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2000.12.20.発行 vol.20 [心臓がバクバクする程 号]
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■■ [書評]のメルマガ 2000.12.20.発行
■■ vol.20
■■ mailmagazine of book reviews [心臓がバクバクする程 号]
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■「暗記しちゃうほど、読み返した本」辻和人
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「吉行理恵詩集」(現代詩文庫・思潮社)780円
ページを開くと「?外?が恐い」というか細い声が聞こえてきそうな気がす
る。そしてその声の切実さに魅入られたようになって、いつまでもいつまでも
視線をページに釘づけにさせてしまう・・・。
吉行理恵の詩を読むことはわたしにとって、?外?がいかに恐ろしいいもの
であるかを認識することである。では、?外?とは何だろう。
わたしは青い部屋の中です
雨戸に叩きつけるのは雨の音でなく
気の狂れたばあさんのわめき
<むすこをかえせ むすこをかえせ>と
わたしの壁にぶつかるから
かたく雨戸をしめて
わたしは青い部屋の中です
息子は帰って来ないのでしょうか
かくした女(ひと)は わたしではないのです
何故なら青い部屋はひとりしかはいれないから
ここはどこまでも青く
柩もなければ 隠亡もみあたらないのです
「青い部屋」より
この有名な作品において、?外?は何もかもなくした?老い?であると、と
りあえずは言うことができるかもしれない。「青い部屋 」は「青春」の比喩と
いうことになり、老いさらばえる恐怖をうたった詩であるとひとまず言うこと
ができる。しかし、事はそう単純ではない。だいたい青春期を必死で立て篭も
るべき個室になぞえる感覚が尋常でない。「わたし」は「気のふれたばあさん」
の中に、未来というより現在の自分の姿を既に見出してしまっているのではな
いだろうか。世間並みの人として必要な資質を欠いたまま人生の出発点に立つ
恐怖のようなものが感じ取れ、戦慄してしまう。「青い部屋」はぶち破られる
ことを前提とした比喩として書きつけられたのだ。
第一詩集「青い部屋」を 出した時、作者はまだ二十代前半だった。
ふいに 切符の買い方が
わからなくなってしまったから
薄暗い改札口に
私はしゃがんでしまいました
「改札口で」より
この詩では、自明な日常性そのものが?外?として捉えられてしまっている。
友人の名をうっかり忘れてしまう位のことはあっても、「切符の買い方」とい
った生活習慣を忘れることができるのだろうか。この前の行で「私」は、「ど
こまでも空は 澄んでて/豆の花の咲き乱れている/子羊のいる場所(ところ)
へ」行こうとしていることが示される。それも「黄色い服」を着て、「つばの
広い帽子をかぶって」である。そんな現実ばなれした脆いナルシシズムばかり
を溜め込んでしまったがために、世間一般から落ちこぼれた人間になり果てよ
うとしているのか? いや、ちがう。「世間一般」を受け入れることに失敗し
たがために、ナルシシズムという防衛規制を身につけざるを得なくなってしま
ったのではないだろうか。
私は
桜貝をみつけたのです
足音のように
波が寄せてきたら
この桜貝を さらっていくでしょう
渚で
私は
桜貝をみつけたのです
星は
空に出ていないのですから
やがて雨雲が 叫びをあげます
「怖れ」全編
その結果、こんなささいな出来事に異常な執着を示すことになっていくので
ある。この詩の情報量の少なさは一体何なのだろう。この詩全体で空行含めて
十五行しかないのに、ほとんど同じ内容の連が繰り返されている。しかも「私
は」「渚で」「星は」のたった二語でまるまる一行使ってしまっている。これ
はどういうことだろう・・・。
恐らく作者は、最早内心の空虚を相手にする他なくなった人間の切迫した心
情を表現するために、故意に極端に少ない語彙の選択・非効率的な改行を行っ
たのだ。この場合の?外?は、意志のままにならない自然の営みを指すことに
なる。が、その裏にあるのは言うまでもなく、半ば抽象化された世間の営み一
般である。「私」は桜貝の行く末を案ずるしかない所まで追いつめられている。
それも自ら手出しして桜貝を拾うことさえできない程に。能動的な働きを示す
自信を世間における人との交わりの場においてあきらめさせられた「私」が、
それでも残された力を振り絞って生きていこうとする姿が、この詩に表わされ
ていると言えないだろうか。「私」に残されたわずかな力=ものを見聞きする
力が、及ぼす先を、詩行は丹念に追っていく。まるでカメラのように。「星は
/空に出ていないのですから」といった平凡そうな呟きも強い緊張感を持って
記録される。客観的な意味での事象は軽微でも、行為者にとっては生死を分け
る程の一大事なのだ。
この詩には素朴な見かけとは裏腹に、張り詰めた心理を表現するための高度
な技巧と精緻な構成力が存分に示されている。
これらの詩編はいずれも「です・ます」体で書かれ、口調は優しく、柔らか
い。描出されるイメージも、少女趣味といっていいような極めて耽美的なもの
だ。しかし、その奥に潜む心は強い緊張に打ち震えている。言わば、人生の後
退戦を強いられ続けた者が、生きるための唯一の武器として「ナルシスティッ
クな言語美」にすがりついた、という感じなのだ。自分を受け入れることを拒
否する?外?への恐怖感が、攻撃的な外見を廃した?引きこもり?の美に向か
わせたのだと言えるだろう。吉行理恵の詩の耽美的な装いは、想定される?外?
