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2002.6.11.発行 vol.73 [ 目下バテ気味 号]
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■■ [書評]のメルマガ 2002.6.11発行
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■ vol.73
■■ mailmagazine of book reviews [ 目下バテ気味号]
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[CONTENTS]------------------------------------------------------
★「今月ハマったアート本(7)」平林享子
→茶人利休は朝鮮文化の影響を受けていた? 執念の出版物をご紹介。
★「もっと知りたい異文化の本(8)」内澤旬子
→『lonely planet』第二弾。日本人よりも日本に詳しくなれるぞ。
★「渡辺洋が選ぶこの一冊(5)」
→ブローティガンと聞いて「懐かしい」と思うか、初耳かで世代が判る。
★「全著快読 山田稔を読む(15)」柳瀬徹
→ひょっとして山田稔がもっとも愛したかもしれない女性キャラとは。
★特別掲載「東京紛書日記抄」林哲夫
→東京に旅して本を買う。書物同人誌「sumus」サイトからの転載。
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■今月ハマったアート本 平林享子
(7)人間の「恨」のエネルギーはすごい。
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瀬地山澪子『利休 茶室の謎』創元社、2000年
世の中はサッカーのワールドカップで盛り上がっていますが、日韓共催とい
うことで韓国への関心も高まっていますね。この本は、日本と韓国の文化交流
史を考える上でも興味深い本だと思います。
著者は、長年NHKのディレクターをつとめた人で、あるとき、韓国での発
見をもとに、千利休が作った国宝の茶室「待庵」の謎を探る番組を作りました。
結論から言うと「利休は、朝鮮の民家にヒントを得て、待庵に生かしたのでは
ないか。また、利休が秀吉から切腹を命じられた理由には、朝鮮を侵攻しよう
とする秀吉を、利休がいさめたことが大きいのではないか」という内容で、こ
の推論は、専門家から賛否両論あったものの、新しい視点をもたらして画期的
だったようです。が、著者にとっては不愉快なことも起こり、それが後にこの
本を執筆するきっかけとなったのでした。
待庵のヒントが朝鮮の民家にあるのかどうか、素人の私にはよくわかりませ
んが、確かに利休が生まれ育った堺には朝鮮から来た人々がたくさん住んでい
たでしょうし、利休は朝鮮の粗末な雑器に美を見出して茶碗として使っていま
したから、茶室のデザインを考える上で朝鮮の建築を参考にしたということも
あったのかもしれません。
よく「万葉集は古代朝鮮語で読める」とか、「写楽は朝鮮通信使だった」と
か、極端な解釈をするトンデモ系の本がありますが(面白くて好きですが)、
この『利休 茶室の謎』は、もうちょっと冷静に(でも、思い込みはかなり激
しい)、中世から近世にかけての朝鮮と日本の文化や風俗の共通点を探ってい
て、私にはすごく刺激的な本でした。
著者は、NHKを退職後まもなく末期がんを宣告され、ホスピスに入院中、
お見舞いに来た河合隼雄さんから執筆をすすめられ、最後の力をふりしぼって
この本を書き上げたそうです。1999年8月に亡くなり、遺族によって遺稿が
まとめられて一周忌に出版されました。
待庵と朝鮮民家との類似は、この番組の企画者である瀬地山さんの発見だっ
たのに、番組に参加したある学者の先生が自分の発見のような形で論文を発表
したそうで、そのことに対する怒り、無念さが、執筆の動機になっています。
それが無実の罪で切腹させられた利休の怒りや無念とも重なりすごいエネルギ
ーとなって渦巻いています。この本にこめられた著者の情念というか執念とい
うか、「恨(ハン)」ともいうべき思いがズシッと伝わってきました。
「本書ができるだけ多くの人々に読まれるようにと願っている。そのことによ
って著者の霊も安まることであろう」と巻末で河合隼雄さんが書いておられま
すが、本を出版することが、魂鎮(たましず)めの儀式になっている、そんな
種類の本でもあります。
『利休 茶室の謎』1500円(本体)
http://www.gozans.com/bk/?b=4422201395&s=shohyo
(↑こちらからお買い上げ頂けます)
〈ひらばやし・きょうこ〉編集者・ライター、オンライン書店「クローバー・
ブックス」http://www.ifnet.or.jp/~kyoko.hi/)営業中。「日本のなかの朝鮮
文化」は私の大好きなテーマですが、ハマるのは老後の楽しみにとってありま
す。参考文献だけは老後に備えてマジメ系からトンデモ系まで少しずつ集めて
ます。夏に堺に帰省したら、利休さんのお墓参りにも行こうと思います。
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■もっと知りたい異文化の本 内澤旬子
(8)ガイドブック編 コスプレ、東急ハンズ、立ち読みは日本の文化!?
