| 第7回 『スペシャリストー自覚なき殺戮者』について
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1999.12.15.
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12月4日深夜、ETV深夜館・アンコール特選「ヒトラーと6人の側近た ち」1996年ドイツ製作の番組をご覧になった方は多いと思う。4日は6
回シリーズの第1回「ヨーゼフ・ゲッペルス」第2回「ヘルマン・ゲーリン グ」の連続放送であった。それは第一次大戦からナチの盛衰と狂気を時系列
に「すさまじい見るに耐えない」映像と証言を絡めながら作られている。第 3回以降は12/11「ヘス」「ヒムラー」12/18「デーニッソ」「シュ
ペーア」と続く。
3回以降は未見だが「ゲッペルス」「ゲーリング」を見て思うことは、この 側近たちを特殊化していることである。証言もナレーションも狂気・20世
紀最大の汚点を側近たち個人に還元しよう・したい、そして特殊な歴史とし て封印したいという意図が感じられる。事実ではあるが、あくまで特殊な出
来事で、もう無いと表現しているように思える。いや、している。
ナチス・ドイツ、ホロコーストといえば85年C・ランズマンの映画『ショ アー』を思い出す。映像資料を使わず事件当時から30年以上を経た時点で
、ホロコーストにかかわった生存者38人にインタビュー形式で製作された 9時間半に及ぶ、ドキュメンタリーの常識を超えた作品である。日本でも
10年の紆余曲折を経て95年に公開され話題になった。
ランズマンは本『ショアー』作品社の中で次のように書いている。
「ヨーロッパ・ユダヤ人への絶滅政策は、今日、伝説的・神話的次元の知識 の対象にーつまり、知なるものの対極になってしまっている。伝説に思い出
を対置しても、伝説を打ち破ることはできない。そうではなく、伝説に止め を刺すためには、ただ伝説を、できるならば、想像を超える現在と、伝説の
源泉ともなっている現在を突き合わせる方法しかない。そして、そこへ至る 唯一のやり方とは、まさしく、過去を現在としてよみがえらせ、過去を非時
間的な現代性のなかに復元することである」
そのランズマンに対し『スペシャリストー自覚なき殺戮者ー』のイスラル生 まれのユダヤ人脚本ロニー・ブローマンと脚本・監督・製作エイアル・シヴ
ァンはランズマンの自己解釈に対し「被害者の語りに焦点を置き、大虐殺を <表象不可能な>出来事として、唯一無比の絶対的出来事であるかのように言
うことは、出来事を神話化し、その責任についての具体的で政治的な判断を 麻痺させてしまうことにつながるのではないか。現在、同時代の出来事とし
て起こっている数々の惨禍に対して、感受性を鈍麻させてしまうことになら ないか」という問いを立てた。
この映画『スペシャリストー自覚なき殺戮者ー』はナチス親衛隊中佐で19 41年から1945年にかけて450万とも600万人ともいわれるユダヤ
人・ジプシーの組織的強制移送を指揮した「ユダヤ人問題の専門家=スペシ ャリスト」の被告アドルフ・アイヒマンのエルサレムでの裁判の記録である。
700時間とも500時間ともいわれるショー化された法廷の撮影時間から 残存する350時間をクオリティの関係で70時間に短縮。それをある意図
をもって128分に編集し『スペシャリストー自覚なき殺戮者ー』として製 作、発表した。
主役?アドルフ・アイヒマン。
1906年3月19日ゾーリンゲン生まれ。
1932年SS(ナチス親衛隊)に入隊。1941年SS中佐の地位に昇進。 1943年44年を頂点とする「最終的解決」の<仕事>を経て15年の逃亡
生活に入る。
1960年5月11日南米アルゼンチン、ブエノスアイレスの事務監督官リ カルド(偽名)として働くベンツ自動車工場より帰宅途中、イスラエルの秘
密機関で逮捕され空路イスラエル、イェルサレムに運ばれる。
ホロコースト時、存在しなかった国の法廷で、事件当時には存在しなかった 法律によって、また、ユダヤ人裁判官の前という「政治」が渦巻く中、19
61年4月11日午前8時58分、裁判開始。
1961年12月15日午前9時、死刑宣告を受ける。5月31日恩赦請求 却下。同日、アイヒマンが自分の恩赦請求却下を知ってから2時間足らずの
23時58分絞首刑に処される。「いずれ近いうちに再会しましょう。それ が人間すべての運命ですから・・・」という最後の言葉を残して。屍体は焼
却され、その灰はイスラエルの国土を汚さないようイスラエル領海外の地中 海に撒き散らされた。
映画製作のある意図とは、アメリカのユダヤ系ドイツ人の政治学者ハンナ・ アーレントの著書『イェルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告
』みすず書房に製作者2人がインスパイアされたという伏線がある。この本 は「ザ・ニューヨーカー」誌のために1962年の夏から秋にかけて執筆さ