の暴力から身を躱す一瞬の「防御姿勢」だと思うのである。故に吉行理恵の詩
に は、穏やかな光景を描いている時でも、反射的な?動き?が見られる(肉
食動物の存在に怯えながら生活する草食動物のカンのようなものかもしれない)。
様々な事情が重なってコンプレックスを溜め込んでしまい、自分の内面以外
の世界が全てよそよそしい?外?に思えてしまうのだろう。余りの痛々しい様
子に思わず「私」の手を握り締めてやりたくなる−それが吉行理恵の詩の魅力
なのだ。
吉行理恵は1970年に「吉行理恵詩集」を出したあとは余り詩を書かなく
なり、その後小説に転じて芥川賞も取ったが、最近では小説の新作の噂も耳に
しなくなってしまった。とても残念に思うのだが、柔和な表面の裏に多大な緊
張を抱えたこの書き方を続けることは容易ではないだろう。それだけに、既刊
詩集全てに加え、小説・エッセイまでも収めたこの「現代詩文庫」の貴重さは、
何物にも代え難いように思えるのである。
<辻和人 詩人 36歳 読書量年間50冊 文学・思想・コミック
詩集に「クールミント・アニマ」(書肆山田)がある。
現在第2詩集を準備中>
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■「暗記しちゃうほど、読み返した本」辻野純一
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『銭ゲバ』ジョージ秋山 ソフトマジック
僕の友人で、小学校の頃読んだ漫画に影響されてパイロットになったやつが
いる。自衛隊の航空学生を経て今は空を飛ぶ日々とか。
僕はあまり漫画を読む方ではない。なぜかと言うと頭と同じ位目の方が悪く、
漫画を読んでいるとナゼか目がまわってしまうのだ。
まあ、僕は友人の様に漫画の影響で人生の方向を決めたわけではないけれど、
しかし、もしかしたらもっと重要な、人としての生き方の様なものを漫画から
学んだのかもしれない。その漫画が本書である。
今を遡ること約30年前、当時僕はまことに純粋、名前の通りの小学生だった
(と思う)。読む漫画といえば、近所の子の家にあった「のらくろ」。今考え
ると、その「のらくろ」初版本だったような気がする。話が横道にそれたけど
(今後もよくそれます)その頃、父がジョージ秋山の「銭ゲバ」を僕に「あげ
るよ」といってくれたのだった。恐らく父は、この漫画を読むことで、人間、
清く正しく生きなければならないという事を読みとって欲しい、そんなつもり
で僕にくれたのだと思う。しかし、今どきの小学生と違いあのころの小学生は
今思いかえしてみると、なんというかどんくさく、一応東京都内だったけれど
もノンビリしていたと思う。そんな中でも特にノンビリ、ボケーッとしていた
僕に、この「銭ゲバ」はまことに衝撃的だった。なにしろ、金こそが正義、金
のためなら殺人もOKという内容だったからだ。
主人公 蒲郡風太郎はそのみにくい風貌と赤貧洗うがごとしとも言うべき生
活の中で教師にまでもイジメられる。
そんな中、最愛のカアチャンが金が無い為ろくに医者に見てもらえず死んで
ゆく。
「カアチャンが死んだのは金がなかったからだ」、このことは風太郎の心の
奥に暗い影を落とす。金、金、金こそがすべて。金のためなら容赦なく人を殺
すといったストーリは当時の僕にはあまりにもハードで、たしか夢に見てウナ
サレたことを思い出す。
それでも、こわいもの見たさに何度も読んだっけ。今でもそのクセは直らな
いのだが、僕はWCで本を読むクセがあって、その日のWCで「銭ゲバ」をオ
ッカナビックリ読んでいたところ、目がまわりだしてフッと手の力が抜け父か
らもらった「銭ゲバ」を暗い暗い穴の中に落としてしまったのだった。そのこ
ろはけっこう穴式のWCがまだ多く、後日穴の中のものをくみとりに来たオジ
サンに母がオコラレていたっけか。きっとホースの先の方に我が「銭ゲバ」が
つまったのかもね。オジサン、ごめん。
それきり「銭ゲバ」を読むことはなかったけれども、最近仕事で某書店に行
った時に本書が積んであるのを見て、けっしてオーバーではなく「心臓がバク
バクする程」びっくりした。
なんというか、子供のころ目撃した人殺しの、つかまっていない犯人に会っ
た様な。(もちろん、そんな光景目撃したことないです)
ドキドキしながら買って帰り、30年ぶりに「銭ゲバ」を読んだが、おまえ
のこと30年忘れなかったぞ、と言われている様な気がしてその日は寝つきが
悪かった。(僕って今でも純粋なのね)
あのころと違い、今のこと時代、10代の殺人が日常的にニュースで流れる
今日、「銭ゲバ」を読んで夢でうなされる小学生はいなかもしれない。
語弊があるかもしれないが、動機が自分でもよくわからずに人を傷つけ、命
を奪うことを平気でやってのける最近の若者よりも、「銭ゲバ」、蒲郡風太郎
の方がある意味で純粋なのかも知れぬ。
久し振りに再会した「銭ゲバ」は、これからも僕の人生の「反面教師」とな
ってゆくだろう。幸いにも今はWCも水洗で、しかも洋式だから突然の別れも
やってこないだろうし。
<辻野純一 出版社勤務 年間読書量60冊 好きなジャンル いろいろ>
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■あとがき
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>年末ですねー。
>はあはあ。もう来年は21世紀なんですね。
>実は、年明けまでに600頁で2段組みの原稿を校正しなきいけなくなっち
ゃったんですよ。
>おやまあ。
>もう僕にはクリスマスと正月はおろか、21世紀もありません(笑)。ぐれ
てやるー。
>まあまあ(笑)。でも、最近は年末年始営業のお店とかも多いし、従業員の
方は大変ですね。
>確かにねー。便利さは在り難いけど、その分苦労する人がいるんだよねー。
世紀の変わり目くらいはみんなでいっせいに休めばいいのにね・・
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