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数日前、新宿でイングランドのサポーターの集団を見かけた。どーやって札
幌まで行くんだろう。そういえば関東近郊のスタジアムへのアクセスを書いた
ポスターも少ないし、電車のアナウンスは日本語だけ。都内のホテルだって結
構高い。彼らはどうやって物価の高くて英語の少ない日本をサバイバルしてエ
ンジョイしてるんでしょう。
そこで前回に引き続き世界で一番売れてる? 旅行ガイドシリーズlonely
planet。日本だけで『Tokyo』『Japan』『Hiking in Japan』『Kyoto』と四冊
出てました。そのうち、『Tokyo』と『Japan』を拾い読みしてみました。
ケチなWesterner(西洋人)はどこに泊まるのか。ユースホステル?甘い。そ
りゃ安いけど、どんなに具合が悪くても朝十時には外にほうり出されるし、門
限は夜の十時なのでナイトライフは楽しめません。東京で一番安いホテル、そ
れは日比谷線三ノ輪駅下車のHotel New Koyo。なんとユースより300円安い、
シングル2700円。
このようなbudget(きりつめ予算向け)ばかりではありません。超高級ホテル
にビジネスホテル、それにカプセホテル(70年代、黒川紀章が発案したって本
当なんですか?)まで載ってました。それどころか『Japan』ではラブホテル利
用法にまで言及。同性カップルだと割り増し料金とられることまで親切に解説
してます。
また『Tokyo』のfestivalコラムには、近郊のほとんど見たことない祭りが
ずらりと並んでいて愕然とします。七月にはなぜか伊豆半島でのタライ乗り競
争!もちろん東京人も大好きなHanami Partyについては半ページを割いた説
明があり、都内近郊の桜の名所リストまでばっちり。それでいてクリスマスの
イルミネーションや靖国神社の御霊祭りには触れてないあたり、やっぱ
Westernerが読む本なのだなあとしみじみ。
ともあれ『Tokyo』も『Japan』も、着物、浮世絵、歌舞伎はもちろん、プ
ロ野球、競馬、コスプレ、ビームス、東急ハンズ、部落問題、骨董市、マンガ、
立ち読み(日本独特なんだそうで)、新宿二丁目、ヤマンバ、入館料をとらない
谷中あたりの寺、温泉、銭湯、右翼、花園神社、デバ地下の試食、モンスーン・
カフェ、コンドームの自販機と、かなり細かく網羅してます。お見事。どちら
かというと『Japan』のほうが現代日本の紹介に積極的。これが世界中でバン
バン売られてるのかと思うと、どうにも落ち着かないのは私だけ?
