2001.2.10.発行 vol.25  [もう一人のゲド 号]

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■■ [書評]のメルマガ                           2001.2.10.発行  
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■■     mailmagazine of book reviews     [もう一人のゲド 号] 
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■お知らせ
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■今号より、書評の本をお買い上げ頂けるようになりました。
当[書評]のメルマガは、株式会社ガネッサ(まぐまぐを創始された深水さん
が代表)と提携、こちらで紹介された本をお買い上げ頂けるようになりまし
た。どうぞご利用くださいませ。
今回は、思潮社さまのご好意により、品切れ本である『パウル・ツェラン詩
集』を先着五名さま完全限定でお買い上げ頂けるようになっております。ど
うぞお見逃しなく。思潮社さまには、深く御礼申し上げます。

■これからのラインアップです
今月より、リニューアルの当メルマガ、以下のようになります。
10日号)
さまざまな切り口による特集。4月より強力な助っ人を得て、今までとは違
う切り口で本の楽しさを感じていただけるようになる、さらにパワーアップ
いたします。

20日号)
小林圭司(出版社員)
畠中理恵子(書店店長)
キウ(偶数月担当)朝日山(奇数月担当)

月末号)
石飛徳樹(新聞記者)
ミラクル福田(編集者)
守屋淳(隠居)
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■「私、この本で徹夜しました」
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『ゲド戦記』アーシュラ・ル=グウィン 岩波書店 1600円+税

大学生の頃、退屈な講義中によく筆談をしていた友人から、『ゲド戦記』とい
う面白い本があると聞かされました。たいていは小中学生の頃に読んでおくも
のらしいですが、私は読んだことがありませんでした。友人と何について話し
ていたときか、思い出せません。とにかくすぐにでも読みたいと思ったことは
確かです。ほどなく本屋で第1巻目の『影との戦い』(原著1968年、邦訳1976
年)を買い求め、帰宅後に読み始めました。一気に読みました。強い感銘を受
け、しばらくページをめくり返し、張り渡された物語のロープの上を確かめる
ように行きつ戻りつしました。

アメリカのSF作家アーシュラ・ル=グウィン(1929-)の作品を読んだのはそ
の時が初めてです。『ゲド戦記』はアースシーという架空の世界で魔術師のゲ
ドが繰り広げる冒険譚で、全四巻からなります。全体の構成の中では、ゲドだ
けでなく、第2巻目の『こわれた腕輪』や第4巻『帰還』の中心人物である巫
女出身のテナーも大きな存在なのですが、少年ゲドが大人へと、一人前の魔術
師へと成長していく過程を描いた『影との戦い』が、私には一番印象深い「出
会い」でした。このような物語設定を説明すると、まるでかのベストセラー
『ハリー・ポッターの冒険』のようだと想像される方がいらっしゃるかもしれ
ません。魔術師の冒険譚というのは児童文学のジャンルでも太い水脈を有して
いると思います。

児童文学で徹夜?というと大げさに聞こえるかもしれませんが、私はあまり早
く読めるほうではないし、時間を忘れて没頭できる本というのも少ないです。
ところが、つい最近このシリーズをざっと読み返してみたのですが、やはり夜
を明かしてしまい、昼近くにようやく家族に不健康をたしなめられて中断した
ほどでした。片田舎の父子家庭に育った少年ゲドはまじない師である叔母の手
ほどきで、魔術に興味を持ち、才能に恵まれて大魔術師の弟子となり、ほどな
く師のもとを離れて遠く、魔術師たちの長が住む島へ学びに行きます。ちょっ
とした若さゆえの短気と優等生である傲慢が元で、彼は自らの術で闇の世界か
ら「影」を呼び寄せてしまいます。「影」に引き裂かれ瀕死の重傷を負った彼
は改心して、再び魔術を学びなおします。

魔術とはいわゆる「悪魔の仕業」を模倣するものではなく、ル=グウィンの描
く世界では、そのもっとも原初的な意味であるマギア、つまり、自然と人間の
一体感に立った「生きる智恵」のようなものとして捉えられていると思います。
ゲドは一人前の魔術師として学院を巣立った後、「影」から追われることとな
った。幾度か対峙し、そのたびに命からがら逃げ果てます。しかし、故郷の師
の助言で、ゲドはこの「影」から逃げずに立ち向かうことへと転回しました。
魔術師は「ものの真の名」を知ってこそ魔術の効力を発揮できるのですが、ゲ
ドは「名なきものたちの国」から来た「影」の名を知らないし、どんな賢者に
もわかりません。しかし「影」の方は、自分を呼び寄せたゲドの名を知ってい
て、彼と対面したときには相手から魔術の力を奪ってしまえるのです。

