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第16回 固有の時間に触れる戦慄 −「四谷シモン−人形愛」展
2000.07.15.

新宿の小田急美術館で開催された「四谷シモン−人形愛」展(8/23〜 9/10)を観てきた。
四谷シモンはもちろん著名な人形作家だが、その作品をじっくり鑑賞 したことは今までなかった。こういう「知ってるつもり」というのが実は一 番いけない。「知ってるつもり」になってその作品をすぐに「孤高のエロ ス」だの何だのと片づけてしまいがちになるからだ。今回、人形作品 をゆっくりじっくり見て回ることができて本当に良かった。奇形的なおど ろおどろしさを予想していたが全くそうでなく、すっきりとして、素朴でさ えある「よい人形」であったのだ。

四谷シモンは1944年に生まれ。父はタンゴ楽士、母はダンサー。幼 少より人形作りに目覚めたが、21歳の時ハンス・ベルメールの人形の 写真を見て決定的な衝撃を受けたという。また唐十郎の主催する状況 劇場にも役者として参加し、人気を得た。寺山修司の天井桟敷と乱闘 騒ぎを起こした事件は有名。渋澤龍彦、種村季弘、瀧口修造、金井美 恵子など多くの文化人と交流あり。「四谷シモン 人形愛」(美術出版社) 写真集「NARCISSIME 四谷シモン」(篠山紀信撮影 書肆山田)「シ モンのシモン」(ライブ出版)などの本がある。
なお、「シモン」の名は、好きだったジャズ歌手ニーナ・シモンから取ら れたという。

今回の展覧会は、人間としての四谷シモンに焦点を当てたもので、人 形作品だけでなく、役者時代の写真やポスターも多く展示されている。 状況劇場に参加していた頃の写真は時代の特異性を感じさせられるも のが多く、それはそれで興味深かったのだが、ぼくはもっぱら初めて見る 彼の人形に心を奪われていた。
人形が立っている場所にはそこだけ、ざわざわした展覧会場とは違っ た空気と時間が流れていたのだ。

会場に足を踏み入れた者は誰でも、まず少女の人形の美しさに目を見 張るだろう。何と言ってもその顔、特に目。その目はある動きを、微妙では あるが生き生きした動きを感じさせる。瞼の開き具合、頭の傾け具合、眉 の反り返り具合で、彼女たちは多様な動きの途中に自分たちがあること を語る。彼女たちは決して「お人形さん」のようにおとなしくしているわけで はない。彼女たちは固有の生活の真っ只中にあり、ぼくたちではない誰か にすっと向かい合っている。シモンの人形は、シモンが愛したベルメールの のような、奇異な感覚を一方的にまくしたててくる能弁な人形とは違うのだ。 彼女たちが背負っているものはもっと何でもない各々の日常生活だ。ただ、 その日常生活の目に見えない襞の感触が、目の表情から生々しく感じ取 られ、ぼくたちをゾクッとさせる。文学作品のように物語になっていない分、 彼女たちの日常生活の細部への想像は際限がなくなってくる。絵を見るに は椅子が必要だと言ったのはクレーだが、四谷シモンの人形を本気で鑑賞 しようと思ったら椅子だけでなくベッドも必要だろう。一緒に寝ることも含め、 ともに生活することも考えなければならない。それでも、彼女たちの生活の 中にぼくたちは入れないのだ。その「彼女たちの生活に入れない」ことへの 苛立ちが狂おしい気分を生み、その場を立ち去りがたい思いにさせる。

「シモンのシモン」(ライブ出版)という会場で売っていた本を読むと、四谷 シモンは相当に筆の立つ人だということがわかる。彼の書いた詩作品も収 録されているが、やや時代の制約を感じさせるとはいえ、今でも読むに耐え る展開の面白さを備えている(特に散文体の詩)。またエッセイや対談でも、 自分の考えを理路整然と述べており、創作に関して非常に意識的な作家で あることが窺える(口調は時に上品ではないが)。
彼が作る人形も、ただ存在していれば満足という風には見えない。動作の 途中にふっと時を止められてしまった、つまり語りかけてくる人形なのだ。但 し、語りかけるにしても我々観客に直接まくしたてるのでなく、彼らを包むふっ くらした虚構の時空の中の相手に向かって、相手の言葉にも耳を傾けながら 語りかけているのである。我々観客は、各々の人形に固有な対話の様子を 目で見ることによって想像しなければならない。

シモンの人形はもちろん少女たちばかりでなく、天使や少年、大人の男の ものもある。95年製作の「目前の愛」の天使の人形や96年製作の「キリエ・ エレイソン」のキリストの人形は、深くて長い思索のうねりを表情に湛えてお り、いつまで見ていても見飽きることがない。ほんのちょっとした首の傾げ方、 視線の方向、皺の刻み方で「思索」そのものが現出してしまっている。自己 完結しているのでない、明らかに「相手」がいる思索。何もしてやれることは ないにしても、この厚みのある時間を、傍にいて見守らせてほしい…。

四谷シモンの人形をじっくり見たことは貴重な体験だった。人形一体一体 に固有のドラマがあり時間があり、鑑賞者はそれらを長い時間かけて想像 しなければならない。鑑賞者が自分勝手に作り上げた安易なストーリーは 人形たちによってすぐさま笑われ、否定されてしまうだろう。従って鑑賞者 は想像すると同時に、自分の想像を否定しなければならない。他者の固有 性に触れていくことの快感と緊張感が同時にそこには存在するのである。
鑑賞することが文字通りの「体験」であるようなこの展覧会。四谷シモン氏 には悪いが、人形の存在感の前に、役者シモンの影はすっかり薄くなって しまったように思われたのであった。

文責:忘れっぽい天使


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