欲を言えば女の子に人気のモノをもっと載せてほしかった。最近定番になっ
た足裏マッサージとか、苔玉園芸、日本茶や中国茶がのめる喫茶店も載せてあ
げれば良かったのに。著者のひとりは団塊(アチラじゃヒッピーか)インテリ
おやじと見た。表参道のほこりっぽいゴミゴミのオープンカフェ見て「日本に
もカフェ文化が生まれつつある」なんてコラム書いてる場合か。座ってんのは
Westernerとおのぼりさんだけだっての。
それから日本の女の子は小綺麗でお洒落なのは、世界的に有名なんだから、
垢抜けたかわいいコの写真を一枚でも載せて欲しかった。なぜ化粧バンドの追
っかけ娘を載せるんだああ。
lonely planet Tokyo 4th edition-september 2001 15.99$
lonely planet Japan 7th edition-october 2000 25.99$
lonely planetのサイト
http://www.lonelyplanet.com/
〈うちざわ・じゅんこ〉イラストルポライター。碧鱗堂製本主人。共著に『ア
ジア路地裏紀行』(下川裕治編、徳間文庫)、『東方見便録』(斉藤政喜文、文
春文庫)、『印刷に恋して』(松田哲夫文、晶文社)など。製本ワークショップ
やってます。掲示板は誰でも見られるので、覗いてみてください。
http://mav.nifty.com/ahp/mav.cgi?place=hyakurindo&no=24094
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■渡辺洋が選ぶこの一冊
(5)『アメリカの鱒釣り』の訳者による渾身のブローティガン伝
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藤本和子『リチャード・ブローティガン』(新潮社)
−−なつかしいですねえ、ブローティガン。名前を聞いただけで時代を飛び越
えてしまうというか。ああ、『西瓜糖の日々』を貸してくれて、私に彼の存在
を教えてくれた彼女は今何をしているんだろう。
−−それって何年前の話ですか。
−−手帳をひもといてみたら76年だから、ざっと四半世紀前ですね。ついで
にブローティガンさんの本が新刊でどれだけ手に入るか調べたら『アメリカの
鱒釣り』と90年代に遅ればせに出た3冊の詩集だけです。
−−周囲の30歳前後の編集者に聞いてみたら、名前も知らないって。そんな
彼についての評論を今出すってのは結構大胆かもしれない。
−−ひとつには英米での再評価の動きがバックに考えられますね。旧作がどん
どん再刊され、未発表作品も2冊出たり、娘のアイアンシさんによるメモワー
ルも出たりとか。その未発表の中編『不運な女--ある旅』を、彼の小説の名
翻訳者として知られる藤本さんが訳すことになった(近刊予定)、そんなこと
がきっかけかもしれない。
−−ざっとおさらいしておくと、リチャード・ブローティガンさんは1935年
生まれ、不況の合州国で貧しく不安定な家庭環境で育ったあと、サンフランシ
スコに行き、詩作を経て発表した小説『ビッグ・サーの南軍将軍』『アメリカ
の鱒釣り』などで60年代末以降のカウンター・カルチャーのヒーロー的な存
在に。生前発表した小説は11冊、その他詩集多数。84年に死亡、自殺と言
われていますね。
−−今回、この評論を読むのと併せて、旧作も何冊か読み直したんだけど、日
本で紹介が始まった70年代半ばには、もう彼の作品のピークは過ぎていたと
いう印象を受けましたね。やはり代表作は初期の『アメリカの鱒釣り』『西瓜
糖の日々』『芝生の復讐』というあたりでしょうか。その後の作品は、今見る
と物語を作ろうと無理している感じがするんです。
−−藤本さんは生前最後の小説『ハンバーガー殺人事件』も好きな作品として
あげていますね。
−−じつはそれだけ読んでないんです。失業していたから、バタバタしてて見
落としてしまったのか(笑)。イギリスで新版が出ているので、今取り寄せ中
です。
−−藤本さんの、この評論についてはどうなんですか?
−−娘さんに直接取材したりと、作家の伝記的な部分にも結構踏み込んでいた
り、チェーホフやバーベリの作品との比較、おもな小説に即しての分析など、