ゲドはこの正体不明の敵に慄きつつも、追いかけられることをやめ、逆に追い
かける側へと転じます。すると影はどういう作戦か、今度はゲドから逃げ始め
る……。ここから先の話は書かないでおきます。すぐれた物語には哲学があり
ます。私が『影との戦い』で目の当たりにしたものは、一条のまばゆい光明が、
文明の枠を越え、さまざまなマギアを貫通しつつ、自我へと垂直に降りてくる、
そんな一種の黙示のようなものです。「影」をとうとう追い詰めたゲドが、い
かにそれと向きあったか。私はこの本ともっと早くに、それこそ知人が読んだ
ように、小中学生の頃に読んでいたら、とも思いました。けれど、遅いか早い
かというのはさして問題ない気がします。

近年「自分探し」の本が巷に氾濫したせいか、それらをくだらないものとして
一笑に付す人がいます。なるほどそれは虚偽に満ちた陳腐な妥協へと容易に滑
りやすい。しかし人生において「自分とは何か」を問わずに済ますことなどで
きないことも、また明瞭な事実だろう。自分探しをつまらないものと思ったり、
不必要なものと考える人の本心はどこにあるでしょうか。ル=グウィンの『ゲ
ド戦記』は誰にとっても何かしらの手引きになるものと私は思います。私たち
は誰もが内面では、影との戦いを繰り広げているもう一人のゲドなのではない
でしょうか?
『ゲド戦記』岩波書店
http://www.ganessa.com/goods_dtl.php3?SHOPID=0906200024&GDS_NO=6
(↑こちらをクリックするとこの本を買えるサイトに行きます)

<五月。人文書コーディネーター、[本]のメルマガ編集同人。1968年東京
生まれ。好きなジャンル:哲学・思想>
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■「私、この本で徹夜しました」五月
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『パウル・ツェラン詩集』思潮社 1942円+税
『ドイツ名詩選』岩波文庫 660円+税

パウル・ツェラン(1920-1970)は旧ルーマニアに生まれ、両親を亡くした強制
収容所を生き延び、とある春にパリのセーヌ川へ入水して最後を遂げた、ユダ
ヤ系ドイツ人の詩人です。生涯に六つの詩集と、死後数々の遺稿集を刊行して
いますが、その主要作を読むことのできるのが、思潮社から刊行されている飯
吉光夫氏訳の『パウル・ツェラン詩集』です。それぞれの詩集は、静思社、書
肆山田、ビブロス、青土社、思潮社などから出版され、ほとんどが飯吉氏の翻
訳になるものですけれど、まずはこの一冊をお奨めしたいと思います。生前の
六つの詩集と、死去してまもなく出された最後の詩集、そして拾遺集となる第
八詩集をあわせた八冊からの抜粋が、この『パウル・ツェラン詩集』です。

ユダヤ人絶滅収容所の体験が色濃く、しかしバラバラになった記憶のように、
ツェランの詩想に滲んでいます。闇の力に強烈に捻じ曲げられながら、かろう
じて言葉になり、荒地に頼りなく揺れている枯草に似た、かそけき存在の断片
たちが、まるで無時間の白い地獄のように書き留められ、私たちの胸に迫りま
す。「死のフーガ」という非常に有名な作品の、あのうねるような逃げ場のな
い反復性、「テネブレ」における神と私たちの像の反転、「頌歌」における絶
望のさなかの信仰と脱信仰の微妙な交錯は、先の二〇世紀の記憶をしるしづけ
る標識であるに違いありません。

「テネブレ」の冒頭にはこうあります、

  わたしたちは近づいています、主よ、
  つかむことができるほどまぢかに。

  すでにつかみました、主よ、
  それぞれの体が
  あなたのからだででもあるかのように、主よ。

  祈りなさい、主よ、
  わたしたちにむかって、
  わたしたちは近づいています

この鮮烈な詩業は、旧約聖書の「詩篇」でダヴィデが繰り返し謳う、「主よ、
立ち上がってください」というメッセージとは異なります。我が敵を滅ぼして
ください、とダヴィデは祈ります。しかしツェランはすでに敵の掌中に落ち、
なぶられるがまま、死へと近づいているのです。題にあるテネブレとは、イエ
スが十字架に架けられやがて絶命する折に、三時間にわたって白昼を蔽ったと
いう闇のこと。マタイ伝およびマルコ伝によれば、闇の果て、絶命の直前にイ
エスは「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と大声で叫ん
だという。しかし強制収容所での死の叫びは、ガス室に吸い込まれ、それがい
かなる悲痛な叫びだったかほとんど聞き取れませんでした。