れ、翌年5月に刊行されたものである。
また、この本は雑誌掲載時からドイツの反ヒトラー抵抗運動の人々、ユダヤ 人、ジャーナリスト等、論争の渦中に巻き込まれた。
批判の論点がそのままこの本の論旨となり、それは二つに大別される。
ひとつは、全てのドイツ人および故意にせよ無意識にせよ、ユダヤ評議会が ナチの道具となり、結果としてユダヤ人指導者たちは、ナチによるユダヤ人
絶滅の手助けをしたこと。
ふたつめは、アイヒマンが結局は平凡な官僚にすぎず、その意味で彼の行為 は悪魔的なものではなく、ごく普通の官僚によって行なわれた行為にすぎな
かったと主張した。
批判に対しアーレントは、数々の質の高い資料と条件法的推断で応じる。ま た、彼女の理論でアイヒマンを切り捨てる。ある人種、ある民族、ある人間
集団の存在を全体とし否定すること、その存在を否定する権利が自分にある と思い上がること、これは<人類に対する罪>というまったく新しい範疇の罪
悪であり、このような犯罪者とは倶に天を戴くことができないと断定し、こ の一点で妥協の余地なく彼に死を宣告しなければならぬのである、とする。
そして、死刑を支持する。
アーレントの指摘するように、映画の中でガラスの檻の中にいるアイヒマン は、ごく平凡な何でもない男にみえる。緊張のためか口が歪み、机の上のホ
コリを吹き払い、マイクの角度を気にする。裁判官、検事の質問を一言も聞 き逃さぬようヘッドフォンに手をやり、こまめにメモをとる。悪魔的そぶり
はまったく感じさせず、知的にさえ見える。
彼アイヒマンの口から発せられる答弁・言葉は、ハッとするほど私たちの現 在に入り込む。
「私は権力もなく命令に従う・・」「私は無関係、権限はない」「命令は遂 行しなければならない」「責任の範囲内で遂行する」「私に分かるのはここ
までです」「私は知らなかった」「個々の責任者が勝手に命令・・」「命令 は服従、私の権限ではない」「管轄外の判断は下せない」「我々は命令があ
るまでじっと待つ」「自分の意志ではなかった」「知りませんでした」「執 行は彼等の義務、命令を遂行したまでです」「何故、私個人が裁かれるのか
」「決定の提案はしてない」「私は勤勉で忠実である」「静かに仕事を遂行 する」「抵抗してもしかたがない」「命令を出した者の責任です」「自分は
この仕事に向いてない」「義務だった。これ以上何も言えない」「私はその 立場に立ったことがない」「職務だけで精一杯」「責められることはない」
「ユダヤ人自身が望んだ」等々・・・。
本『イェルサレムのアイヒマン』にはその他多くの彼の凡庸な発言が記され ている。アーレントが書くように、まったく凡庸な普通の人間、組織の歯車
として働く単なる小役人にすぎない。
法の在り方・・・。裁判の在り方・・・。人は何によって裁かれるのか・・ ・。鏡・外を持たぬ閉じた世界で価値観が逆転する。現実離反とひたすら服
従という無思想、想像力の欠如、そこから生み出される行為、結果としての ・・・。
この映画はささやきから静かにはじまり、声・言葉が折り重なって聞き取れ なくなり、悲鳴、怒声とからみあい、やがて言葉が失われていく模様をオー
プニングで示す。ひとりひとりの声・言葉の重要性を示すように。
そして、ブツンと終わる。アイヒマンのその後については何も表わされては いない。全編モノクロームの映像は法廷ではじまり、法廷で終わる。
『スペシャリストー自覚なき殺戮者ー』と『ショアー』は製作者の<解釈>の 違いによるアプローチの違いで、ナチス・ドイツ、ホロコーストに鋭く切り
込むとともに、私たちの現在で顕在化しつつも容易に手出しのできないもの に触れ、考える機会を与えているように思う。
『スペシャリストー自覚なき殺戮者ー』は2000年2月BOX中野で公開 1999年フランス・ドイツ・ベルギー・オーストリア・イスラエル合作
1999年第49回ベルリン国際映画祭招待作品
関連図書
『イェルサレムのアイヒマンー悪の凡庸さについての報告』
ハンナ・アーレント著、大久保和郎訳 みすず書房
『不服従を讃えて《スペシャリスト》アイヒマンと現代』
ロニー・ブローマン/エイアル・シヴァン著、高橋哲哉・堀潤之訳
産業図書 2000年1月刊行予定
今年の風邪も相当キツイ。皆様ご自愛ください。
vol.16号の「ネット書店」と「リアル書店」の私の懸念に対し、現場 に詳しい方からメールを頂きました。紀伊国屋の「ハイブリッド ウェブ
サービス」は「リアル書店」にとって決してがんじがらめではなく、棚替も 担当者レベルで行なっているとのことです。
また、11月から立ち上げたのは梅田本店と新宿南店で、福岡本店は開店の 5月から実施しているとのことです。ありがとうございました。
紀伊国屋書店ファン、特に紀伊国屋「リアル書店」ファンの皆様、ご安心を。 そしてどこの本屋でもいいから本を買ってください。
それでは、また。
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