多岐に渡っています。小説についての分析はやはり元本を読んでいないときつ
いでしょうね。
−−あと、晶文社、黒テントに関わってきた藤本さんの思い出もふれられてい
ますね。
−−元々、藤本さんは黒テント(当時は「演劇センター」だったかな?)を拠
点に世界に向けた演劇通信みたいな仕事をしていたと思うんで、その辺の愛着
は感じますね。
−−長谷川四郎さんや田川律さんが出てきたり、それに何と言っても、藤本さ
んの初めての翻訳本である『アメリカの鱒釣り』が、テキストの「発見者」が
彼女の夫の日本の演劇などの研究者であるデイヴィッド・グッドマンさん、編
集者が津野海太郎さん、装幀が平野甲賀さんという、何か晶文社黄金時代とで
も言うか。
−−今で言えば『本とコンピュータ』と言うか。
−−ま、冗談はさておき、今回この藤本さんの本とブローティガンさんの旧作
や未発表作を読んであらためて感じたのは、ブローティガンさんの文章の詩的
な凝縮力、「アメリカの鱒釣り」という言葉が一種の人格になって一人歩きす
るといった、散文としてはぎりぎりのところで書きつつ、しかもそれが高踏的
ではない伝わりやすさを持っていたということです。藤本さんによれば、それ
は彼の貧しい出自、合州国の地を這うようなさまざまな旅、体験に裏打ちされ
たものだということになるんですが。
−−その文章の破壊力が、一種のユーモアともとられる分かりやすさをともな
っていたということですね。
−−そう、だから日本では学生運動の冷えていく70年代半ば以降に、特に
『西瓜糖の日々』とか、どこか「癒し」の文学として受け止められた印象があ
るんですが、その辺がちょっとずれていたのではと思うんですね。
−−アナーキーな笑いを「癒し」ととってしまった。
−−そう、藤本さんの訳がよかったということと裏腹に、訳してしまうと分か
りやすくなりすぎてしまって、そこに読者が甘えて、ちょっとずれると「期待
はずれ」みたいな受け止め方をされて、だんだん忘れられていったところがあ
ると思う。
−−英語で読むと、もちろん作品にもよるけれど、かりっとした、あるいはざ
らざらした手応えがありますからね。
−−だから、この評論を機に、作品が読み直されるといいなと思います。今度
翻訳が出るという『不運な女--ある旅』も、「物語」を脱いで「語り」に徹し
たとでも言うような、地味なんだけど、作者が読者をじろっと見ているような
迫力のある作品なんで読んでほしいです。
−−あと、代表作だけでも再刊されるとかね。
『リチャード・ブローティガン』2000円(本体)
http://www.gozans.com/bk/?b=4104014028&s=shohyo
(↑こちらからお買い上げ頂けます)
〈わたなべ・ひろし〉詩人。6年振りの詩集『少年日記』(書肆山田)を校正
中。7月くらいには出ると思います。
http://www.catnet.ne.jp/f451/welcome.html
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■全著快読 山田稔を読む 柳瀬徹
(15)絶妙のタイミングで挿し入れられる軽さ
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『旅のいざない』冬樹社、1974年
タイトルから想像されるような、旅に材をえた小説や旅行記のたぐいはここ
にはない。語り手たちが訪れるのは既知の街ばかりで、彼らが歩みを進めてい
くほどに周囲の風景は記憶との接点を曖昧にし、時には悪意さえ漂わせる。
読んでいて息が詰まりそうになるのを救ってくれるのは、絶妙のタイミング
で挿し入れられる軽さだ。たとえば「こころのなかの街」の、自宅の場所を
「児童公園の大きい方の滑り台をすべり降りて、そのまま真直ぐ行くのです」
と説明する童話作家。家を見つけられない「わたし」は思いあまって馬鹿正直
に滑ってみようとするが、滑り台は当然「児童」によって占拠されている。
そして何よりも軽さをもたらしてくれるのは、同篇に登場するもうひとりの
人物、ルミの存在だろう。きまって男物の色褪せた、だぶだぶのコートに痩身
を包み、血色が悪く、いつも少し目をうるませた、ばさばさのおかっぱ頭の女
の子。「わたし」が昔、ひょんなことから通うようになった教会のバイブルク