祈りなさい、主よ、とツェランは書くのです。死へと向かう者たちが神へ祈り
を捧げるのではなく、その反対なのです。神が我々へ向かって祈るさま、それ
は哀れみを垂れるさまとは違います。決定的に違うのです。何ということだろ
う、この反転は。

「思惟するとは遠きものの近く-に-入り-来ること」である、とハイデガーは
対話篇『放下の所在究明に向かって』の中で語ります。彼は古代ギリシアの哲
学者ヘラクレイトスの言葉「アンキバシエー」を引用して、それを述べます。
「アンキバシエー」とは「接近」を意味します。ツェランがその詩において表
現したことは、ハイデガーのこの壮麗な哲学的直観よりずっと決定的なことで
す。ハイデガーは「死に向かう存在」である人間一般について語りえましたが、
ツェランが接近していったもの、いや、彼に向かって接近した「何か」にはほ
とんど無知だった。ツェランはトートナウベルクに隠棲した戦後のハイデガー
を訪ねますが、会見は失敗でした。卓抜な他者論によってハイデガー哲学の乗
り越えを図った、現代フランスの稀有なユダヤ人倫理学者レヴィナスはこう言
います、「ツェランは存在と非存在によって画される領域に住まう数々の様態
とは異なるある様態を示唆しているのではなかろうか。ツェランは、〈存在す
るとは別の仕方で〉という未曾有の様態としてまさに詩を示唆しているのでは
なかろうか。(中略)存在論や存在についての思考よりも古きこの意味」と
(「パウル・ツェラン/存在から他者へ」より)。

詩にはそれぞれ特有のリズムがあります。すぐれた詩の翻訳というのは原典の
リズムを損なわないように注意します。先に掲げたツェランの詩「詩のフーガ」
「テネブレ」「頌歌」は、岩波文庫の『ドイツ名詩選』で原文対訳を読むこと
ができますが、「テネブレ」で引用した一節、特に第三パラグラフの原文は次
の通りです、

  Bete, Herr,
    bete zu uns,
    wir sind nah.

祈りなさい、主よ、私たちにむかって祈りなさい、私たちは近くにいます。ド
イツ語原文を声に出して味わえば、時を越えてツェランの肉声に近づけるでし
ょう。ぜひお奨めします。

『パウル・ツェラン詩集』思潮社
http://www.ganessa.com/goods_dtl.php3?SHOPID=0906200024&GDS_NO=5
(↑こちらをクリックするとこの本を買えるサイトに行きます。思潮社さん
のご好意により、品切れ本を五冊のみ出庫して頂きました。故に先着五名さ
ま完全限定とさせて頂きます)
『ドイツ名詩選』岩波文庫
http://www.ganessa.com/goods_dtl.php3?SHOPID=0906200024&GDS_NO=4
(↑こちらをクリックするとこの本を買えるサイトに行きます)

<五月。人文書コーディネーター、[本]のメルマガ編集同人。1968年東京
生まれ。好きなジャンル:哲学・思想>
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■あとがき
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>永田町の論理は、国民の常識とは違うっていうじゃないですか
>はあはあ、そういえば国会議員自身も、そんなこと言ってましたねー
>でも、それってそこで終る発言じゃないですよね
>というと?
>だって、一般企業で、「われわれの商品は消費者のニーズとは違う」って
言ってそれで終りにする会社は、100%あり得ないでしょう。あったら大
ウツケ(笑)
>まあ、そりゃあっという間に倒産ですわな(笑)。国が破綻するわけだ。
>要は、そこからどうするのって問題でしょう。それで、永田町の論理っ
てわかるようでわからないから、議員とマスコミで「永田町の論理大全」と
いう小冊子を、まずつくる(笑)
>はあはあ
>それを国民に配って、個々の論理ごとに「許せる」「許せない」「どうで
もいい」という三択の国民投票にかける
>でも、そしたらほとんど×になるんじゃない。釈明は、ウソついても罰せ
られない会議でじゃないとイヤとかごねてるレベルですからねぇ・・
>うーん、そっか、それにこんなこと実現させること自体、永田町の論理に
はないでしょうしね・・トホホ
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