。
但し、それらは断片として、「寄せ集め」の一つとして描かれるのだ。どこかで聞いたような話、どこかで読んだ一節、どこかで見た光景、そうしたものが連続的、時には非連続的にリミックス≠ウれている。様々な漫画作品が、背後で、常に密かに紐解かれ、参照され、読者にはわからない形で閉じられる。漫画史のパレード、つまりポストモダンなのだ。

 「変」シリーズでは都会的でスマートな疑似ホモ&レズのコメディが主体だったが、新作の「01(ゼロワン)」では事情が少々異なる。
時は近未来、主人公の少年石堂音露は売れないプロレスラーの父を持ち、その教育方針(世界一になれる才能を見つけなければならない)によって中学校に進学することを禁じられている。音露は、天才児の転入生、八神との対抗意識もあり、八神が得意とするMBZと呼ばれるバーチャルな格闘ゲー ムに熱中する。その過程で出会った様々な出自の人とチームを組むことにな る(「01」とは、ゲームのキャラクターの名前である)。
この作品では「階級」の問題が追求される。と言っても、決してもっと平等でなければといった積極的な主張をするのではない。奥浩哉は社会派たることを断固拒否する作家なのだ。だからこそ競争社会のひずみを一つの冷たい画像としてクリアに浮かび上がらせることができるのだろう。作品内では、支払い一つにしても、マネーカードを持てる人たちと現金しか使えない人 たちの間に決定的な収入の差があることが示される。またMBZゲームもプ レイヤーは厳密にランクづけされ、勝ち負けには徹底的にこだわらせられる 。バーチャルの格闘技が人気を集める一方、本物のプロレスや空手は廃れ、経済的な敗者となる。

才能や財産の有無が、人間の価値を計る尺度として確立し、顕在化し、誰もそれに異議を唱えることができない。敗者の側にいる音露の父も、この階級性そのものには抵抗することはなく、息子に上の階級の人間になることを望むばかりだ。
この作品は、見かけの楽しさとは裏腹に、ひどく暗い内容である。社会の閉塞感が子どもの顔にも大人の顔にも影を落し、「変」シリーズのある種の甘み≠ニは打って変った苦み≠ェ全体を支配する。

唯一の救いは、石堂音露と友達になる少女仁徳新愛の存在である。売れない空手の道場主を父に持つ新愛は、男の子同士の関係に憧れ、男と偽って音露とバーチャル格闘技に興ずるが、途中少女としての愛情に目覚めて悩むことになる。その純粋さが感動を呼ぶのだが、しかし、ネロとアロア、これはかの「フランダースの犬」に出てくる少年と少女の名前である。「変」シリーズにも出てきたこの童話を作者は偏愛しているらしいが、現実の中に救いはないことを認めるこの童話への言及は何やら意味深である。
諸価値を等価に見るポストモダンの表現も、よりシビアな段階に入ったのだろう。そしてこうした「暗い」作品が異端視されることなく、広く読まれる「ヤングジャンプ」という商業誌に連載されているということは、実に歓迎されるべきことだ。

文責:忘れっぽい天使


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