ラスで、讃美歌をコーラスするときに後ろのほうから、ひどく音程のはずれた
声を遠慮なく響かせていたのが彼女だった。
ほどなくしてルミは教会に来なくなり、どうやら結婚したらしいと合唱仲間
のなかで囁かれるようになると、しだいに「わたし」の足も教会から遠のいて
いく。時を経て、あるとき「わたし」は信号待ちで停車しているバスのなかか
ら、偶然にも彼女の姿を見つける。例のコートのポケットに手を突っ込んで、
脇目もふらず歩いていくルミ。しかし交叉点にたどり着いた彼女は、不意に
「小さなけだもののように」きょろきょろし始める。それまでの歩みとはあま
りにも対照的な、そしていかにも彼女らしいその仕草がなんとも愛おしい。
山田稔によって創造された女性のなかでも、もっとも作者に愛されたのは、
ひょっとしたらこのルミなのではないかと思う。なにしろ、あたりに漂う重さ
や息苦しさを、柔らかさではなく固さでもって弛緩させてしまうという離れ業
は、ほかでもない彼女だけに与えられた特権なのだ。
※『旅のいざない』は現在入手不可。復刊望む。
〈やなせ・とおる〉藤本和子がブローティガンについて語りはじめるのを、勝
手にずっと心待ちにしていた。ただ『リチャード・ブローティガン』(新潮社)
とだけ題されたそれは、想像以上に素晴らしい本だった。勝手に乾杯を捧げた
次第。
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■特別掲載 東京紛書日記抄 林哲夫
個展のため上京した画家の画廊と古書店巡りの東京日記
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★四月二十五日(木) くもり
京都駅午前十時三十四分発のひかり一一四号に乗車。東上の途につく。車中
では団鬼六の『蛇のみちは―団鬼六自伝』(幻冬舎アウトロー文庫、一九九七
年)を読みふける。前日、近所のブックオフで買ったもの、百円。同じシリー
ズの『真剣師小池重明』がめっぽう面白く書けていたので期待したが、自伝と
してはやや物足りないにしても、とにかく読ませる。彼のエロ映画プロダクシ
ョンで働いていた「たこ八郎」のくだりにはとくに興味を覚えた。かつて私が
銀座四丁目の銀座通りに面した玉屋の一階にある画廊で個展をしていたとき、
おそらく一九八一年だろうが、たこ八郎が正々堂々と(まさにそんな感じだっ
た)入ってきて、帽子を取って深々とお辞儀をし、「すみましぇん、この画廊
はどこにあるんでしょうか、教えてくだしゃい」と尋ねたときの情景がまざま
ざと思い返された。
東京駅午後一時十八分着。ホームで生田誠氏が待っていてくれる。東京滞在
中は氏のアパートに泊めてもらう手筈になっていた。新聞記者の生田氏は、こ
の日、夜勤当番で、午後五時から新聞社に詰めていなければならないので、先
にアパートまで案内してくれるという。東京駅から成田エクスプレスに乗って、
錦糸町で総武線に乗り換え、小岩で下車。歩いて五、六分のところに氏が一人
で住んでいるアパート、シャトー・デ・サンティールがある。1Kだから広く
はないが、とにかく、二人が枕を並べることはできる。昨年来、氏の興味は絵
葉書に集中しており、およそ一年間に二万五千枚の絵葉書を集めたという話で
ある(正確に数えたわけではないそうで、実際はもっとあるかもしれない)。
部屋に五本ある本棚のほとんどの部分が絵葉書のファイルまたは絵葉書の詰ま
った特製のプラスチック容器で埋まっている。荷物を置くひまもあろうものか、
さっそく絵葉書を取り出して次々と見せてくれる。日本絵葉書会なる友好団体
まで立ち上げてしまったそのパワーは止まるところを知らないようだった。む
ろんこちらも予めそのことは分かっていたので驚倒するほどではないものの、
ここまでとは思っていなかった。だから、にぎやかしにと、京都から手土産と
して何枚かの古絵葉書を持参したのだった。中の一枚は使用済みの小林かいち
である。「へえ、使ってるのもあるんですね」などと言いながら、本棚から一
冊のファイルを引き抜くと、そこにはビアズリーばりの小林かいちシリーズ絵
葉書がずらり揃っているのであった。一枚一万円でも不思議ではないくらいの
品物だという。持参したのは一九八七年に年賀状代わりに石川古本店から林に
宛てられたもので、かいちについてはまったく知らなかったのだが、ちょっと
ステキだと思ってずっと取っておいたのだ。使用済みは「まあ、二千円という
ところですか」なのだそうだ。うーん、まいった。
小岩からふたたび都心に戻り、出社する生田氏と東京駅で別れて、銀座へ出
る。銀座汲美という画廊でやっている平井勝正さんの水彩画の個展を覗く。初
個展とは思えない質の高さに感心する。続いて、並木通り五丁目の画廊「空想・
ガレリア」へ。一九九九年六月にここで個展「書物の肖像」をやらせてもらっ
た。久しぶりで主の肥後静江さんにお会いする。ガレリアはエレベーターのな
い六階、石の階段を上る途中、四階あたりに休憩用の小さな丸椅子が置いてあ
るということでも知られている。いよいよ、七月からこの由緒ある坂口ビルも
取り壊しにかかるそうだ。肥後さん、画廊をその後どうするかは、まだ決めて
いないとのこと。洲之内徹の現代画廊に勤めて以来、「もう、ずいぶん長くや
ってきたから……疲れちゃった」とおっしゃっていた。
日比谷線で六本木へ。明後日から個展を開くギャラリー柳井へ向かう。六本
木駅を出てアマンドの角を芋洗い坂を降りきると、かつてはうっそうと樹木を
茂らせた大きな屋敷とスウェーデン・センターが目に入ってきたのだが、今は
森ビルがその一帯を買い占めて高層ビル群を建設中で、すでにほぼ全容が現れ
ている。工事現場の前を通り過ぎてすぐのギャラリー柳井に到着。会場はちょ
うど絵の飾り付けを終わったところだった。まずまず、悪くない。閉店後、五
月にちょうど四十歳になる柳井氏と二人で近くの「手羽からもんも」で軽く前
祝い。大江戸線の麻布十番駅から両国まで乗り、数百メートル歩いて総武線に。
小岩へ戻る。午後十時前だったが、車両は立っている乗客でギュウ詰めなのに
驚く。
★四月二十六日(金)くもり
朝から冷え込んだ。九時過ぎに生田氏と一緒に出発。お茶の水駅で下車。ホ
ームが狭い。そこに人が溢れていて、神田川へ転落しそう。駅前でタクシーを
拾い、一ツ橋の日本教育会館へ。神田の古書会館が工事中なので、このビルの
六階を借りて毎週末に古書市が開かれている。今日は「ぐろりあ会」というグ
ループ。午前十時会場の十分前、すでに五十人以上の人たちが並んで待ってい
る。ほとんど中年から老年の男性。色気のないことはなはだしい。部屋はさほ
ど広くはないが、品物はけっこう安くていいものがあるようだった。ざっと廻
って、アルカディア書房の出品から何冊か購入。ウォルター・スコットの小説
『THE TALISMAN(護符)』 (ハーパー兄弟社、一八七八年)五〇〇円、『婦
人画報』現代日本令嬢号(東京社、一九三四年一月号)二〇〇円、高木卓『血
と血』(八雲書店、一九四八年)一〇〇〇円など。『血と血』は装幀が蒐集対象
の「岡村不二」なので思い切って買った。一時間ほど物色ののち、絵葉書に血
眼の生田氏は紙ものの多いRBワンダーへ。お供のこちらは、敗戦直後の漫画
雑誌『VAN』(イヴニングスター社、一九四六年五月号)一〇〇〇円を発見。
これは前から欲しかった一冊。横山隆一の黄色い表紙が鮮か。表紙をめくると、
乳房もあらわな女性の写真が大きく載っている。キャプションが「裸の政治」
……どうみてもただの「裸」だが。奥付を見ると、発行所住所は銀座六の三、
交旬社ビルである。このビルも取り壊わされてしまう。同じく敗戦直後の『日
米会話手帳』(科学教材社、一九四五年)二〇〇円。当時ベストセラーになっ
た本当に小さな手帳。科学教材社とは誠文堂新光社の傍系会社で、実体は誠文
堂新光社の小川菊松が出張先の房州で玉音放送を聞いた帰りの列車で思いつい
た企画である。ねらいは的中、三百六十万部を売りつくしたという(小川菊松
『出版興亡五十年』誠文堂新光社、一九五三年)。『日米会話手帳』巻末の凡
例を読むと、すべての人々の要求に応じる語句を盛り込むことはできないので
「各人が必要とする語句を書き入れるための空白を設けた」と人を食った言い
訳が書いてある。「一夜で和文の原稿を作」(『出版興亡五十年』)ったのだ
から、単なる推敲不足による「メモ」スペースであろう。なんともしたたか。
ところで、『VAN』の記事のなかに、三越の店員が、いったいアメリカ人は
何を買って行くのか、という質問に答えて、「日本語を勉強する本があれば随
分売れますね。日本語は三週間で覚えられるとか、日本語独習書といふやうな
もの」と言っているのは面白い。占領する方もされる方も、まずは言葉の理解
から、だろうか。
そこを出て近くのセルフサービスのコーヒーショップで一休みしていると帝
塚山学院大学の山田俊幸さんがひょっこり入ってくる。絵葉書会のメンバーで
あり、『一寸』という美術資料系の同人雑誌の同人であり、関西でやはり生田
氏の提唱で美術系の古書好きたちが不定期で開いている「見せっこ会」の参加
者でもある。小生もその末席を汚しているが、山田先生の精力的な資料蒐集に
は脱帽するほかない(そんな人ばかりである)。今日もぐろりあ会には一寸の
同人たちが集合しているとのことだった。
生田氏と都営三田線の神保町駅で別れて五反田へ向かう。三田で京浜急行に
乗り換え、うっかり泉岳寺で乗り換えるのを気づかず、青物横丁まで行ってし
まって引き返す。地下鉄五反田駅を出て数分歩き、南部古書会館で開催中の古
書市「本の散歩展」をのぞく。一階が二百円ていどの均一本ばかり。『図書券
三〇年のあゆみ』(日本図書普及株式会社、一九九〇年)をピックアップ。図
書券が五百円券と百円券なのは六百円以上の商品券は課税対象になるからだそ
うだ。もっと買いたいのをぐっとこらえて階段を上る。今日は二階で時間を使
うと決めていた。ちょうど月の輪書林高橋夫妻がレジのところに並んでいたの
で挨拶する。「えっー、林さん! どうして?」と、二人はとてもびっくりし
た様子。昨年、京都で会って以来のことだ。「明日から個展なんですよ」と説
明して、まずは会場をゆっくり見て回る。すぐに『みづゑ』一九四一年四月号
(春鳥会)を発見、五〇〇円。松本竣介の論文「生きてゐる画家」が掲載され
ている号で、専門店の目録なら四〜五〇〇〇円は付いているだろう。続いて
『婦人の生活』第一冊(生活社、一九四〇年)、佐野繁次郎関連資料のひとつ。
カバーがないのが残念だが、初めて出会ったのでとりあえず購入。柳宗悦訳
『ブレークの言葉』(叢文閣、一九二一年)裸本、五〇〇円。その他、『女学
世界』(博文館)、『文芸市場』(文芸市場社)、『文学時代』(新潮社)、
『ホリゾント』(ホリゾント社)、『ディスク』(グラモヒル社)、『風雪』
(風雪社)、第三次『文学生活』(新文化社)、『面白半分』創刊号(面白半
分)など雑誌を買いあさる。いずれも状態がやや悪いので数百円から千円まで。
けっこう満足して、ふと見上げると、すぐ隣りで、なないろ文庫ふしぎ堂の田
村七痴庵さんがピンクのフェルト帽を被って本の補充をしていた。あわてて挨
拶する。田村さんは古書の情報雑誌『彷書月刊』のイメージ・キャラクターで
もある(創刊二〇〇号記念号の表紙にはこの帽子を被ってお辞儀している田村
さんが印刷されている)。
仕事中の月の輪さんを無理に誘って田村さんと三人で近所のカフェへ。田村
さんはさっきまで坪内祐三さんと昼飯を食べながらビールを飲んでいたと言い
ながら、さらにビールを二杯お代わりする。月の輪さんは、今朝、市場(古書
業者の交換会)で戦争中に徴用された学徒たちが書いた日記のひと山が欲しく
て、必ず落札しそうな値段一六九九九九〇円の札を入れようか、どうしようか、
かなり迷ったあげく、結局、断念したという話。「今日はなぜだか、自制がき
いたんですよね」。そのときに書いたという札を見せてくれる。最低から最高
額まで五段階の値段が記されていた。「支払いはひと月後でいいから、恐いん
やな、数字書くだけで自分のもんになるから」と田村さん。もしすぐに買い手
がなければ、借金地獄に落ち込むというわけだ。月の輪さんのメモはどの値段
も末尾が「九九九〇」になっている。「それをヒゲっていうんや。人によって
ヒゲが決まってて、ぼくは七七七、なないろの七。数字見ただけでも誰が札を
入れたかだいたい分かる。ヒゲを付けん人ももちろんいるけど」。なるほど、
なるほど。
『彷書月刊』二〇〇号(二〇〇二年五月)の案内欄に高輪の書肆啓祐堂で西
脇順三郎展が開かれているとあったので、南部古書会館を出てJR五反田駅か
ら品川駅まで足を伸ばしてみる。以前から一度覗いてみたいと思っていた古本
屋さんだ。最寄りは品川駅とだけ覚えていた。駅前から住所表示を頼りに高輪
プリンスホテル、衆議院議員宿舎を横目にやっとの思いでたどりつく。後で地
図を見たら、都営浅草線高輪台駅の方がよほど近かった。ビルの一階、ウナギ
の寝床みたいな細長い店だが、書斎的な心地よい空間になっている。奥の四畳
半ほどが展示スペース。開催中の西脇順三郎展は、水彩、デッサン、水墨、エ
ッチング、自筆葉書、関連著作などかなり質の高い展示。酒井氏コレクション
が中心だとか。書店の方をゆっくり見る。文学書を中心にした趣味のいい棚作
りだ。柱に戸田勝久さんの書店の絵。『古くさいぞ私は』の署名本が三五〇〇
円で出ている。欲しかったが、結局は、五反田でかなり買ってしまっていたの
で、須賀敦子の『コルシア書店の仲間たち』(文藝春秋、一九九二年三刷)五
百円、でお茶を濁すことに。レジで精算して出ようとすると、署名を求められ、
ご主人がその名前を見て、「スムースの林さんですか?」。お茶飲みねえ、ビ
ール飲みねえ、ということになって、こちらも、後は小岩へ帰るだけだったの
で、つい長居してしまう。『sumus』も同人の松本八郎氏が持参したもの
が並べられていた。
ご主人の杉本光生さんは電機会社、運送会社を経て停年退職後、二年半ほど
前に、この店を始められたそうで、まだ棚の九割はご自分の蔵書だという。そ
う聞けば、まったく荒れた感じがないのもうなずける。啓祐堂でも
『LE CARROSSE D'OR(黄金の馬車)』という瀟洒な雑誌を発行しており、出
来たばかりの第四号をいただく。杉本さんは、「そうだ、編集長を呼びましょ
う!」と、岩田和彦氏を携帯で呼び出す。仕事が入っていてすぐには来られな
いとのこと。その間、西脇の作品に囲まれて、椅子を占領、缶ビールを飲みな
がら、次々に出入りする人々と適当に応対。画廊めぐりは年季が入っているの
だ。コレクターの酒井実通男氏をはじめ、日本の現代詩を翻訳しているという
米国人テイラー・ミニヨンさん、詩人、銀座の画廊主、大学教授などなど、高
輪らしい(?)客層。岩田氏より電話があって、近くの居酒屋に来ているとい
うので、常連のお客さんに案内してもらう。岩田氏はディスプレーの仕事が本
業。昨年、大阪へ出張したついでに、京都へ来て、湯川書房でいっしょに話し
込んだ仲。お笑い、落語、ジャズが好きで、『笑息筋』(東京コメディ倶楽部)
というミニコミにエッセイを連載している。プリンスホテルのメリディアンへ
移って十時頃まで。
〈はやし・てつお〉画家、「sumus」発行人。著書『喫茶店の時代』(編集工房
ノア)、『古本デッサン帳』(青弓社)ほか。「sumus」第9号の特集は、「あま
カラ洋酒天国」。食をめぐる本を取り上げています。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/5180/
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■あとがき
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まだ梅雨も来てないのに、暑いですなァ。暑さのせいばかりではナイのです
が、このところ、すっかり気力が低下していて、なかなか新しいコトに手が着
けられません。この土日もウチで布団にねそべって過ごし、まったくの引きこ
もり状態でした。そんなワケで、今回掲載予定の林哲夫インタビューは延期し、
「sumus」サイトに載ったママあまり人目に触れてないと思われる林さんの日
記を転載させてもらいました。新連載その他のリニューアルは、ぼちぼち始め
ることにいたします。
ホントのことを云うと、この10日号をまる1年間編集してきて、数えるほ
どしか反応のメールが来なかったコトに、ちょっとしょげているのです。メル
マガというのは購読者=読者ではあり得ないことは知ってますし、自分だって
他のメルマガにメールを送ったりしないんですけどね。まったく無報酬で、二
年目も連載することをOKしてくださった執筆者の方々のためにも、なにかし
ら反応が欲しいなぁ。批判でも情報でもいいので、kawakami@honco.netまで、
お手紙、プリーズ。 (10日号編集・南陀楼綾繁)
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